Tuesday, October 20, 2009

白頭山でうたった統一の歌



風に逆らって(4)(青法協東京支部ニュース88号、2009年4月より)






我らの願いは統一
夢にまで願うは統一
この身を捧げて統一
統一を果たそう



 国境のその山を、中国では長白山、朝鮮では白頭山(ペクトゥサン)と呼ぶ。標高2,744メートルの山が孤独に屹立している。松花江も鴨緑江もここから流れ出す。ケーブルカーで昇りきると、あと一息で頂上にたどり着く。



そこから見下ろせるのが真っ青なカルデラ湖の天池だ。真夏の青空の日でも風に乗って雲が覆うため、運の悪い人は天池を見ることができないという。記念撮影を終えると、みんなで「我らの願いは統一(ウリエ・ソウォヌン・トンイル)」をうたった。朝鮮の若者たちが集まってきて、あっという間に大合唱になる。



 「1991年問題」がいちおうの決着を見たので、その夏、ぼくらは新潟から船で元山(ウォンサン)へ向かった。



1991年問題といっても、今となっては知らない人が多いかもしれない。1965年の日韓条約は、日本と韓国の間で形の上では戦後処理を終えた。実際には見落とした問題も多く後に禍根を残したが、その一つが在日「韓国」人の法的地位で、25年後に解決を引き延ばした。「韓国」籍朝鮮人には一応の在留資格を認めたが、25年の政治的期限が付された。同時に「朝鮮」は国家と認めないから、「朝鮮」籍朝鮮人に対しては、「朝鮮」という符号を付された正体不明の外国人扱いであった。1991年にはこうした事態を改めなければならず、日韓の協議が行われて(特別)永住資格の確認に至ったのだ。



 併せてこの時、日本政府発行のパスポートから「北朝鮮を除く」という言葉が削除された。それ以前、国交を結んでいない国はいくつもあったのに、日本政府はわざわざすべてのパスポートに「北朝鮮を除く」と印刷していた。嫌がらせのためである。



 1989年には、朝鮮で第13回世界青年学生大会が開催された。韓国政府の禁止命令に違反して「全国大学生代表者協議会」代表として単身参加したソウルの学生・林秀卿(イム・スギョン)は朝鮮各地をデモ行進した上で、板門店を歩いて渡ってきたために、その場で逮捕された。分断された朝鮮と韓国が歩いて渡れる同じ大地で繋がっているという当たり前のことを、命がけで証明して見せたのだ。「統一の花」の闘いは世界を驚愕させ、深い感動に引きずり込んだ。



 林秀郷がピョンヤンの記者会見でうたったのが「我らの願い」だった。彼女は白頭山でも同じ歌をうたい、「白頭山から漢拏山(ハルラサン)へ」と叫んでデモ行進を開始した。漢拏山は朝鮮半島の南に浮かぶ済州島の主峰である。朝鮮三千里のちょうど中間で逮捕されたことになる。



 一躍、統一の聖地となった白頭山を、2年後の夏、ぼくらは訪れた。朝鮮人にとっては抗日武装闘争の聖地でもある白頭山の頂で「我らの願い」をうたい了えて、振り返ると天池は真っ白な雲に覆われて見えなくなっていた。



 もう一つの漢拏山を訪れて「我らの願い」を呟くようにうたったのは、15年後の2006年のことだった。朝鮮と韓国はいまなお深い溝に分断され、厳しい状況が続いている。だが、北にいようと南にいようと、そして日本に暮らしていようと、切実な思いで統一を願っている多くの民衆がいる。複雑な歴史を背負う日本人にとっても、忘れてはならない課題だ。



この同胞を生き返らせる統一
この国が探し求めている統一                                                                                                                                                                
統一よ、早く来い
統一を果たそう