白井聡『国体論――菊と星条旗』(集英社新書)
すでにベストセラーとなっているようだが、『永続敗戦論』の著者による刺激的な近現代日本論であり、現代世界論への鋭いコミットメントである。
近現代日本には2つの国体があった。1つ目は明治維新から8.15の敗戦に至った「国体」であるが、1つめは敗戦後のアメリカ占領、戦後改革の中で天皇からアメリカにスライドした「戦後民主主義」「戦後平和主義」の日本の「国体」――日米安保条約を基軸とし、絶対化した、親米日本の国体である。
白井は、2つの国体の概念整理をし、本書の問題意識を提示した上で、第1の国体の形成過程を提示し、続いて第2の国体の形成を追いかける。同様に2つの国体の相対的安定期と崩壊期を分析し、現在の国体もまた崩壊の危機のさなかにありながら、ゾンビのごとく継続している不思議さに迫る。本書冒頭に掲げられた「年表 反復する国体の歴史」がきわめて簡約かつ鮮明にそのストーリーを示している。
近現代日本の歴史の一コマ一コマをどのように位置づけ、どのように読み解くかについては、数多くの異論がありうる。しかし、そうした議論にはあまり意味はない。白井が提示する大枠の図式=歴史認識の視座と思想を内在した図式――あえて図式的に語ることによって読者の理解を促している――には説得力があるだろう。
憲法9条改悪、集団的自衛権、戦後レジーム、沖縄の米軍基地、TPPをはじめ、アベシンゾー政権が重ねてきた憲法無視の悪行の根因も見事に分析されている、他の視座による分析ももちろんありうるし、それは両立するだろう。問題は「戦後の国体」として描き出された内実が、なるほど「国体」であるが故に「不可視」となり「自然」となり、「国体」であるがゆえに日本社会に内在化し、無自覚の内に物事が進行する愚昧の帰結を見たということである。
私たちがなぜここまで「愚か」になったのかを、これほど説得的に提示した本は珍しいだろう。その愚かさの自覚を求める白井は、本書末尾で、歴史の転換を実現するには「民衆の力」しかなく「民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である」という。
その通りだが、いかにして「民衆の力」の発動を可能とするのか。その条件は本書で示されたのだから、あとは民衆の自覚と立ち上がりに期待するしかないのだが、その展望が日本社会にあるだろうか、と問わざるを得ない。そこまで白井に要求するのは、白井に「予言者」たることを求めるようなものかもしれない。
いずれにせよ、白井の学問と冒険と覚悟と闘いが、ここに結晶して燦めいている。