Tuesday, July 14, 2026

在日は、新しい!

崔善愛『私の「風速計」』(いのちとことば社)

https://www.wlpm.or.jp/pub/?sh_cd=117824

『週刊金曜日』などに綴った随筆を1冊にまとめた著書である。

冒頭のエッセイ「『恩赦拒否』でよろしく」で、30年前の「代替わり」で「恩赦を拒否」した体験を語る。1981年の指紋押捺拒否で有罪とされ、最高裁に上告中、 1989年、昭和天皇死去に伴う恩赦。

「この国は国策がゆきづまると、天皇皇后がお出ましになる。戦争も公害も原発も、被災地で天皇に慰められることで、美しい物語『浄化』され、国の責任を問う者は恩赦で『赦されて』終わったことにされる。」

恩赦も合祀も拒否する市民の宣言である。60本を超えるエッセイのテーマは、この国の戦争、植民地支配、虐殺と強制連行、戦後の植民地主義の隠蔽、戦後のナショナリズム、「外国人」差別、排外主義である。その中心に盤踞しているのが天皇である。このいびつな支配構造に疑問を抱かないのが「日本人」である。この抑圧のシステムを心地よく感じるのが「日本人」である。

積極的に差別するだけではない。例えば、この国の憲法学には「人間の尊厳」という普遍的概念がない。一部の憲法学者は「人間の尊厳」を唱えるが、日本国憲法にはこの言葉がないため、主流の憲法学者は「人間の尊厳」を認めない。かわりに「個人の尊厳」と唱える。普遍性のない特殊な個人の尊厳にすぎない。これでは法の下の平等と非差別の憲法にならない。

差別を内包する憲法論の下で、外国人差別はとめどがない。最近は<日本人ファースト>が叫ばれる。「もっと差別したい」という合唱である。100年にわたって差別され、殺されてきた在日朝鮮人には差別の恐怖が繰り返し押し寄せる。

著者は歴史と現在を往還しながら、民族と個人を手探りしながら、差別に抗する言葉を紡ぐ。

著者はピアニストなので、随所でショパンに言及する。『ショパン――花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)の著者である。

最後に著者は次のように述べる。

「帰る場所も拠り所もない、さまよいながら、自分の生き方を貫く人々は世界中にいる。だからこそ在日は、普遍的な存在になり得ると思う。日本と朝鮮半島の歴史が生み落とした在日コリアン。一〇〇年の歴史と苦難が私たちにもたらした独自の価値観や文化、そのたくましさ。

 苦難を苦難として終わらせない。その中から獲得したものがきっとある。その感性を分かち合える私たち在日は、新しい!」

普遍性を拒否し、自民族中心主義に浸ってきた日本の読者は、この言葉をどう読むだろうか。

「一〇〇年の歴史と苦難が私たちにもたらした独自の価値観や文化、そのたくましさ」に、在日の特殊性と普遍性が息づいていることを読み取れるだろうか。