Monday, August 24, 2015

同和教育・解放教育の「発展」「衰退」を追いかける

上原善広『差別と教育と私』(文藝春秋)
これまでも『日本の路地を旅する』などで部落差別問題を取り上げてきた著者だが、解放教育を受けた体験、そして取材に基づいて、1970年頃には盛んだった解放教育・同和教育を振り返る。
著者は大阪府松原市の出身で、崩壊しかけた過程に悩みながら少年時代を過ごしたが、松原三中での解放教育をきかっけに立ち直った。自分の経験を詳しく披露するとともに、当時の解放教育を実践した教師にも取材して、解放教育のいきさつも紹介する。さらに部落解放運動全体の中に位置づけるとともに、特に八鹿高校事件と、広島・世羅高校長自殺事件に絞って、背景、経過、当事者たちの現在の声を伝える。そして、同対法・地対法に次元が切れた2002年以後、解放教育がしぼんでいった経過を追いかけ、どこに限界があったのかを呈示する。
被差別部落出身であることをカムアウトしての部落ルポだが、何かと軋轢を生んでいるようだ。特に橋下徹・大阪市長の件でも、批判を受けている。
解放教育・同和教育の実践報告は多数出ているが、本書のように、解放教育を受けた側の体験記は参考になる。当時の解放教育の限界、そして02年以後、解放教育がしぼんでいったことを、「人権の季節」という表現で説明している点は、あまり説得力がない。
70年当時の「人権の季節」というのは、実は「政治の季節」のなかでの一局面でしかない。人権よりも政治の論理が先行し優越していた時代であり、「人権」の理解には大きな限界があった。後智慧で言うのも何だが、当時の人権観念は残念ながら低水準と言わざるを得ない。著者が云うように「人権の季節」だから、ではなく、「人権が理解されない季節」に「政治の季節」の中で申し訳程度に「人権の季節」と呼称したことに問題がある。
一方、解放教育が法的根拠をもって推進されたことが、同時に権力による政策遂行の一環となったことが、積極的な意義を有するものの、法的根拠が失われたとたんに衰亡していった遠因となっているのは当たっている面もあるのかもしれない。それは部落解放だけでなく、他の多く分野にも共通だ。現行憲法の自由と平等の下、四半世紀かけてようやく70年前後に花開いた自由や平等や民主主義の発展を求める運動が、いまや高齢化し、後継者が十分ではなく、運動を支えた団体もかつての力を失っている。どの分野でも共通の悩みだ。
このため、近年の逆行現象が目につく。安倍政権の歴史認識が典型だし、ヘイト・スピーチ流行という事態を許してしまっているのも同じ性格の問題だろう。人権擁護どころか、「人権屋批判」のように露骨な反動と人権軽視が日本社会を覆っている。著者はそうした事態にはあまり関心を示さないようだ。日本の現実を踏まえつつ、より普遍的な反差別と人権の教育を構築していく必要は明らかなのだから、同和教育・解放教育の実践を基に、その成果と限界を的確に解明しつつ、継承させていくことこそ重要だろう。現在の日本国家と社会では、ひじょうに厳しい課題だが、あきらめるわけにはいかない。