Thursday, July 26, 2012

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう


ヒューマン・ライツ再入門21

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう(一)

                    



雑誌『統一評論』537・538号(2010年9月、10月)









一 韓国併合一〇〇年を迎えて



 七月一九日、東京・新宿で「東アジア歴史・人権・平和宣言」運動の第一回インタヴュー講座が開催された。同宣言運動の提唱者で実行委員長の徐勝(立命館大学教授)への公開インタヴューである。

 韓国併合一〇〇年の二〇一〇年に、各国の民衆がさまざまな取り組みを進めている。日本でも数多くの市民が併合一〇〇年を契機に、日本による植民地支配を振り返り、反省する営みを続けている。各地で各界各層の取り組みがなされている。

 それにもかかわらず、屋上屋を架すような「東アジア宣言」運動を立ち上げたのはなぜか。

  徐勝によると、日韓の一〇〇年を振り返ることはもちろん重要だが、それだけでは不十分である。第一に、地域的な意味で考えると、日本と韓国(朝鮮半島)だけでなく、大日本帝国が版図を延ばした東アジア全体を視野に入れる必要がある。第二に、時間的な意味では、近代一〇〇年だけでなく、列強・西欧帝国主義による植民地支配五〇〇年を捉える必要がある。その意味で、韓国併合一〇〇年を問うことは、西欧帝国主義による世界分割の歴史の中に、日本帝国主義による東アジア植民地支配の歴史を組み入れることでなければならない。

 そうした問題意識を持って考えると、この問題に取り組んだ先例として、ダーバン宣言がある。それゆえ、ダーバン宣言に学びながら、東アジアにおける植民地主義と人種差別の歴史を総合的に分析し把握する作業が不可欠である。一〇〇年という大きな節目の年であるからこそ、世界史的な視野と問題意識で考えることが重要である。ダーバン宣言の際には、アフリカやカリブ諸国の議論が中心となっていて、東アジアのことは主たる議論の対象となっていなかったので、なおさらである。



二 呼びかけ文



 東アジア歴史・人権・平和宣言のための同委員会は、二〇〇九年冬から準備を始めて、二〇一〇年初頭に動き始めた。その「呼びかけ文」(二〇一〇年三月二〇日)は次の通りである。

     *       *

 今年二〇一〇年は、日本が朝鮮を併合してから一〇〇年目に当たります。韓国と日本との関係は韓流ブームと言われるほど文化的には身近なものになってきましたが、植民地支配・侵略をめぐる歴史認識には大きな隔たりがあります。また、朝鮮民主主義人民共和国とは未だに国交正常化すら実現していません。在日コリアンへの差別がなくならないのも日本が過去の植民地支配・侵略の歴史を清算できていないからだと考えます。

 過去の植民地支配・侵略の清算は日本と韓国だけの課題ではありません。二〇〇一年九月、南アフリカのダーバンで、「反人種主義・差別撤廃世界会議」が国連主催で開催されました。この会議で討議されたことのひとつは、「奴隷制と植民地支配の清算」でした。過去五〇〇年ほど人類を支配してきた西欧諸国による奴隷制と植民地支配の歴史的清算が、国連の国際会議で提起されたことは画期的なことです。私たちが日本の過去の植民地支配を清算することは、こうした国際社会の潮流とも合致するものであり、明治以降、日本が近隣諸国に与えた被害を真摯に反省し、未来に向けて全ての差別をなくし、人が人を支配する制度を拒否することを意味します。

 近代以降、「文明」の名による「野蛮」の支配を自らの使命とした西欧の勢力は、アヘン戦争を皮切りに東アジアへの侵略、戦争、支配を進めてきました。日本は明治以降、「文明開化」の名のもとに西欧を模倣・追従し、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、中国大陸へと帝国の版図を広げてゆく中で、莫大な被害を生み出すだけではなく、日本の民衆自体が軍国主義のくびきの下で抑圧に呻吟し、ついには三一〇万人の死者を出す破局を迎えたのです。

 日本の朝鮮併合一〇〇年を日韓間の民族的葛藤に矮小化せず、五〇〇年にわたる西欧中心の世界の克服という普遍的な歴史的脈絡の中に位置づけ、東アジアの近現代史を全面的に見直し、ダーバン宣言の精神を東アジアにおいて継承し、具体化するために、二〇一〇年八月に「東アジア歴史・人権・平和宣言・行動計画」(東アジア宣言と略す)を東アジアのNGOが共同して策定することにしました。

