Tuesday, January 13, 2015

宗教的ヘイト・スピーチ(1)

*訂正*

Jajioという方からご指摘がありました。下記の私の見解に不正確な部分がありますので、訂正します。

「フランスは、ヘイトスピーチの法規制はあるものの、宗教は含まれていない。」というのは誤りです。フランス刑法のヘイトスピーチ規定には宗教的動機も含まれます。

例えば、刑法第624-3条は「その人の出身、又は特定の民族集団、国民、人種又は宗教の構成員であるか構成員でない――現にそうであれ、そう考えられたものであれ――ことに基づいて、人又は集団に公然性のない中傷をすれば、第四カテゴリーの犯罪に設定された罰金を課す。ジェンダー、性的志向、障害に基づく公開ではない中傷も同じ刑罰を課す」と規定しており、宗教が含まれています。

私の勘違いの原因は、第1に、エマニュエル・トッドが新聞インタヴュー記事で、パリ銃撃事件について表現の自由を強調する見解を述べる中で、表現の自由の絶対性を指摘し、宗教的なヘイト・スピーチはないと述べたのに引きずられたことです。トッドほどの人物が述べているので、確認作業を怠りました。第2に、過去十数年の人種差別撤廃委員会へのフランス政府報告書を見ると、宗教的ヘイト・スピーチの実際の処罰事例がないこと、このことを記憶していたためです。以上の二つから即断してしまい、不正確な記述をしました。訂正して、お詫びします。


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 『東京新聞』1月14日付の「こちら特報部」は、パリの週刊誌襲撃事件によって湧き起っている「表現の自由」論議に一石を投じる記事を掲載している。その前文は下記。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015011402000152.html

フランスでは「私はシャルリだ。表現の自由だ。テロを許すな」という熱狂が渦巻いている。日本でも各紙は「言論への暴力を許すな」(朝日)、「表現の自由に挑戦する蛮行だ」(読売)などと表現の自由大合唱である。

東京新聞は、果たしてそうなのか、と冷静に考えることを呼びかけている。「表現の自由か宗教冒とくか」「欧州連帯 米は冷静」「やゆ・・・ヘイトと同根」「自由に伴う責任自覚を」という見出しが並ぶ。

西谷修(立教大学)は、タブーに切り込むフランスの風刺文化を評価しつつも、表現の自由だからと言って何でもいいわけではなく、イスラムの原則に対する無理解があることを指摘している。

内藤正典(同志社大学)は、イスラム側がレイシズム、ヘイト・スピーチと受け止めていること、双方にとって宗教の意味が異なっていることへの理解を強調し「表現の自由を叫んでいて、テロの温床を断てるだろうか」と指摘する。

最後に私のコメントが掲載されている。

「四十四カ国が宗教的動機によるヘイトスピーチを法律で禁じている。フランスは、ヘイトスピーチの法規制はあるものの、宗教は含まれていない。」
「前田氏は『問題の風刺画が単なる宗教批判ではなく、侮辱、中傷のレベルであることを認識しなければならない。イスラムに対する誤解や行き違いをなくすために、いかに努力していくかが大切だ。法律がなくても他者の尊重や文化の違いから生じるトラブルを防ぐ努力を各国が行わなければならない』と唱える。
 日本にはヘイトスピーチ自体を処罰する法律は存在せず、在日コリアンらを標的にしたデモや集会が後を絶たない。フランスの事件から何を学ぶべきか。
 前田氏は『事態は(欧州と)共通してくる。表現の自由を大事にするならその分、表現の責任をきちんと自覚しなければいけない』と訴えた。」


記事末尾の「デスクメモ」は「秘密法を推進した政治家やメディアが、仏の週刊誌銃撃テロ事件では『言論、報道の自由に対するテロだ』と叫ぶ。矛盾を感じないのだろうか。絵に描いたような二重基準である」と締めくくっている。