Wednesday, December 28, 2016

大江健三郎を読み直す(69)「一瞬よりはいくらか長く続く間」

大江健三郎『燃えあがる緑の木 第一部「救い主」が殴られるまで』(新潮社、1993年)
大江健三郎作品を読み返す作業を2014年1月に始めた。丸3年かかって、ようやく本書にたどり着いた。かつて、大江の初期から本書まで、主要な作品をずっと読んだものだが、その後、あまり読まなくなった。1994年から2010年ころまでの大江を熱心に読むことがなかった。たまたま目に入った新聞や雑誌のエッセイ等を読んだが、小説作品を購入することはなくなっていた。
大江健三郎を読み直す(1)
http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
今回は全作品を読もうと思っているが、多忙のため、この先の道のりも長い。
『第一部「救い主」が殴られるまで』は、新しいギー兄さんと語り手であるサッチャンを中軸に物語が進行する。大江はK伯父さんと呼ばれる脇役として登場する。森の伝承と記憶を語り継ぐオーバーが亡くなり、葬儀に際しての「奇跡」によって「救い主」となったギー兄さんが、正体を暴かれ転落していくところまでである。
『懐かしい年への手紙』、『燃えあがる緑の木』3部作、『宙返り』に至る時期の大江は、四国の森の奥の伝承と記憶と奇跡を、自分自身が語ることから、他者の視線で語るように変化していったように見える。同時に、それまでも主題として重視されていた「祈り」や「癒し」をさらに深める方向に歩み続けた。1990年代の世界と日本を前に、核時代、冷戦終結、グローバリゼーションが同時並行する時代に「文学」は何を語るべきなのか。自ら行き詰まりと表明しながら、小説の方法論を再度、編成替えしようとしていたのであろう。大江ほど方法論にこだわった作家はいないだろうが、大江ほど、方法論に行き詰まり、次の一歩を模索した作家も少ないだろう。本書はそうした時期の作品ともいえる。
もっとも、当時読んだ印象では、それまでの作品群の延長上に安定した物語世界が紡がれているのだと受け止めていたように思う。
キーワードの一つは「一瞬よりはいくらか長く続く間」である。ギー兄さんとカジの会話をはじめ、繰り返される「一瞬よりはいくらか長く続く間」。それを後に大江は「自分がかいま見た永遠」と説明している(『大江健三郎 作家自身を語る』新潮文庫)。「祈り」と「癒し」と「永遠」がどのように交響するのか。第二部以下を読まなかった私には、謎のままである。
なお、「大江健三郎(ほぼ)全小説解題」と題した『早稲田文学』の特集は、なぜか『燃えあがる緑の木』3部作を取り上げていない。
それから、些末なことだが、ギー兄さん非難の前面に立った「暁新報」の花田記者は、大江批判を繰り広げていた本多勝一がモデルかもしれない。本多勝一と大江健三郎のすれ違いは、残念なことだった。