Monday, July 30, 2018

目取真俊の世界(9)憎しみと暴力の「青春」


目取真俊『虹の鳥』(影書房、2006年[新装版2017年]


「小説トリッパー」2004年冬季号に発表された著者の第2長編である。第1長編の『風音』の基調が悲しみと懐かしさであったのに対して、本作は憎しみと暴力が満載である。少女管理売春、美人局、恐喝、暴行、傷害、リンチ、殺人が、これでもかこれでもかと描かれる。


中学校を暴力で恐怖支配したメンバーが後に組織化し、暴力と薬物で他人を巻き込んで生きていく。使い走りの主人公は、少女を預かり、売春させ、買春男の写真を撮影して、その写真をネタに恐喝を行う。これが組織の収入源である。少女は薬物の餌食となっている。信じがたい幼稚さと粗暴さと浅薄さと無知がからみあった退廃した「青春」。青春を食いつぶす情けない「青春」。個性なき人物に無意味な暴力を振るわせることによってかろうじて「個性」を持たせる。読者は何度も呆れ、ページを閉じ、読書を断念したくなるだろう。軽率な文芸評論家は「圧倒的な暴力を描き尽くした」とピント外れの論評をすることになるだろう。


基地の島・沖縄の暗黒の断面をあぶり出すには、個々の身体における暴力とその結果が効果的なのだろうか。基地、軍隊、戦時性暴力、騒音、米軍犯罪という巨大な構造的暴力の下に置かれた沖縄を生きる少年少女達の卑小な暴力。やり場のない、人間的交流のない、はかない暴力。とことん無気力で、惰性的で、あっけない暴力。ここに描かれたのは「圧倒的な暴力」ではなく、あまりに矮小で、あまりにくだらない、あまりに救いのない卑小な暴力だ。目取真は、その先を描き出すためにこの暴力を描いたのではない。「その先」などないこと、あらかじめ奪われていることを示すためにこの暴力を徹底的に描いたのだろう。


売春に利用された少女の無感動と無知性がたどり着いた先で、物語が急展開する。幻の虹の鳥が羽ばたく瞬間を夢見て、少年は夜の森へ失踪する。だが、虹の鳥が羽ばたくことはないだろう、と言ってしまってはいけないのだろうか。