 ここに多くの方々がこの宣言策定に積極参加し、東アジアにおける歴史清算と人の権利回復、平和の要求を列挙し、それを実現させる具体的な行動計画を提示することを呼びかけます。この東アジア宣言が、世界、とりわけ東アジア各国の政府と市民に共有され、東アジアの未来の協働に向けた指針になるものと私たちは信じます。



三 東アジア宣言の趣旨



 右の呼びかけ文と同様であるが、宣言と行動計画の作成に向けての協力呼びかけの「趣旨文」は次の通りである。

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(1)人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に関する、二〇〇一年のダーバン会議の宣言と行動計画は、差別がもたらした地球社会の問題と課題、なかんずく奴隷制と植民地支配の莫大な被害と不法性を明らかにした歴史的文書である。

(2)ダーバン会議の精神を引き継いで、東アジアにおける差別と差別の源泉を明らかにし、アフリカの奴隷制に焦点を当てた同会議において議論されることの少なかった東アジアにおける帝国主義の植民地支配の災難を明らかにし、その責任の所在を明確にして、根源的防止策を提案することによって、東アジアにおいて持続的な平和を実現する必要がある。

(3)文明と野蛮という差別主義からもたらされた、西欧の侵略、戦争、植民地支配は、1世紀半にわたって、東アジア地域に甚大な被害を与えたことを認め、謝罪、賠償、再発の防止という「過去清算」が誠実に行われることが、未来に向けて東アジアの協働の不可欠な前提であることを確認する。

(4)東アジアにおける過去清算は、南北朝鮮、台湾をはじめ、各国の政府と、東アジアのNGOによって、その間、取り組まれてきた努力と成果の上に構築されるものであるので、ここに全体の成果と要求を総合し、網羅する。

(5)アヘン戦争にはじまる東アジア近代における侵略、戦争、植民地支配は、大きな傷跡を残し、帝国支配による「分割・支配」は今日においても地域における分裂と対立を作り出しており、この地域における平和の最も大きな脅威となっている。

(6)東アジアにおける過去清算という「歴史的人権」の回復と平和は不可分に連結しており、東アジア共同体に向けての最も重要な課題となっている。

(7)そこで、二〇一〇年日本の朝鮮併合一〇〇年を契機にして、二〇一〇年八月に東アジアの近現代史を全面的に見直す過去清算のための平和宣言・行動計画を東アジアのNGOを主体として策定する。ここに東アジアにおける過去清算と平和の要求を列挙し、それを実現する具体的な課題を行動計画として提示する。



四 ダーバン宣言とは



  それでは「ダーバン宣言」とは何か。二〇〇一年八月三一日から九月八日にかけて、国連人権高等弁務官主催の「人種主義に反対する世界会議」がダーバン(南アフリカ)で開催された。最終日に採択された宣言と行動計画を「ダーバン宣言・行動計画」と呼ぶ。

 国連はそれ以前にも人種差別に反対する世界会議を二回開催したが、その時は、旧宗主国と旧植民地国の間の対立が先鋭化して、空中分解してしまった。そこでダーバン会議が開催された。途中、アメリカとイスラエルが会議をボイコットしたが、それ以外の諸国は最後まで議論を続けて、苦心の末に宣言と行動計画をまとめた。

 その最大の成果が、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを認めたことであった。国連の歴史上はじめてのことである。

 もっとも、旧宗主国による謝罪と補償を義務付けていないため、多くの限界が残るが、ともあれ人道に対する罪を認めたことは大きく、旧植民地諸国からも歓迎された。

 「宣言」(一二二パラグラフ)と「行動計画」(二一九パラグラフ)は、植民地時代の奴隷、奴隷制度、奴隷貿易が人道に対する罪であるとの認識、及び人種主義、人種差別、外国人排斥の撤廃を中心に、移民、先住民、宗教、貧困撲滅、人身取引、女性、子どもの権利、複合差別といった幅広い分野に関し言及がなされている。

