Wednesday, October 30, 2019

「記憶の暗殺者」との闘い(五)


『救援』19年5月



刑法と表現の自由



ボローニャ大学のフロンツァは、歴史否定主義の刑事犯罪と表現の自由という基本権の間の緊張に焦点を当てる。その明確な例がドイツとスペインの憲法裁判所の判決である。合法な思想と非合法な思想の間に境界線を引くと、刑法の基本原則である合法性原則、侵害原則、最終手段原則を危うくする恐れがあるからである。

一九九四年四月、ドイツ連邦憲法裁判所は、ホロコースト否定を処罰する必要性と表現の自由の保護の間の矛盾を解決しようとした。同年一〇月、ドイツ連邦議会はホロコースト否定犯罪を新設する法改正を可決した。ホロコースト否定犯罪はドイツでは「アウシュヴィツの嘘」と呼ばれ、一九七三年に導入されたが、一九九四年に刑法一三〇条改正がなされ、人種憎悪の煽動が犯罪化された。二〇〇五年には集会法と刑法が改正され、刑法第一三〇条四項が追加された。ドイツ統合以来、排外主義プロパガンダが激しくなり、デッケルト事件が起きたことが主たる要因である。デッケルト事件とは、ドイツ国民民主党が著名な歴史否定主義者のロイヒターを招待して集会で否定主義発言をさせたため、デッケルト党首が共犯として起訴されたが、裁判所が無罪を言い渡した事件である。

刑法一三〇条は、歴史否定主義について広範な定義を採用し、公然と行われた、公共の平穏を害するような方法での、ホロコーストの否定、矮小化、称賛を犯罪とした。刑罰は五年以下の刑事施設収容である。

フランス法と異なり、ドイツ法では国際刑法典第六条に定められたナチス支配下の犯罪の否定のみが犯罪とされる。フランス法その他の事例では、ナチス時代に限定していないものが目立つ。他方、ドイツ法はナチス支配下の事案であっても、障害者の強制不妊手術の事実の否定を犯罪としていない。

フロンツァは、ドイツ憲法裁判所が刑法一三〇条の解釈に当たって「事実」と「意見」の区分、及び「事実の真実性」について検討したことを確認する。「事実」と「意見」の区分自体が相対的な評価にさらされなければならないし、この区分だけでは表現の自由の過剰な制限という危惧に応答できない。「真実性」を基準に取り込めば歴史的真実と司法的真実の区分が不可欠となる。司法的真実と異なり、歴史的真実は可変的であり常に新たな知見によって挑戦を受ける。ドイツはこの難題に向き合い試行錯誤を続けている(ドイツ法について、櫻庭総『ドイツにおける民衆煽動罪と過去の克服』福村出版参照)。



事実と価値



 元ナチス親衛隊幹部のレオン・デグレレがユダヤ人迫害を公然と正当化し、ガス室の存在を疑う発言をしたため、アウシュヴィツ生存者であるヴィオレータ・フリードマンが人間の尊厳と名誉を侵害されたと訴えた。しかしデグレレはフリードマンの名前を口にしていないという理由によって訴えは退けられた。スペインには適切な法律がないと判明し、刑法改正が求められ、激しい論争の末、一九九五年のスペイン刑法に歴史否定主義犯罪が導入された(スペイン刑法につき、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』三一書房、六一七頁及び六七五頁)。

 二〇〇七年、スペイン憲法裁判所は刑法六〇七条二項について一部違憲との判断を下した。憲法裁判所の判断基準は否定と正当化の間の差異に着目するものであった。

 有名書店リブレリア・ヨーロッパの店主ペドロ・ヴァレラがユダヤ人コミュニティを中傷する反ユダヤ主義の書籍を販売した。一九九八年一一月、バルセロナ刑事裁判所はヴァレラにジェノサイドの否定の罪(刑法六〇七条二項)及び差別と憎悪の煽動の罪(刑法五一〇条)につき有罪を言い渡した。ホロコーストの否定はユダヤ人に対する敵意の雰囲気を醸成するので、単に歴史的事実の否定にとどまらないとした。ヴァレラは憲法二〇条一項の表現の自由を理由に上訴した。

 二〇〇七年一一月七日、憲法裁判所は上訴を一部支持し、刑法六〇七条二項はジェノサイドの「否定」を犯罪化している点で違憲であると判断した。憲法裁判所は表現の自由は民主的法システムに不可欠の重要な権利であるとし、ジェノサイドの実行を否定や正当化する意見の流布が憲法上の表現の自由に含まれるか否かを検討した。憲法による人間の尊厳の認知が憲法上の権利の行使の枠組みに影響を与える。ジェノサイドの実行を称賛し、正当化する行為は被害者の人間性にかかわるので憲法的保護を受けない。憲法裁判所は欧州人権条約一〇条に関する欧州人権裁判所判決を引用する。ここで憲法裁判所は「否定」と「正当化」の区別を強調する。否定は表現の自由の適用範囲にあるが、正当化は刑罰の適用対象となりうる。正当化は当該ジェノサイドの存在の否定ではなく、ジェノサイド実行者を明確に特定しながら合法だと主張するものである。ジェノサイドの正当化の処罰は、被害者集団に対する暴力実行の間接煽動に当たる。それゆえジェノサイドの単なる否定はヘイト・スピーチには当たらない。事実に関する発言は表現の自由に照らしても歴史研究の自由に照らしても合法的であるという。

 他方、憲法裁判所によれば、ジェノサイドの正当化は犯罪についての価値判断の表明であるため、異なる結論が導かれる。ジェノサイドを正当化する思想の流布をヘイト・スピーチとして犯罪化することは憲法にも国際人権法にも合致する。憲法裁判所はEU枠組み決定を引用する。ジェノサイドを正当化する発言を公然とすることはジェノサイド実行の間接煽動に当たる。憲法裁判所は「事実」と「価値」を区別した。

 ヴァレラ事件判決は、歴史否定主義の犯罪化に際して否定と正当化を区別した。ドイツやフランスをはじめ欧州各国ではこの区別は一般的とは言えないように思われる。事実と価値を明確に区別することが可能なのか問題は残る。ドイツの場合、「単純なアウシュヴィツの嘘」と「重大なアウシュヴィツの嘘」という類型化が前提となっているため、スペインのような議論にはならないのかもしれない。「記憶の暗殺者」に対抗するために欧州では刑法を「記憶の監視人」として活用することに共通理解が形成されてきた。

 歴史修正主義が国家権力を掌握し、社会的にも常態化している日本では歴史否定発言が横行している。露骨で過激なヘイト・スピーチを規制することにさえ、憲法学やジャーナリズムから強烈な反論が出るヘイト国家・日本では、人種主義の克服ははるかに遠い課題である。