Friday, February 14, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(149)朝鮮人から見た沖縄


呉世宗「朝鮮人から見える沖縄の加害とその克服の歴史」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



沖縄における朝鮮人の歴史は日本政府も沖縄県も調査してこなかったという。沖縄戦に関しても、さまざまな歴史資料の中に、断片的に記載され、推測がなされてきた。沖縄戦における朝鮮人の被害は「不詳」とされるが、計り知れない被害があったと考えられる。日本と沖縄の加害と被害の歴史の中に置かれた朝鮮人は、沖縄による被害も余儀なくされた。このことに焦点を当てる研究がなかったわけではなく、徐々にその相貌が浮かびあがってきた。呉世宗『沖縄と朝鮮のはざまで』(明石書店)は最新の研究成果である。

呉は、本論文で、沖縄による加害を紹介したうえで、加害を克服しようとする沖縄、加害を乗り越えようとする沖縄にも焦点を当てる。第1に、1960年代の復帰運動、特に反復帰論というラディカルな思想の重要性、そしてアジア。アフリカ諸国の国際連帯における沖縄の位置を測定する必要があるという。呉は次のように言う。

「そのように沖縄の復帰運動は、アジアやアフリカにも開かれた運動であったからこそ、パレスチナや朝鮮民主主義人民共和国など、いわゆる第三世界から共に闘おうという連帯のメッセージが送られてくることとなった。沖縄を『悪魔の島』と呼んだベトナムからも連帯のメッセージが届けられたことは、復帰運動が普遍的な平和を目指す運動であったことを示すものであった。そのようにして復帰運動は自らを外に開き、第三世界との連帯を模索したからこそ、自分たちの加害性に向き合う土壌を作り出していくことになる。」

それゆえ、第2に、1960年代の沖縄戦記録運動の中で、この課題が継承されていく。沖縄戦の記録を目指す運動の中で、何のために記録を残すのか、何のために証言するのかという問題意識の反芻の結果、沖縄の中にいたアジア人である朝鮮人の「発見」にたどり着いた。このことが沖縄の加害の自覚につながった。呉は、安仁屋政昭を例証として、このことを確認する。

「復帰運動及び記録運動の経験は、沖縄が持つアジアとの連帯の可能性を示すものであり、いまも継承されるべき思想的資源であると考える。自分たちの歴史の中にはアジアの人たちがいて、彼彼女らの歴史と自分たちの歴史を別々のものとして分けることなく絡みあっているままに受け入れていく、そのような歴史の見方や思想が60年代の運動のなかで生まれていたためである。それは民衆の側から他者を可視化し、自らの責任に向き合う契機を作り出した、沖縄固有の驚くべき出来事であった。この経験に基づいた公的な調査の実施や、沖縄が主軸となっての日韓の民衆連帯の形成が期待される。」

重要な指摘である。沖縄の反戦平和運動は、1960年代だけでなく、その後もアジアにおける平和運動を意識して進められた。本土の平和運動とは趣を異にする。朝鮮人から見た沖縄という視点は実に重要である。