 その後も国連ではフォローアップ会議が続けられている。もっとも、人道に対する罪を認めたことから、旧植民地諸国はさらに一歩を進めた議論を呼びかけているため、旧宗主国であった西欧諸国側は、これ以上譲歩しないために国連での会議を時にボイコットしている。ダーバン会議を途中からボイコットしたアメリカとイスラエル、フォローアップ会議をボイコットしている西側諸国のため、かつての二回の会議と同じ状況に陥りかねないが、国連人権高等弁務官と数多くの諸国の努力で、この間も地道な検討会議が続いている。

 なお、日本政府は、独自の立場を採用している。

 二〇〇一年のダーバン会議の際には、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとともにJUSCANZグループを結成し、会議の進行に加わっていた。JUSCANZのなかで、日本政府は、人道に対する罪を認めることを早くから提言していた。このことは文書では残されていないようだが、当時、日本の外交官がNGOに対して繰り返し説明していた。実際、日本政府は他の諸国に対して人道に対する罪を認めるように説得していた。ただし、謝罪と補償については認めない立場であり、アフリカ諸国が補償要求をしているのでなかなかまとまらないと説明していた。当時の日本政府の立場は、人道に対する罪を認めつつ、経済協力方式で解決できるというものだったようだ。途中でアメリカがボイコットして不在となった後も、日本政府はダーバン宣言をまとめる作業に協力し続けた。

 その後のフォローアップ会議については、日本外務省自身がウエブサイトに次のような開設を掲載している。        *       *

1)米国をはじめとする複数の西欧諸国が会議不参加を決める中で、わが国としては、本件会議の本来の趣旨である人種主義・人種差別への反対の姿勢を示すとの考え、また本件会議を対立の場とするのではなく建設的対話の場としたいとの考えから、会議参加の対応をとった。(ウホモエビ人権理事会議長より、我が国代表団に対して、我が国が本件会議をボイコットしなかったことに対して謝意表明があった。)

2)我が国は、成果文書の文言交渉で、イスラムに対する差別禁止やイスラム恐怖症等への言及に固執するOIC諸国に対し、人種差別撤廃という会議の本来の目的を踏まえ、特定の国や宗教に言及すべきではないこと、他の宗教も含めたバランスの取れた一般的な書きぶりとすることを一貫して主張してきたところ、今回、一般的表現の成果文書が採択されたことで、成果文書において一定の貢献をしたと思われる。

      *       *

 人種差別問題に関する日本政府の姿勢には極めて大きな疑問があるが、少なくともダーバン会議及びフォローアップ会議に対する日本政府の姿勢は評価できる。

 フォローアップ会議では、人種差別撤廃という開催目的を再確認し、ダーバン宣言と行動計画のレビューや今後の施策を含む成果文書が、EU一部諸国、アフリカ、OIC加盟国等を含めコンセンサスで採択された。ここに日本政府も加わっていることは重要である。日本政府はアフリカやイスラムに関連する人種差別を念頭においているようだが、同じ人種差別が日本国内にあるのだから、国内における差別撤廃の施策を迫っていく必要がある。そのためにNGOは人種差別撤廃委員会その他の国際人権の舞台で活動を続けてきたが、東アジア宣言運動はその一環でもある。



五 東アジア宣言と行動計画



 東アジア宣言も、ダーバン宣言と同様に、宣言と行動計画を柱にまとめる予定である。

 宣言は、同実行委員会事務局が原案を作成して、呼びかけ人その他の意見を集約して修正作業を積み重ねて準備する。日本だけでなく韓国、在日朝鮮人などの意見を反映させていく。現在準備中の宣言・第一次案の構成は次の通りである。

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前文

Ⅰ 総論

Ⅱ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の源泉、原因、形態、現代的諸現象

Ⅲ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の被害者

Ⅳ 韓国併合一〇〇年における植民地主義と差別の被害者

Ⅴ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の根絶を目指した予防・教育・保護の措置

Ⅵ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の効果的な救済、回復、是正、補償その他の措置

Ⅶ 東アジアにおける信頼醸成、平和構築、核廃絶、地域人権機関の設置その他の措置

      *        *

 行動計画は、さまざまな市民運動、戦後補償訴訟の原告や弁護団、研究者など多くの人々の協力で執筆して行く。行動計画についての具体的作業は進んでいないが、例えば次のような項目が想定されている。

