拡散する精神/委縮する表現(53)
君はヤスクニズムを知っているか
*『マスコミ市民』2015年8月号
この夏、「東アジアのYASUKUNISM(ヤスクニズム)展」が開催される。七月二五日(土)~八月二日(日)、会場は西武新宿線武蔵関駅北口六分の「ブレヒトの芝居小屋・東京演劇アンサンブル(TEL: 〇三-三九二〇-五二三二)」で、展示は洪成潭(ホン・ソンダム)の連作<靖国の迷妄>である。
東アジアのYASUKUNISM 展実行委員会によると、「<ヤスクニズム>とは、ダグラス・ラミス氏(沖縄国際大学教員)が日本の保守派の軍国時代のロマンを『靖国(ヤスクニ)+イズム=ヤスクニズム』として、ドイツの『ナチズム』と比して皮肉った造語です。つまり、私たちの日常に潜む『国家主義、国家暴力』と言いかえることができる」という。
戦争症候群の安倍政権のみならず、日本社会がミリタリズムに飢えている現状は、まさに<ヤスクニズム>という魑魅魍魎の跋扈する光景といえよう。侵略と植民地の歴史を否定し、あるいは美化し、次の戦争を目指す意識。アジアに対する敵意と蔑視をむき出しにして、日本の歴史や文化を誇る卑劣な虚妄のナショナリズム。にもかかわらず、ナショナルな日本主義と、アメリカ追随の「属国主義」が奇妙に同居し、「美しい国」「日本をとり戻せ」と呼号しながら国土を破壊する原発再稼働政策を推進する。「3・11」後のフクシマと沖縄にヤスクニズムの矛盾が集中的に表現されている。
実行委員会は<ヤスクニズム>に潜む美化の作用を、まさにその美によって見つめ直し、表現する展覧会を開催することにした。一〇年をかけ完結した洪成潭の連作<靖国の迷妄>の展示を軸に、トーク、詩の朗読、パフォーマンス、映画上映等を繰り広げ、東アジアの歴史的課題<ヤスクニズム>を浮き彫りにしていくプロジェクトである。
洪成潭は、一九五五年全羅道生まれの画家である。一九八〇年、軍の武力弾圧によって多数の市民が犠牲となった光州民衆抗争で文化宣伝隊として活動し、その後、韓国民衆美術運動の最先鋭の担い手となる。二〇〇五年から連作<靖国の迷妄>に力を注ぎ、二〇〇七年、東京GALLERY MAKI で初の<靖国の迷妄>個展を開催。二〇一四年、光州ビエンナーレ二〇周年の特別展で《セウォル五月》(洪成潭と視覚媒体研究所の共同制作)が、「直接的な政治批判」という理由で展示を拒否された。二〇一五年四月、ベルリンでの「禁止された絵」展に招聘。著書に『光州「五月連作版画- 夜明け」ひとがひとを呼ぶ』(夜光社、二〇一二年)など。
併設展示されるのが、大浦信行の連作<遠近を抱えて>全一四点、および金城実<沖縄から世界を彫る>光州ビエンナーレ出品抗議作・新バージョン(初公開)である。
実行委員会は「芸術と運動があわせてその力を花開かせたとき、『靖国史観』を凌駕する『私たちの東アジアの歴史』が始まるのではないでしょうか」と呼びかける。
また、会期中、連日イベントが予定されている(イベント中は作品のみの鑑賞はできない)。例えば八月一日は、映画『“記憶”
と生きる』
上映+トーク:土井敏邦(映画監督)・洪成潭(画家)。八月二日は、ダグラス・ラミス(政治学、沖縄国際大学教員)の話。
さらに、八月五日~三〇日、一部作品の巡回展が「原爆の図・丸木美術館」(埼玉県東松山市下唐子一四〇一、TEL:〇四九三-二二-三二六六)で開催される。八月一一日には、トーク:洪成潭× 岡村幸宣(同館学芸員)も行われる。
美術界では、いまだに非政治的なポーズの芸術至上主義が支配しながら、他方で横山大観やレオナール・フジタのほとんど無条件賛美による復権が目論まれている。ご都合主義的な政治主義が美術も政治も歪めていることに気づこうとしない。
東アジアの民衆が共有しうる美術観とはどのようなものであるのか。それは歴史や政治を超越したものではありえない。ヤスクニズムを知ることが日本と日本美術を知ることにもつながるはずだ。