Thursday, September 17, 2020

満天の星々をギュッと結晶に

 

清末愛砂『ペンとミシンとヴァイオリン』(寿郎社)

https://books.rakuten.co.jp/rb/16430688/

https://7net.omni7.jp/detail/1107123854

アフガニスタンの夜空を見たのはほんの数回だ。

カーブルで、ジャララバードで、マザリシャリフで、仰ぎ見た青黒いカーペットには数えきれない星屑が散乱していた。東京で見る星空とは異質のきらめきだ。

あの夜空をいつも見ている人々は、どんな暮らしの中で、どんな思いで、どんな夢を描きながら、カーペットの彼方に目を向けているのだろうか。

RAWA(アフガニスタン女性革命協会)との連帯活動はすでに10数年の歴史を数えた。ほんのささやかな、小さき者たちの活動の中で、なぜ私たちはRAWAに学び、RAWAと連帯するのか。RAWAとは私たちにとって何なのか。このことを問い直し続けてきたと言って良いだろう。

戦乱の続くアフガニスタンで女性の権利を掲げることは、それ自体が「革命」である。

イスラム原理主義が支配するアフガニスタンで女性の権利を求めて立ち上がることは、命の危険を招く。それでも立ち上がる女性たちがいる。

RAWA創設者のミーナーは、女性の権利を唱えたために、暗殺されてしまったが、ミーナーの娘たちが歴史を紡いできた。

戦争、内戦、爆弾テロ、誘拐の吹き荒れるアフガニスタンで、女性が一人の人間として生きることは何を意味するのか。

遥かなアフガニスタンに思いを馳せながら、日本を生きる私たちがRAWAに学ぶとは何を意味するのか。

清末愛砂『ペンとミシンとヴァイオリン――アフガン難民の抵抗と民主化への道』(寿郎社)

清末愛砂という一人の憲法学者がアフガニスタンに通い続けているのは、夢を夢見る能力に促迫されての必然である。

ペンとは識字教育を意味する。イスラム原理主義者による妨害のため、少女たちは学校に通うことさえ困難である。難民状態ならなおのことだ。RAWAは、女性には権利があることを知るためにも教育が不可欠と考え、識字教室、孤児院、学校を作ってきた。

ミシンとは職業訓練を意味する。教育を受けられず、手に職のない女性たちが生きていくために、ミシンや絨毯づくりが一つの道を開く。RAWAは女性たちにミシンの使い方を学んでもらい、衣類を売ることで家計の足しにする努力を続けてきた。

ヴァイオリンとは芸術教育、情操教育である。文化の力で、女性たちが生きる意味を考え、世の中に目を向け、社会の在り方を変えていくために、歌とダンスとヴァイオリンを導入してきた。

RAWAと連帯する会共同代表の清末愛砂は、昨年、『平和とジェンダー正義を求めて――アフガニスタンに希望の灯を』(共著、耕文社)を、今年、『<世界>がここを忘れても――アフガン女性・ファルザーナの物語』(寿郎社)を世に送り出した。これらに続く本書『ペンとミシンとヴァイオリン』は、清末自身がアフガニスタン訪問の際に撮影した多数の写真を収録している。

意を決してのカーブルへの道、粉塵にまみれたカーブルの雑踏、RAWAの教室の子どもたち、ミシンを操作する女性たち、弦楽器シタールやヴァイオリンを演奏する子どもたち、悲哀と絶望と勇気と困惑を抱えながらのカーブルからの道――清末の視線は、そっと優しく、すべてを慈しむように。

ハイバル峠とヒンドゥークシと沙漠の乾いた大地を生きる女たち、子どもたち、男たちの希望が打ち砕かれるたびに微かに悲鳴を上げるラピスラズリ。そのひそやかな輝きのように、満天の星々を集めてギュッと握りしめた結晶にして、清末は差し出す。

夢を夢見ることは、その先で、現実を変えることである。