Monday, October 28, 2019

「記憶の暗殺者」との闘い(四)


『救援』19年4月



刑法と記憶



ボローニャ大学ロースクール上級研究員のフロンツァの著書『記憶と処罰』(スプリンガー出版)は、欧州におけるジェノサイドやその他の大虐殺の否定の処罰事例を詳細に検討している。フロンツァは、歴史否定主義の犯罪化の問題を、第一に「刑法と記憶」の葛藤、第二に「刑法と表現の自由」の葛藤という二つの局面で検討する。

「刑法と記憶」の葛藤について、フロンツァは、歴史否定主義の刑事犯罪と歴史の間の葛藤に焦点を当てると三つの問題点が浮上するという。第一に歴史再構成による改竄の危険性、第二に一部の歴史的真実のみを確証する危険性、第三に歴史的記憶にヒエラルキーを導入してしまう危険性である。これらの問題を検討する素材は、まず歴史否定主義を処罰してきたフランス司法に多くの例がある。フランスの経験は歴史否定主義の犯罪化から生じる問題のパラダイムをよく示す。次に欧州人権裁判所判決である。歴史否定主義の「原型」とも言えるガロディ事件判決、及びその後のペリンチェク事件判決が重要である。

フロンツァによると、歴史否定主義の犯罪化に際して、立法においても判決においても、何が真実かをめぐる複雑な問題が生じる。もともと過去の出来事に関する裁判所の管轄権は、公判における立証を通じて裁判所が評価を行い、裁判所の最終判決に至る。裁判所の判決により真実の証明がなされたのであるから、これに異議を唱えることはできない。これが司法的真実であるが、それは歴史研究において真実と理解されているものとは異なる。歴史と法は、それぞれの課題に従って異なる方法で過去の事実を再構成する。だが歴史が裁判の俎上に載せられると、司法的真実と歴史的真実が相互に影響し合い、交錯し、葛藤を生じることになる。司法的真実の方が強力なため歴史的真実を支配してしまうこともある。

フランス司法はこの問題に長期間向き合ってきた。一九九○年のゲソ法ではホロコーストの否定が問題とされた。文字通りの「アウシュヴィツの嘘」犯罪である。その時代から「刑法と記憶」をめぐる論戦が続いてきた。二○○一年以来、フランス議会ではアルメニア・ジェノサイドを確認する作業が続いた。二○○六年にはアルメニアア・ジェノサイドの否認を犯罪化する提案がなされたが、立法化には至らなかった。二○一二年、議会はボイアー法を可決した。これにより、ホロコーストだけでなく、すべてのジェノサイドや人道に対する罪の存在を問題視したり、矮小化することが犯罪化された。フランス法については、光信一宏「フランスにおける人種差別的表現の法規制」『愛媛法学会雑誌』四〇巻一・二号~四三巻一・二号が詳しい。

フランスでホロコースト否定本を出版したロジェ・ガロディは、人種憎悪の罪で有罪とされたが、これを不服として欧州人権裁判所に提訴した。二〇〇三年六月二四日、欧州人権裁判所判決は、ホロコーストのような明確に確認された歴史的事実と、歴史家の間で議論が進行中の事実とを区別した。第二次大戦時の歴史的事実については論争を制限する正当性を認めた。ガロディ事件について、光信一宏「ホロコースト否定論の主張の禁止と表現の自由」『愛媛法学会雑誌』三五巻一・二・三・四号参照。



ペリンチェク事件



二○○五年、トルコ労働者党党首のドグ・ペリンチェクは、スイスで開催された会議に出席して、トルコによるアルメニア・ジェノサイドは「嘘である」という発言を繰り返し、戦時における犠牲はあったが、ジェノサイドの意図はなかったと主張した。二○○七年三月九日、ローザンヌ地裁はペリンチェクに有罪を言渡し、一二月一二日、スイス連邦裁判所は控訴を棄却した。

そこでペリンチェクは欧州人権裁判所に提訴した。二○一三年一二月一七日、欧州人権裁判所は、スイスが欧州人権条約第一○条に違反したと結論づけた。スイス政府が控訴したが、欧州人権裁判所大法廷はこれを棄却した。

フロンツァによると、本件では、ペリンチェクの発言内容をどう見るか、スイス刑法第二六一条四項(ヘイト・スピーチ)の成立要件をどう見るか、国際刑法におけるジェノサイドの成立要件をどう見るか等複雑な論点が介在しているため、本判決をどう読むかは研究者の間で現在も論争が続いている。例えば、アルメニア・ジェノサイドを公式に認めた国は世界一九○カ国のうち二○カ国にとどまるといった情報を取り上げたり、ジェノサイドの特別の意図の立証をめぐる論争がなされた。

欧州人権裁判所判決は、ホロコーストの否定とアルメニア・ジェノサイドの否定の社会的意味が異なると判断した。フロンツァはここに「記憶のヒエラルキー」が生じているという。ホロコーストを他のジェノサイドや人道に対する罪と区別するために、国連憲章や戦後各国の憲法などに提示された価値の比較をすることになる。果たしてそれは可能なのか。

フロンツァによると、歴史否定主義の犯罪化によって「記憶の法廷」が余儀なくされるが、国内レベルか国際レベルか、記憶の多様性、当事者と世界の間の葛藤といった問題が生じる。いずれにせよ刑事裁判を通じて、過去の出来事が「立証」され、公式の「真実」が提示されることになる。戦争犯罪法廷(国際的法廷、個別国家の刑事法廷、国際刑事裁判所)のどの事例でも同じことが問われてきた。国際的に承認された重大人権侵害の裁きにおいては常に起きる問題である。とはいえ歴史的再構成と司法的再構成とでは方法も理論も目的も異なるが、刑事法廷の帰結は歴史に多大の影響を及ぼし、集合的歴史記憶の基礎となる。刑事裁判の目的は過去を「支配」することではないが、支配する効果を持つ。

フロンツァは、歴史否定主義の犯罪化の重要性と困難性を確認しつつ、「記憶を大切にする」ことと「記憶をつくる」ことに言及する。

刑法と記憶をめぐる論争は法的論争、歴史的論争、社会心理学的論争に及び、これらを巻き込んで進展する。ここで少なくとも言えることは、単一の視点ではなく多様な視点が登記され、「事実」に多面的な光を当てることの重要性と、同時に被害当事者の人間の尊厳を置き去りにしないことである。フロンツァはその間で思考を積み重ねている。日本の議論との決定的な違いである。教科書検定訴訟、一九九○年代からの戦後補償訴訟(在留資格、BC級戦犯、恩給、被爆者、「慰安婦」、強制労働等々)、南京事件訴訟、さらには沖縄戦岩波訴訟など数々の民事訴訟の蓄積にも拘わらず、歴史と記憶に関する最近の議論はあまりに粗雑である。