Friday, January 18, 2013

取調拒否権の思想(7)

在房義務                                                                                                                                                                                                                                                       前二回で取調拒否権の憲法上の根拠と具体的内容を明らかにした。違法取調べと自白強要を避けるための方法は出房拒否であり、取調室に行かないことである。これが代用監獄に収容された被疑者の防御権の核心である。                                                                                                        同時に、そもそも被疑者は取調室に行くことを許されていない。逮捕・勾留中の被疑者を代用監獄から取調室に連れ出して取調べを行うことは違法である。被疑者には在房義務があるからである。                                                                                                                      梅田豊(愛知学院大学教授)はかつて「取調べ受忍義務否定論の再構成」『島大法学』三八巻三号(一九九四年)及び「身柄拘束の法的性格についての一考察」『島大法学』四〇巻三号(一九九七六年)において、被疑者の身柄拘束は捜査機関の権限ではなく、裁判官の権限であり、裁判官の勾留命令によって「勾留すべき監獄」が指定され、被疑者はその施設に「滞留」しなければならないことに着目した。                                                                                                                              もともと、被疑者の身柄拘束場所は拘置所である。これに代えて警察署付属の留置場を代用監獄として用いる実務が続いてきた。現に多くの勾留命令は警察署付属の留置場を身柄拘束場所として指定してきた。身柄拘束場所が拘置所であれば、捜査官が被疑者の身柄を拘置所から他へ移すことはできない。検証令状などが必要となる。同じように、身柄拘束場所が留置場(代用監獄)であれば、捜査官は被疑者を留置場から連れ出すことは許されない。裁判官の命令に反して勝手に取調室に連れて行くことは許されない。被疑者には留置場に在留する義務がある。                                                                                                                                     高内寿夫(國學院大学教授)も「身柄を拘束された被疑者には取調室に出頭する権利はない」と言う。刑事訴訟法一九八条一項は、主に身柄拘束されていない被疑者に対する出頭要求の規定である。他方、身柄拘束されている被疑者には出頭する権利がないから、捜査官側に出頭要求権がない。身柄拘束された被疑者は監獄又は代用監獄にいるのであって、取調室にはいない。取調室に行くことができない(高内寿夫「逮捕・勾留中の被疑者取調べに関する一試論」『白鴎法学』三号(一九九五年)。                                                                                                                        梅田・高内説は、実務に慣れ切った頭には容易に理解できないかもしれないが、憲法に適合し、国際人権法の要求に合致し、刑事訴訟法を無理なく解釈している。被疑者には、裁判官の勾留命令により在房義務があるので、取調室に行くことができない。被疑者や留置担当官の勝手な判断で被疑者の在留場所を変更することはできない(前田朗『刑事人権論』水曜社、二〇〇二年)。 他方、前回まで見てきたように、被疑者には黙秘権行使のための取調拒否権がある。取調拒否権を行使するならば、取調室に行かないことが被疑者の防御権行使である。いずれにしても、本来、捜査官は勝手に被疑者を取調室に連れて行くことができない。                                                                                                                                                      二〇〇五年の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律第一四条以下は留置施設について定め、同法第三章は「留置施設における被留置者の処遇」を定めているが、留置施設に関する規定によって憲法と刑事訴訟法に定める被疑者の権利を制限することはできない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               権利不行使                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 以上が取調拒否権の基本であるが、いくつか補足しておこう。                                                                                                                                                      第一に、取調拒否権の思想は取調否定説とは異なる。取調否定説はかつて澤登佳人(新潟大学教授)及び横山晃一郎(九州大学教授)によって唱えられた。誤判・冤罪防止のための意欲的な学説であるが、学界に支持を増やすことができなかった。取調べそのものを否定することはやはり無理がある。取調拒否権の思想は、取調受忍義務を否定するが、取調べそのものを否定しない。                                                                                                                                                                                                      第二に、それではどのような場合に取調べが可能となるか。それは被疑者が取調拒否権を行使しない場合である。刑事訴訟学説には時に「権利放棄説」と呼ばれる名称が登場するが、取調拒否権は憲法一三条の個人の尊重、人格権に由来するので権利放棄と見るのは必ずしも適切ではない。被疑者が弁護人と相談の上で、権利不行使を選択すれば、取調べが可能である。                                                                                                                                                                                                                被疑者には弁護人の援助を受ける権利がある。とりわけ身柄拘束された被疑者は、身柄拘束の最初期段階で弁護人の援助を受ける必要性が高い。それゆえ身柄拘束された被疑者は、まず弁護人選任をなし、弁護人と接見して黙秘権や刑事手続きについて説明を受けたうえで、黙秘権を行使するか、それとも行使せずに積極的に取調べに臨むかを選択できなければならない。黙秘権を行使する場合には、取調室に行かないのが本筋である。被疑者は取調室に行けないと考えるべきである。他方、被疑者が取調室に行くことができるとする実務を前提とすれば、取調拒否権を行使する被疑者は取調室に出向くことになるが、黙秘権・取調拒否権を行使する被疑者に捜査官が取調べを行うことはナンセンスである。繰り返すが、取調べを受けて自ら積極的に供述した方が良いという選択をした被疑者は、取調拒否権を行使せず、取調室に出向いて自らの記憶に基づいた供述をすれば良い。                                                                                                                                                                         第三に、「可視化」との関連であるが、取調拒否権を行使しない場合であっても、現状のような長時間・密室の自白強要的取調べは許されない。取調拒否権を行使せずに取調べを受ける被疑者は、弁護人と相談の上、録音録画を求めるか、弁護人の取調べへの立会いを求めるべきであろう。被疑者には取調受忍義務がなく取調拒否権があるが、これを行使せずに取調べを受けるのであるから、取調べの条件を付すことが相当である。条件が守られなければ、取調室から退去する自由がある。「可視化」の意味はこのような文脈で理解されるべきである。取調受忍義務を前提とした可視化は本末転倒であるし、一部可視化は論外である。                                                                                                                                                                                                         取調拒否権の思想の要諦は、それが憲法第一三条と第三八条という人権規定によって保障されていることを適切に理解して、権利行使の具体的方法を明示したことにある。従来の実務はもとより、学説もこれらが憲法上の権利規定であることを十分にわきまえた理解を示してこなかったと思われる。憲法上の権利を前提として刑事訴訟法第一九八条を解釈するべきであって、憲法と刑事訴訟法を切り離して、刑事訴訟法第一九八条一項の反対解釈を唱えるのは、原則と例外の安易な転倒である。                                                                                                                                                                                       『救援』525号(2013年1月)