  1 東アジア植民地責任論

  2 東アジアにおける戦争犯罪と人道に対する罪

  3 韓国併合の歴史認識・法認識(条約問題)

4 民衆虐殺(植民地および日本におけるジェノサイド、朝鮮半島、独立闘争、関東大震災)

5 民衆虐殺(南京事件)

6 強制連行・労働(朝鮮人強制連行[事件別]、中国人強制連行[事件別])

7 日本軍性奴隷制(および戦場強姦)(女性国際戦犯法廷判決以後、NHK訴訟、各国の被害女性の要求、各国議会決議、自治体決議)

8 七三一部隊細菌戦(訴訟経過)

9 毒ガス(化学兵器禁止条約以後)

 10 歴史教科書(教科書論争、歴史偽造教科書、共同教科書の試み)

 11 靖国(参拝、合祀問題)

 12 アイヌ民族に対する差別(国連宣言以前、国連宣言以後の変化、今後の課題)

 13 沖縄/琉球民族に対する差別(琉球処分、沖縄戦、天皇メッセージ、米軍基地)

 14 米軍基地問題(在韓米軍基地、在沖米軍基地)

 15 在日朝鮮人に対する差別(日本政府による法的制度的差別、日本社会における差別、最近のヘイト・クライム)

 16 在日中国人に対する差別(日本政府による法的制度的差別、日本社会における差別)

 17 移住者・在日外国人に対する差別

 18 難民・難民認定申請者

 19 複合差別(女性、若者、障害者、中国帰国者、セクシュアル・マイノリティ・・・)

 20 東アジア真実和解委員会

 21 東アジア人権機構

 22 東アジア非核地帯



六 インタヴュー講座



 これまでのところ、宣言・第一次案の主要部分が徐々に仕上げられているが、まだまだ不十分であり、より多くの人々の意見を元に修正して行く必要がある。宣言の修正と行動計画の執筆を考えると、当初目標の二〇一〇年八月の完成は難しい。

 そこで実行委員会では、宣言・第一次案の作成は当初目標の通り二〇一〇年八月としながらも、宣言運動の期間を二〇一一年九月八日のダーバン宣言一〇周年まで延長し、この一年間の間に、宣言のブラッシュアップ、行動計画の執筆を進めることにした。

 そのために「東アジア平和・人権・宣言」実行委員会の企画・連続インタヴュー講座「ダーバン宣言の東アジア版をつくろう――日本の植民地主義を問う」も開始した。冒頭に紹介したのが第一回である。

 「韓国併合一〇〇年、ダーバン宣言九周年の二〇一〇年に、 <ダーバン宣言の東アジアNGO版>を作成することの意義を分かりやすく提示し、継続的な取組みの中で 宣言案の見直しを進め、行動計画その他の準備を進めていくという趣旨で、本年七月より二〇一一年九月八日(ダーバン宣言一〇周年)に向けて、さまざまなテーマの連続講座を開催行動計画の作成をすすめるために、呼びかけ人へのインタヴューを行ない、その記録を中心に作成していく。」

 本稿執筆段階で準備されているインタヴュー講座は次の通りである。

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第1回 7月18日(日)夜、牛込箪笥地域センター

徐 勝さん(韓国併合100年に際して日本植民地主義を徹底解剖するために)

 (以上終了、以下はこれから)

第2回 9月4日(土)午後、新宿区立戸塚地域センター

金 栄さん(在日朝鮮人から見た日本の植民地主義:仮題)

第3回 9月7日(火)夜、新宿区立戸塚地域センター

上村英明さん(ダーバン宣言って何だ?――植民地主義と人種差別:仮題)

第4回 9月25日(土)午後、青山福祉会館

崔 善愛さん(「在日」を生きて:仮題)

第5回 10月9日(土)夜、会場未定

中原道子さん(女性国際戦犯法廷一〇年:仮題)

第6回 10月23日(土)夜、会場未定

宋 連玉さん(脱帝国のフェミニズムを求めて:仮題)

第7回 11月6日(土)夜、会場未定

俵 義文さん(歴史教科書問題の現在:仮題)

第8回 11月20日(土)午後、会場未定

林 博史さん(戦犯裁判はいかに行なわれたか:仮題)











