Friday, February 07, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(148)「嫌韓」の歴史的起源


加藤直樹「歪んだ眼鏡を取り換えろ――『嫌韓』の歴史的起源を考える」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



加藤は、「嫌韓」は「単なる感情ではなく、一つの世界観であり、認識の枠組みである」として、この「眼鏡」をかけている限り、朝鮮蔑視、韓国蔑視は強まることはあっても、容易には是正されないと見る。その上で、この「眼鏡」には3つの歴史的起源があるという。第1に尊王思想、第2に進歩主義、第3に植民地経験だという。

1の尊王思想とは、近代国民国家形成に当たっての尊王攘夷思想により、国家の正当性を天皇に求め、大日本帝国を確立したことを指す。水戸学以来の帝国のファンタジーであり神話が基礎となる。この神話の世界では朝鮮は日本の「属国」でなければならない(三韓征伐)。

2の進歩主義とは、西欧近代に学んだ日本はその進歩主義を取り入れることになった。追いつき追い越せの近代化、発展段階論は、日本が西欧近代に迫ることと同時に、遅れた朝鮮を必要とする。自らを文明とし、朝鮮を野蛮とする思考は、明治の支配層以来の伝統であると同時に、進歩的な経済学者やマルクス主義者にも共有された。

3の植民地経験は言うまでもない。植民地化過程における虐殺を通じて、日本の庶民は朝鮮人を非人間的に扱うことを学んでしまった。

加藤によると、1945年の敗戦にもかかわらず、この3つの思想は消失したのではなく、忘れられたり、変容を伴いつつ、継続していくことになった。植民地を失ったにもかかわらず、日本人の朝鮮観には切断が生じなかったという。

そして、1990年代以降、冷戦構造の終焉とともに、東アジアの地勢は構造的変化を始め、「日本人は150年来初めて、韓国のもつ他者性を認め、それを通じて、日本を唯一のモデルとする単線的な発展段階論を否定しなければならない事態を突きつけられている」。

しかも民主化した韓国は、日本の過去を見事に照らし出す。日本は文明ではなく

「野蛮」だったのではないか。この事態を引き受けることのできない脆弱な日本人が悲鳴をあげ、否認に走る。それが「嫌韓」であり、ヘイト・スピーチとなって噴き出す。

「だが、歴史の流れは止められず、日本人はいずれ、尊王思想、進歩主義、植民地経験を通じて作り出された『眼鏡』の方を捨て去らなくてはいけなくなるだろう。それでも、断末魔に陥った人ほど恐ろしいものはない。私たちが『早く眼鏡を取り換えろ』と叫ぶ必要が、ここにある。」



基本的に同感である。

私自身は日本人の朝鮮蔑視、ヘイト・スピーチを2種の枠組みで理解してきた。第1は、「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」である。西欧近代の植民地主義と類比的な過程を経て、日本は周辺諸国を植民地化してきた。第2は、近代の中での時期区分である。韓国併合以来の植民地経験、敗戦後になされなかった植民地清算、朝鮮半島分断と日韓条約体制、9.17以後の激烈な朝鮮蔑視とライバルとなった韓国への敵視といった流れで、重層的に積み重なった差別とヘイトという理解である。

ヘイト・スピーチについて、「2009年に日本でもヘイト・スピーチが始まった」という評論家がいるが、そうではない。日本による朝鮮・韓国へのヘイトには「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という長い歴史があり、その中で現象形態を変えてきた。このことを見失った議論は不適切である。加藤の理解は私と共通するところが大きいと思う。