Saturday, September 30, 2023

「法の日」について

930日の朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に次の一文がある。

<あすは法の日。昭和の初めに陪審法が施行された日にちなむ。成立・公布はその5年前。今年でちょうど100年。>

日本で初めて陪審制を導入した陪審法にちなんで101日を法の日に定めたという。これは間違いではないが、ニュアンスが事実とはかなり異なるところがある。

私は大学院生時代に、この件を調査したことがある。当時の資料がいま手元にない。当時、私が書いた文章も手元にないので、40年以上前の記憶だけに頼って書くと、次のようなプロセスである。

1923年 陪審法公布

1928年 陪審法施行(101日。一部は1927年に施行していた)

1943年 陪審法施行停止

1943年に施行を停止した陪審法の施行停止を解除しないまま、101日を法の日にしたというのは奇妙な話である。わざわざ法の日を101日にするのであれば、施行停止を解除していなければおかしい。

そこでさらに調べると、第2次大戦前、司法部内で「司法の日」が記念されていた。101日を選んだのは、1928101日に天皇が東京地裁を訪問し、1940年頃(正確な年数を記憶していない)の101日にも天皇が東京地裁を訪問した(裁判所構成法の関連だったと記憶しているが、定かでない)。昭和天皇が裁判所を訪問したのはこの2回だけであった。そこで「司法の日」とされた。

第2次大戦後、「司法の日」記念式典はいったんなくなった。

1960年、いわゆる「60年安保」の激動の年に、安保に反対する民衆の運動が盛り上がった。これに対して、最高裁判所や法務省が危機意識を持ち、国民に対して上から「法を守れ」と意思表示をするために、「法の日」を制定した。その際に「司法の日」と同じ日付とした。

これには日本弁護士連合会も協力した。このため、日弁連の機関誌『自由と正義』が法の日特集を組んでいる。何号だったか記憶していないが、196010月より少し後のことだ。

そこには、第1に、平賀健太(法務省民事局長)の論文が掲載されている。後に19699月、札幌地裁所長として「平賀書簡問題」を引き起こした平賀健太である。「司法反動」の引き金を引いた平賀である。

2に、大きな写真が1枚掲載されている。日弁連会長ら、及び各地の単位弁護士会の会長らが、昭和天皇に謁見したとかで、その直後の記念写真である。

101日を法の日にしたのは、陪審法のためと言うよりも、天皇制司法のためである。おまけに、「司法反動の記念日」である。その際、天皇に拝謁して大喜びしたのが全国の弁護士たちである。

以上は、40数年前に調べた私の記憶である。不正確なところもあるかもしれないので、どなたかきっちり調査してくれると良いのだが。