ヒューマン・ライツ再入門22

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう(二)

                    

一 「文明と野蛮」を乗り越えるために



 東アジア歴史・人権・平和宣言実行委員会は、「ダーバン宣言の東アジア版をつくろう」連続インタヴュー講座を開始した。

第一回は、七月一八日(日)、牛込箪笥地域センターにおいて、宣言運動の提唱者で、実行委員会委員長の徐勝(立命館大学教授)に「韓国併合一〇〇年に際して日本植民地主義を徹底解剖するために」と題してインタヴューが行なわれた。東アジアにおける植民地主義を問う際に、二〇〇一年に南アフリカのダーバンで採択されたダーバン宣言を念頭に置くという提案について次のような説明がなされた。

 「西洋が文明世界を名乗って世界全体に対する支配を広めてきたその歴史、これを根底から見直そう。こういう提案であるわけですね。もちろんその経緯はご存知のように、西洋の方では非常に大きな反発がありました。この事実は承認せざるを得ない。その責任を認めて、これに対する補償をするということはほぼ不可能なことであるという、非常に大きな圧迫を受けた訳です。だから、国際社会、特に国際人権という場所で、これがメインストリームの中で、まだ照明は受けてません。しかしこれは、最も根底的な問題として重要な問題とならざるを得ない。」 

「そういうことを根底的に見直す。日本だと、明治維新以降の話をしますと、北海道(アイヌモシリ)に対する侵略。それから、琉球/沖縄に対する支配。さらに台湾、韓国。そして中国東北(満州)ですね。日本の帝国主義的侵略というものは一連の流れとして存在しているわけで、その背景には、ウェストファリア条約以後形成された『文明と野蛮』という世界観の中で『野蛮に対する支配・侵略』というものを『文明の使命』と考えてきた西洋世界の考え方というものが存在している。だから、併合一〇〇年を日本と韓国だけではなしに、世界史的な、あるいは東アジア現代史において、特に日本という『地域覇権国家』=『小帝国』が形成されて以後作られてきた東アジアという概念と、関連させて考えてこそ、未来に向かってこの地域を平和な地域として、お互いに協力していこうという展望と結び合える。そのような宣言と具体的な要求というのを掲げられるんじゃないか、というのが基本的な考え方でした。」

 ここでは、西欧近代そのものを問い返し、同時に日本の植民地主義を問い返すと言う問題意識が示されている。

 「それぐらい極端だった。日本は、だから日清戦争と日露戦争によって、西洋そのままでやってきて、その結果、日清・日露戦争を経て『半人前の帝国国家』になった。その過程の中で、――私がもう一つ関わっています「靖国神社を見れば良くわかる訳ですが―― 天皇を中心としてその求心力を強める。非常に民主主義と反対の、専制的な国家を作っていく訳ですけれども、その<文明>の運命は一体どうなったのか。『自分たちは<文明>だ』と言ってます。しかし、<文明>というのは一体何かということを考えてみますと――ウェストファリア条約以後、いわゆる主権国家というのが生まれて、国際社会というものが作られ、国際法が作られ、そういう状況の中での<文明>というものを見れば、西洋以外の<野蛮><未開>国家に対する支配・侵略・搾取というものを前提とした、野蛮な行為によって支えられていた<文明>なんです。」 

 「『文明は野蛮だ』ということなのです。日本は『「野蛮である文明』を目指して一所懸命やって来た。その結果、東アジアに対する極めて野蛮な植民地支配の過程において、いちいち行った行為、それから南京虐殺や戦争侵略の中で行った行為ももちろんですけれど、植民地支配の中でも言うまでもなく、朝鮮人、台湾人、中国人は劣った民族だという、こういういわゆる『文明と野蛮』という基準を当てはめて、日本人の優位性、文明性を言いながら差別を正当化していく。差別というものは、もちろん近代世界誕生以前からあったことはあった訳なんですが、現代社会における差別の根源というのは、ほとんどは近代の、いわゆる『文明世界の成立』以降形成されてきたものであると、こういう風に考えている訳です。」

