Wednesday, August 08, 2018

私に追悼する資格などないが ――翁長雄志沖縄県知事死去


8月8日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。膵臓癌のため手術を受け、さらに入院中だったが闘病かなわず、67歳の早すぎる逝去である。ご家族の思いはいかばかりか。と同時に、辺野古基地建設反対運動をともに闘ってきた沖縄の人々の心中も察するにあまりある。



沖縄に米軍基地を押しつけ、その撤去のために何もできずに来た本土のやまとんちゅの一人に過ぎない私に、翁長さんの追悼を述べる資格があるのか、と考え込まざるを得ない。



とはいえ、尊敬する政治家の死を悼み、敬愛する人間の早すぎる死を惜しみ、私なりの追悼をするのに資格などもともと不要だ。



7月27日に辺野古基地建設に伴う埋立て承認の撤回に向けた手続きの開始を宣言する記者会見の様子を見て、翁長さんのやつれた姿に驚き、不安に思い、同時にそれでも前向きに闘う翁長さんの姿勢に心から敬意を抱いたのは、私だけではないだろう。



日米両政府の植民地主義的で、問答無用かつ尊大きわまりない基地押しつけに敢然と立ち向かい、オール沖縄の闘いを全身で牽引し、アメリカにも国連にも出かけて惨状を訴えた翁長さんの決意と志に打たれた多くの人々と同様に、深甚の限りない無念の涙とともに、翁長さんのご冥福を祈る。



一人ひとりの市民の生きる暮らしと願いと夢と希望を賭けて、首長として、政治家として、人間として、最後の最後まで毅然と、冷静沈着に、だが断固として平和を求め、自由と人権のために歩み続けた翁長さんのご冥福を祈る。



日本という国と、私たち日本人の、やまとんちゅの、果てしない堕落と腐敗を痛切に受け止め、歯噛みしながら、基地建設反対運動、平和運動、人権運動に、これまで以上に力を注ぎたい。



翁長さんが、国連欧州本部の第20会議室で、国連人権理事会で発言した、あの時と同じ座席に、一瞬だが、座って、哀悼の思いを心に刻んできた。次の一歩、のために。



                       2018年8月8日

                       ジュネーヴの国連欧州本部にて