Saturday, June 01, 2019

鹿砦社・松岡利康さんへの返信 (2)


鹿砦社・松岡利康さんへの返信 (2)



松岡利康さん



お返事ありがとうございました。5月28日付の下記の記事を拝読いたしました。

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます 鹿砦社代表 松岡利康




那覇からお返事差し上げます。渡嘉敷・座間味・粟国・渡名喜・久米島・南北大東の離島を結ぶ船舶が発着する泊港にある「とまりん」のテラスでさんぴん茶片手に、東シナ海からの爽やかな風に吹かれているところです。明日2日に琉球大学で開催されるシンポジウムに参加します。

東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会 第19回公開シンポジウム

「脱植民地化運動としての琉球民族の遺骨返還運動」                


琉球の墓地から盗掘した琉球民族の遺骨を京都大学が隠し持っている事件で、昨年12月に京都地裁に提訴がなされ、裁判が進行中です。京都地裁ですので、取材していただけますと幸いです。




さて最初に、私の事実誤認をご指摘いただきましたこと、お礼申し上げます。ありがとうございます。鹿砦社の5冊の本は当時通読いたしましたし、判決文も一読しましたが、手元に置いてひも解くことなくお返事を差し上げました。本件に一貫して熱意をもって取り組んでこられた松岡さんらしく、私のミスを速やかにかつ的確にご指摘いただきました。

孤立した被害者を支援し、事実の解明に多大のご努力を払ってこられたことに改めて敬意を表します。比類のない情熱でエネルギーを注いでこられただけに細部に至るまで正確に記憶なさっていることに感銘を受けました。

ところで、せっかくこれほど力を尽くして本件に向き合ってこられたのですから、もう一歩前進するために、細部に目を配るだけでなく、目の前の最重要事実を直視されてはいかがでしょうか。松岡さんが唱えたストーリーの根幹部分が裁判において否定されたのです。要の飛び散った扇をあおいでも周囲に風を送り届けることはできません。目をそらしたい結論であっても、判決において認定された事実に照らしていったん自分のストーリーを再点検のうえ出直すのが良識ある市民というものです。延々と自説を繰り返しても、要の吹き飛んだ扇に振り回されていると見られるのではないでしょうか。

本件で「冤罪」という言葉を使うことができるのは、民事裁判で被告の立場に立たされて、あらゆる非難を浴びてきた李信恵さんです。原告を支援して、他者に厳しい糾弾の言葉を突きつけてきた松岡さんが使う言葉とはとうてい考えられません。

繰り返しになりますが、受け入れがたい事実であっても、双方の立証活動をふまえた上で裁判所が下した判断が確定したのですから、社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要です。ほんの少しの勇気を払って、事実は事実として受け入れてはいかがでしょうか。

松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、認定されなかった事実に固執して他者を論難することは決して自由の範囲ではありません。

事実を受け入れることは決してメンツが潰れることではありません。勇気を奮って事実を直視したうえで次の一歩を踏みだせば、新しい扇でもって爽やかな風を巻き起こすことができるに違いありません。そうすればより多くの人々が耳を傾けることになるでしょう。その時にはふたたびお手紙をいただけますと幸いです。

なお、これも繰り返しになりますが、私の『救援』記事の骨子にはいまのところ訂正の必要を認めません。関西で起きた、見ず知らずの人たちのトラブルに私はまったく関心がありませんでした。松岡さんのおかげで、かねて敬愛する友人たちが事態を適切に解決できなかったことを知り、『救援』記事で友人たちに忠告をしておきました。私にとってはそれで十分です。裁判が終結して法的に決着がついた後になって、「判決など関係ない。我こそ絶対正義なり」と呼号して関係者を問い詰める理由はどこにもありません。まして、権力批判に疲れたからと言って、マイノリティである在日朝鮮人女性叩きに「豹変」する才覚は持ち合わせておりません。

前回詳しく申し述べた通り、私は反差別、反ヘイトの研究と実践をライフワークとしておりますので、私の取り組みに友人たちに協力してもらうのは当然のことです。

松岡さんも、反差別と反ヘイトの運動に、応援団、兼、厳しい監視人として協力していただけますと幸いです。

ありがとうございました。

松岡さんと鹿砦社のますますのご発展、ご活躍を祈ります。