 こうした問題関心から、「併合一〇〇年」に、日韓だけでなく、東伊アジアにおける植民地主義と差別を根本的に問い直す試みが必要なのである。



二 東アジアとは



 それでは「東アジア」とは何であろうか。どの地域を指すのだろうか。

 東アジア、東北アジア、北東アジア、極東などさまざまな言葉が使われてきた。しかも、どのような言葉を使おうとも、歴史的には「大東亜共栄圏」とう虚妄と手垢にまみれた侵略のイデオロギー用語との関連を問う必要がある。

 現在作成中の宣言第一次案は「Ⅰ 総論」において、「1 東アジアの定義」と題して次のような定義を行なっている。

 「本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、近代日本国家が、一八世紀以来の西欧帝国主義のこの地域への膨張と侵略に触発されて、対外的膨張を試みて、軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した植民地、軍事的に侵略行為を行った結果としての占領地、さらに軍事的に侵略行為を行って当該地域の軍隊、準軍隊ないし武装勢力と戦争を行った交戦地を含む。それゆえ、大陸だけではなく、太平洋地域も含む。それは、主に日本の戦争と植民地支配にかかわる歴史的概念である。一九四五年、日本軍国主義の敗北後、東アジア諸民族、諸人民は独立、民族解放を迎え、戦争と職金地支配の傷跡の克服を最優先の課題としたが、超大国が自国の軍事的政治的経済的利益を最優先させた世界的冷戦が始まり、その努力を押しつぶした。つまり、アメリカは自国の軍事戦略遂行のために日本をその協力者とするために、旧日本軍国主義の解体を中断し、東アジアに対する日本の過去清算を免除することによって、日米同盟による地域支配ヘゲモニーを形成した。その結果、第二次大戦後においても、帝国主義支配によって外部から規定された『東アジア』地域支配秩序は冷戦の壁によって保護され、日本の過去清算の不履行によって、日本は歴史的債務を引き継いだ。」

 さらに「2 東アジアと『大東亜共栄圏』」において次のように述べている。
 「それゆえ、本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、大日本帝国が軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した、ないしは支配しようとした『大東亜共栄圏』と地理的に重なるが、それに限られるものではない。本宣言の基本精神において、『大東亜共栄圏』に現れている『生存圏(生命線)』を主張し地域支配を企てる帝国主義的発想は批判的克服の対象である。」

 宣言における「東アジア」とは、地理的概念ではなく、歴史的に大日本帝国が侵略し、支配した植民地や占領地の全体を含み、それゆえアジア・太平洋戦争の全体に相当する地域を含んだ概念である。

 従って、「3 東アジアの被害者」も次のように特徴付けられる。

「本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアにおける『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容(以下「人種差別等」)』の被害者とは、これらの災悪の影響を受け、被り、目標とされている、または目標とされてきた個人または個人の集団であると宣言する。すなわち、植民地主義と侵略戦争が人種主義や人種差別を正当化する『文明と野蛮』の論理による、『西欧(=日本)文明国家優越論』により支えられてきたので、植民地主義と侵略戦争の被害者とは人種主義や人種差別の被害者である。」

 近代の文明こそが野蛮を内包していたのだから、「文明=野蛮」の被害者の視点から文明そのものを撃つ必要がある。



三 ダーバンからの道

――東アジア宣言に至る系譜



 かくして東アジア宣言は、ダーバン宣言を受け止めて、これを東アジアに適用、発展させる試みであり、それゆえダーバン宣言以後の世界の歩み、東アジアの歩みを振り返る作業から始めることになった。

 東アジア宣言前文・第一次案は「二〇〇一年九月八日、南アフリカ共和国のダーバンで開催された『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議』において『ダーバン宣言・行動計画(DDPA)』が採択されたことを想起し、ダーバン宣言・行動計画(DDPA)が、『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容が、人種、皮膚の色、門地(世系)またはナショナルあるいはエスニックな出身に基づいて発生し、被害者は、性、言語、宗教、政治その他の意見、社会的出身、財産、出生、またはその他の地位などの関連のある理由に基づいて、複合的でいっそう悪化する差別を被ることを認める』と述べたことに留意し」と始まる。

 ダーバン宣言は、「大西洋越え奴隷取引などの奴隷制度と奴隷取引は、その耐え難い野蛮のゆえにだけではなく、その大きさ、組織された性質、とりわけ被害者の本質の否定ゆえに、人類史のすさまじい悲劇であった。奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪であり、とりわけ大西洋越え奴隷取引はつねに人道に対する罪であったし、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の主要な源泉である」と述べている。

