Saturday, April 25, 2015

権力も構造も抜きにした差別と文化論

朝日新聞4月25日付の「インタヴュー 『文化』にひそむ危うさ」は「仏社会学者ミシェル・ウィエビオルカ」のインタヴューだ。パリ社会科学高等研究院上級研究員だそうだ。聞き手は大野博人・論説主幹。いかにも朝日新聞らしい、よくできた、しかし、とても残念な記事だ。はっきり言えば、水準が低すぎる。
ウィエビオルカは、人種概念が否定された現在、文化を口実にした差別がこれにとってかわったことを指摘する。文化は変わり続ける者なのに、あたかも自然であり、変化しないものであるかのごとく用いられる。不平等といった社会問題が、文化や人種による差別の問題に姿を変えるともいう。文化的同質性故に違う人たちを排除する。グローバルな分析が必要であり、歴史的な事情も働くと一応は言う。そして、多文化の共存と普遍的価値を強調する。その上で、人種差別禁止法の必要性を唱え、ヘイト・スピーチの禁止も必要と言う。
ウィエビオルカと大野の議論には深刻な疑問がある。ここでは3つだけ指摘しておこう。
第1に、彼らは文化と差別について論じる。これは一面で正当でもある。しかし、彼らはマジョリティとマイノリティの関係を無視する。換言すると、「朝鮮人が日本人を差別する」というザイトクカイの主張にも親和的なのだ。文化の差異ゆえに、アルジェリア人がフランス人を差別し、パレスチナ人がイスラエル人を差別するのだ、ということになりかねない。マジョリティが有する権力への視線が欠落した議論はきわめて危うい。
第2に、彼らは植民地と植民地主義について口を閉ざす。ごく短いコラムなら、それも仕方ないかもしれないが、新聞としてはロング・インタヴューの部類で、人種差別とヘイト・スピーチについて語りながら植民地と植民地主義について語らずに、文化を語る。文化接触理論と文化相対主義の折衷に立つ。同時に、グローバル化や経済的地政学的な立場に着目する。

第3に、多文化主義と普遍的価値をめぐる議論において、マリ系の移民の間での女子割礼を「野蛮な行為」とし、「普遍的な価値観に反する」と断定する。その論拠も文化である。そして、「ほどほどの多文化主義というのは説明する多文化主義」だという。ここには2重のねじれがある。一つは、他者の風習や信念を「野蛮な行為」とみなし、自らを「普遍的な価値」の側に置く言説の歴史性。もう一つは、女性の「人権」に触れることなく、文化や価値を語る言説の不可思議さ。この2重のねじれは、多文化主義という暴力に無自覚であることを意味するだろう。