*『マスコミ市民』15年1月号
拡散する精神/委縮する表現(46)
植民地責任論シンポジウム・ソウル
「植民地責任論シンポジウムの時はなぜかいつも雨が降る。私の心に雨が降っているからだろう」。
朝から冷たい雨のソウルだった。一一月二八日、東北アジア歴史財団主催のシンポジウム「植民地責任論の世界的動向と課題」で、討論の部の司会・成宰豪(成均館大学教授)が発した言葉である。
一九九〇年代の戦後補償運動で「戦争責任」が問われた。日本がアジア各地で行った戦争犯罪が解明された。植民地支配問題の重要性も認識されたが、戦争責任という枠組みでの議論が進んだ。植民地責任に関する議論も含まれたが、不十分であった。植民地支配の清算が問われたにもかかわらず、議論は戦争責任というカテゴリーに閉ざされがちであった。二一世紀に入ってポスト・コロニアリズムの議論が行われるようになった。
二〇〇一年のダーバン人種差別反対世界会議と「ダーバン宣言・行動計画」が一つの転機となった。NGOやアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が「人種主義・人種差別は植民地主義に由来し、植民地支配は人道に対する罪であったから、謝罪と賠償を」と要求したのに対して、先進諸国が反対し、結局、ダーバン宣言は「植民地時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と認めるにとどまったが、それでも大きな前進であった。ここから植民地主義批判の新たな段階が始まった。
今回のソウル・シンポジウムは次のような内容であった。
第一部「植民地責任論の国際法的検討」――司会・李長熈(韓国外国語大学教授、常設仲裁裁判所裁判官)。①山本晴太(弁護士)「日韓の戦後補償裁判における日韓請求権協定解釈」と、張完翼(弁護士)コメント。②前田朗「植民地犯罪概念を問い直す――国際法における議論と民衆の法思想形成」と、崔哲栄(大邸大学教授)コメント。③都時煥(東北アジア歴史財団研究員)「植民地責任と韓国司法府の判決」と、洪晟弼(延世大学教授)コメント。
第二部「植民地責任の世界的動向」――司会・崔昇煥(慶熈大学教授)。④シャミル・ジェッピー(ケープタウン大学教授)「南アフリカでの最近の脱植民地化と損害賠償」と、辛源龍(霊山大学教授)コメント。⑤粟屋利江(東京外国語大学教授)「イギリスのインド支配を再考する」と、李玉順(延世大学教授)コメント。⑥佐藤茂(ニューキャッスル大学教授)「インドネシアにおける植民地化、脱植民地化、そして再植民地化」と、康炳根(高麗大学教授)コメント。
第三部「植民地責任と日本の課題」――司会・張世胤(東北アジア歴史財団研究員)。⑦吉澤文寿(新潟国際情報大学教授)「日韓会談文書公開と植民地責任論」と、張博珍(国民大学日本研究所研究員)コメント。⑧永原陽子(京都大学教授)「植民地責任論におけるナショナリズムの克服」と、徐賢珠(東北アジア歴史財団研究員)コメント。⑨河棕文(韓神大学教授)「植民地責任の克服に向けた日本政府の課題」と、李昌偉(ソウル市立大学教授)コメント。
第四部「総合討論」――司会・成宰豪(成均館大学教授)。発表者による討論。
第一に、植民地責任論を展開してきた日韓の専門家が一堂に会して現在の研究水準を確認した。第二に、二〇一二年五月の韓国大法院判決が植民地責任について言及したことの意義が明らかにされた。第三に、植民地問題を日韓問題だけではなく、南アフリカ、インド、インドネシアなど世界の植民地の諸形態を問う中で議論した。
筆者は、一九九〇年代の国連国際法委員会が「植民地支配犯罪」を「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」に導入したものの、旧植民地宗主国の反対によって削除された経過を紹介・検討した。国連レベルでこうした動きがあったことがまったく知られていない。その後のダーバン宣言につながる動きであり、今後の民衆による法思想形成にとっても重要である(詳細は前田朗「植民地犯罪概念の再検討」『統一評論』五八九号、二〇一四年一二月)。