Sunday, January 25, 2015

「戦後文学」を切開し、鋳造しなおす営為

彦坂諦『文学をとおして戦争と人間を考える』(れんが書房新社)
「戦後文学」批評総集編である。野間宏、大岡昇平、井伏鱒二、堀田善衛、福永武彦、木山捷平、大西巨人、武田泰淳、富士正晴、田村泰次郎、伊藤桂一、古山高麗雄らの作品を素材に、ひとはどのようにして兵となるのか、ひとはどのようにして殺されるのか、ひとはどのようにして生きのびるのかを、問い続ける。全12回の講演と座談会の記録を収録しているので、毎日1章のペースで読んできた。どの章をとっても深く考え込まされる問題提起が山盛りになっている。「文学をとおして」というが、文学作品の主題を把握し、作家の個人史やエッセイをも踏まえ、時代背景を参照しながら、著者自身の「戦争と人間」論が展開される。「戦後文学」を潜り抜けてきた著者の構えがつねに確認され、再構築される。平易な語り言葉で、重く、しかも錯綜した問いに向き合い続ける思索である。巻末に「もっと読みたくなったひとのために」として、対象作品一覧があるが、私はざっと数えて2割程度しか読んでいないため本書を十分に理解することはできない。もう少し読んでからとも思うが、その時間を取れないので、著者の問いをなぞりながら、自分なりに考えてみることでよしとするしかない。
一般に戦後文学の代表とされる作家と作品はもとより、もっと広い意味での戦後文学が多数取り上げられている。戦争終了後に、この国はあの戦争をどのように追体験したか、追体験できなかったか、という観点でも読むことができる。
よくこれだけ幅広く丁寧に論じつくしたものだと思うが、著者自身が自らの大きな限界を明確に指摘している。というのも、第10章「母語をうばわれるということ」は「在日文学」を取り上げて、朝鮮人作家が日本語で書くことの歴史的意味と文学的意味を提示している。在日文学をめぐって長く議論されていたテーマである。第11章の末尾では「補記」として、沖縄の作家への論及の不十分さを明示し、現代沖縄文学の重要性を確認している。これらの課題を著者も読者も今後続けて問わなければならない。
私自身、在日文学をきちんと読んだわけではない。たまたま李恢成が高校の先輩で芥川賞を受賞したこと、金大中事件に驚かされたことから、在日文学の一部を読むようになり、その後は在日朝鮮人の人権擁護に取り組んだため、それなりに読んだとはいえ、意識して読んできたわけではない。著者が依拠している野崎六助『魂と罪責』(インパクト出版会)を読んだので、それで読んだつもりになったところもあって、きわめて不十分である。

なお本書には、中野重治「雨の降る品川駅」が全文引用されているが、「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」をめぐる議論には言及がない。