 国連の歴史上初めて奴隷制を人道に対する罪と認めた意義は大きい。

 続いて、東アジア宣言前文・第一次案は、東アジアにおける「人種差別等」に反対するための人民とNGOのこれまでの取組みに感謝し、二〇〇一年一二月三日、オランダのハーグにおいて言い渡された「日本軍性奴隷制を裁く二〇〇〇年女性国際戦犯法廷」判決を歓迎し、二〇〇六年三月三一日の、国連人権理事会・人種差別特別報告者ドゥドゥ・ディエンの報告書を想起する。

さらに、二〇〇八年五月九日、国連人権理事会が、その普遍的定期審査(UPR)の結果として、第二次世界大戦中の『慰安婦』問題に関する、国連諸機関(女性に対する暴力に関する特別報告者、女性差別撤廃委員会および拷問禁止委員会)による勧告に誠実に対応すること(韓国)」、「在日朝鮮人に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための措置をとること(朝鮮民主主義人民共和国)」、「日本における継続的な歴史の歪曲の状況に取り組む緊急措置をとること。これは、過去の人権侵害および再発の危険性に取り組むことを拒否している現れであるためである。また、現代的形態の人種主義に関する特別報告者からも呼びかけられたように、この状況に取り組む緊急措置を勧告する(朝鮮民主主義人民共和国)」としたことに感謝を表明する。

同様に二〇〇八年一〇月三〇日の国際自由権規約委員会、二〇〇九年八月七日の女性差別撤廃委員会の勧告を列挙し、二〇一〇年三月一一日の人種差別撤廃委員会が、朝鮮学校差別の改善と、「人種的優越あるいは憎悪に基づく意見の流布の禁止は意見および表現の自由と両立するという見解を繰り返す、そしてこの点において、締約国に、条約第四条()()の留保の範囲の縮小と望ましくは撤回を前提に、留保の維持の必要性を検討することを奨励する」を勧告したことを想起している。



四 植民地主義克服の不十分さ



 東アジア宣言前文・第一次案は、第二次大戦後の日本による脱植民地過程の不十分さを詳細に述べている。ごく一部だけ紹介すると、まず冒頭に次のように述べている。

 「東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された各種の懸案事項が、第二次大戦終了後六〇年余を隔てても、なお未解決のまま放置されている。このことが国際社会において繰り返し論議をと呼び起こし、東アジアにおける諸人民の平和と安全を害する効果を持っている。戦争と植民地支配の被害者に対して、彼女/彼らに保障されるべき補償やリハビリテーションを得られることもなく、却って忘却と放任のゆえに継続的に被害を受けつつけている恐れのあることに思いを馳せ、東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された、東アジアにおける人種差別等の被害者となりうる人々が、いまなお東アジアのそれぞれの地域において、人種差別や外国人排斥に晒されていることに遺憾の意を表明」する。

 その上で、カイロ宣言やポツダム宣言、東京裁判判決を再確認し、これらの歴史的意義と、それにもかかわらず含まれていた限界を指摘し、サンフランシスコ講和条約や、その他の二国間条約による戦後処理の限界も指摘する。

 「日韓条約及び日中共同声明が、結果として、数多くの戦争処理を未解決に終わらせたために、その後も長期にわたって数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日もなお当該地域における平和、安全、善隣友好の障害要因となっていることを想起し」たうえで、「これらの戦時賠償によっては見落とされた数多くの戦争処理が未解決に終わり、数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日に至っていることを想起し、東アジア地域の諸国に対して日本から支払われた戦時賠償が、必ずしも被害を受けた現地の人々の手に渡ることがなかったことを想起し、それゆえ、日本の戦争と植民地支配に終止符を打つためのさまざまな試みが、いずれも途半ばにおいて頓挫し、このことが東アジアにおける人種差別等の主要な原因となっていることに遺憾の意を表明し」ている。

 こうした不十分さをいかに克服するのか。それには、近代国際法の水準にも十分達していない限界を乗り越えると同時に、近代国際法という限界をも乗り越えるという課題が掲げられる。「文明=野蛮」を乗り越えるためには、二重の課題の同時遂行が必要なのである。