Thursday, January 03, 2013

『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』


『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(高文研)


 

<沖縄が本土へ復帰してから2012515日で40年。
いまだ在日米軍基地(専用施設)の74%が沖縄に集中。
普天間基地も動く気配すらない。
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9日、奇しくも沖縄タイムスと朝日新聞、琉球新報と毎日新聞がそれぞれ共同世論調査の結果を掲載しました。
前者の調査では、「沖縄は差別されているか」の問いに、沖縄ではそう思うが50%、本土では29%。
後者では沖縄69%、本土33%とどちらも同じような結果を示しました。
県民の意思に反して、なぜ、沖縄の米軍基地はなくならないのか?
本書では、その構造的沖縄差別がどのように作られてきたのかを米軍基地と沖縄県民の闘いの歴史を通し、検証しています。
沖縄現代史のパイオニア、沖縄闘争の伴奏者、新崎盛暉がいま、沖縄から安保の本質を問う!>


「沖縄の闘いは、その差別構造につながる内部矛盾の克服を含めて、当分続く。沖縄の闘いが、構造的沖縄差別を突き崩す時期は、周辺諸地域の民衆の、沖縄に対する共鳴・共感・連帯の度合いによって、遅くもなれば早くもなるだろう」(あとがきより)

 

著者の本を何冊読んだだろうか。
 
 
たぶん20冊くらいになるはずだ。岩波新書や『沖縄同時代史(全10巻)』を読みながら、沖縄を考えてきた。「沖縄問題」を正しく「日本問題」として把握し、沖縄に対する差別を批判するのに、いつも著者の視点を参考にしてきた。

 

本書も、戦後の日米関係の中に「沖縄」を位置づけ、一方で世界史的視野でモノを考え、同時に他方で沖縄の民衆の視点で、民衆の闘いの観点で議論を続けている。

 

著者は、第4章で、構造的沖縄差別を克服するための可能性を模索し、「沖縄とヤマトの境を超えた人間と人間の連帯である」と言う。

 

その通りである。

 

だが、沖縄の民衆と連帯しうる主体としての民衆が「本土」にどれだけいるのだろうか。

 

残念ながら、「本土」には、開き直った植民地主義者と、自らの植民地主義に無自覚な人間ばかりではないだろうか。絶望するわけにはいかないし、断念するわけにもいかないが、現実は厳しい。

 

植民地主義者でありたくない人間をもっと増やすために、沖縄差別を潔しとしないまともな思考をもっと増やすために、本書を出発点に、さらに一歩前に。