前田朗「差別と闘う教育(三)南欧における反差別教育・文化政策」『解放新聞東京版』865号(2015年8月)
北欧、西欧に続いて、南欧諸国が人種差別撤廃条約第7条の「差別との闘い」をいかに実践しているかの紹介である。ポルトガル、スペイン、マルタ、イタリア、ギリシア。紹介したのは2010年頃までの情報だが、最近、いずれも外国から、特に北アフリカ地域からの移住者、経済不況などによって排外主義がいっそう高まっているため、苦しい状況にある。特にギリシアは排外主義政党とその支持者による暴力事件が社会を引き裂いている。北欧、西欧、南欧ともに共通なのは、一貫して差別と闘う教育や文化政策を模索していること、しかし実際には難しい問題を抱えていて差別が噴き出すことがあること、である。
日本の議論との関係で重要なのは「教育」の内実である。日本では「ヘイト・スピーチの処罰ではなく、教育を」などという非常識で無責任な言葉が飛び交う。
第1に、現に起きているヘイト・スピーチを教育で解決することなどできない。目の前の現実を無視した教育重視論は暴論にすぎない。
第2に、教育で、いつまでに、どのような効果を上げるのかを明示するべきだが、そうした論者はいない。果たして教育でヘイト・スピーチを解決できるのか。ならば、なぜ人種差別撤廃条約4条がつくられたのか。
奥平康弘は、1980年代からヘイト・スピーチ処罰反対論者だが、2010年代になっても、「処罰ではなく、ヘイト・スピーチを許さない文化力の形成を」などと間抜けなことを言っていた。日本国憲法の下で70年もかけて「文化力」を形成できなかったことをどう見るのか。差別とヘイトを放置してきた自分の責任をどう考えるのか。どのような方法で、いつまでに文化力を形成するのか。肝心なことは一切述べない。あまりに無責任だ。
第3に、「教育」というが、誰に対する、どのような教育なのかを誰も語らない。教育について真面目に考えたことがないから、「ヘイト・スピーチの処罰ではなく、教育を」などと無責任なことを言えるのだ。
欧州諸国の実践は、(1)義務教育(初等中等教育)、高等教育、社会人教育、専門家教育(警察官教育、検察官教育、裁判官教育)、軍隊教育、(2)教科書改革、研修プログラム開発(特に教員向け研修)、(3)メディア対策、(4)情報戦略など、多様な内容を持っている。このことを見ずに議論するべきではない。