Friday, January 30, 2015

大江健三郎を読み直す(38)テーマと文体の融合

大江健三郎『洪水はわが魂に及び(上・下)』(新潮社、1973年)
野間文芸賞受賞作であり、『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫)155頁によると、この時の候補作は、永井龍男『コチャバンバ行き』、山崎正和『鴎外』、中村光男『平和の死』、古井由吉『水』、大岡昇平『萌野』、遠藤周作『死海のほとり』、円地文子『源氏物語(現代語訳)』、加賀乙彦『帰らざる夏』、阿部知二『捕囚』、井上光晴『心優しき叛逆者たち』、瀧井孝作『俳人仲間』だったという。ため息が出るような名作が並んでいる。文学がまだ輝いていた時代だ。
学生時代に読んだが、出版後3年くらいの頃だったことになる。上下2巻本で、前半がやや退屈であり、もっと凝縮した作品でもよいのではないかと思ったのを覚えている。私にとっては『万延元年のフットボール』や『同時代ゲーム』のほうがずっと評価が高い。
私とは逆に、作家の奥泉光は「固い箱から上下二巻の本を取り出したときすでに、自分がその魅力の虜になるだろうことがひしひしと予感されて、高校生の自分は文字通り寝食を忘れて読んだのだった」、「大江作品から一冊挙げよと云われればむろんのこと、戦後書かれたあらゆる小説のなかから好きな作品をひとつと言われたらこれを挙げるかもしれぬ」と述べている(『早稲田文学6』2013年、431頁)。
学園紛争から連合赤軍事件へと時代が推移する中、学園紛争にほとんど沈黙を守った大江が放った衝撃作であることを、当時、野間宏や大岡昇平がいち早く指摘していた。私にはそこまで読み取る能力がなかった。大江は『壊れものとしての人間』や、この前後に書いた文学論、エッセイでも繰り返し、迫りくる「大洪水」、暴力、環境破壊、核、黙示録的世界について語り、祈りや贖罪について語っていた。それは確かにその後の日本の事件を予感させるものでもあった。テーマと文体がかなり緊密に融合された作品だったと言えるだろう。

もっとも、大江自身は『大江健三郎 作家自身を語る』154頁で、「しかし『洪水はわが魂に及び』も『同時代ゲーム』も、それぞれひとつの作品としては、しっかりできあがっていなかった。むしろ何度も書き直して、コンパクトなかたちにして発表すべきだった。あれらを、ひとつピークを越えての長い降り坂の始まりとして、私の長編小説の読者が少なくなっていったのは、まったく私のせいでした」と振り返っている。判断基準が高いため、このような回想になっているが、果たしてどうだろうか。当時の私には前半が冗長に感じられたが、奥泉の感想にあるように、むしろ前半からクライマックスまでを感動しながら読んだ読者もいた。今回読み直してやはり前半の長さは気になったが、より圧縮していれば、当時は却って評価が下がったのかもしれない。いずれにせよ、大江の代表作の一つである。