Tuesday, October 08, 2019

東アジアにおける歴史否定犯罪法の提唱(一) ――「アウシュヴィツの嘘」と「慰安婦の嘘」


統一評論583号(2014年5月)ヒューマン・ライツ再入門65



東アジアにおける歴史否定犯罪法の提唱(一)

――「アウシュヴィツの嘘」と「慰安婦の嘘」



前田 朗





一 はじめに

二 欧州における歴史否定犯罪法の紹介

三 欧州における歴史否定犯罪法の特徴







一 はじめに



 ここ数年、日本では非常に悪質なヘイト・スピーチが蔓延している。

 ヘイト・スピーチに対して、京都朝鮮学校襲撃事件裁判に加えて、新大久保におけるヘイトデモへのカウンター行動、マスメディアにおけるヘイト批判、弁護士による法的手段での対抗、ヘイト集団に関する社会学的研究、被害実態の解明が続いている。

 また、ヘイト・スピーチ規制法の必要も唱えられ、諸外国の法制度の紹介や、国際人権法における差別の禁止とヘイト・スピーチ処罰の要請も繰り返し確認されている。ヘイト・スピーチを許さないための国会内の集会や研究会が開催され、人種差別禁止法に関連する議員連盟も立ち上がった。

 ヘイト・スピーチ周辺で、おびただしい類似の差別発言があふれている。ヘイト・スピーチとまでは言えないものであっても、相手を傷つけ、排除につながる心無い差別発言があふれている。ヘイト・スピーチにも様々な行為類型があり、ヘイト・スピーチ法を持つ欧州諸国でも法律上の犯罪ではないレベルの差別発言、不適切発言、問題発言が目立つ。日本でもまさにヘイト・スピーチに当たるような悪質な発言から、ヘイト・スピーチとまでは言えないとしても差別的な発言が数多くみられる。

 四月には四国八十八カ所お遍路道に差別張り紙が貼られたことが報道された。お遍路のための道案内シールは以前からさまざまなものが貼られてきた。ところが、お遍路の魅力を伝える「先達」に選ばれた韓国人女性が後進のための道案内シールを貼ったのに対して、「最近、礼儀知らずな朝鮮人達が、気持ち悪いシールを、四国中に貼り回っています。」と非難し、「見つけ次第、はがしましょう」と呼びかける差別張り紙が、四月九日から二三日まで、徳島県で一七枚、香川県で一四枚、愛媛県で七枚、発見された。『朝日新聞(徳島版)』四月二四日記事「貼紙問題、遍路道どこへ」は、その詳細を報道している。

 他方、これらの報道の後、韓国人向けに遍路の勧めをしてきた韓国籍住職のいる寺に嫌がらせ電話が殺到した。韓国人に対して「臭い」「日本から出ていけ」「韓国人は嘘つき」という悪質な差別電話である。

 ヘイト・スピーチの中には、「歴史修正主義」と呼ばれる、歴史的な加害と被害を否定したり、隠蔽したり、正当化する発言も目立つ。「慰安婦の嘘」や「南京大虐殺の嘘」が典型である。

 本稿では、「慰安婦の嘘」や「南京大虐殺の嘘」のような、かつての日本の侵略戦争や植民地支配における人道に対する罪の歴史的事実を否定することによって、被害者とその子孫に対する中傷、侮辱を繰り広げ、被害者の人格と人間の尊厳を二重三重に傷つける行為を犯罪とするための刑事立法の可能性を検討したい。

 その種の立法は、日本だけではなく、東アジアの各国において制定されるべきである。すなわち、日本、韓国、朝鮮、中国、台湾、フィリピンなどにおいて、日本による侵略戦争と植民地支配における人道に対する罪の歴史的事実を否定し、矮小化し、正当化する行為は、ヘイト・スピーチの一種であり、被害者とその子孫に対する侵害行為であるから、これを犯罪とする刑事立法を行う必要がある。

そのための第一歩として、次節で欧州における歴史否定犯罪法に関する情報を紹介し、次にその特徴を整理したい。次号では、東アジアにおける歴史否定犯罪法に関するスケッチを提示したい。



二 欧州における歴史否定犯罪法の紹介



 「アウシュヴィツのガス室はなかった」「ユダヤ人虐殺はなかった」と公然と発言することはドイツでは犯罪とされていることはかなりよく知られるようになった。「アウシュヴィツの嘘」犯罪、「ホロコースト否定」犯罪である。

カナダやオーストラリアでは犯罪とはされないが、民事の不法行為とされ、損害賠償命令が出ることもあるが、ドイツでは刑法典に規定された犯罪である。

 しかし、「アウシュヴィツの嘘」犯罪はドイツの専売特許ではない。他の欧州諸国にも同様の刑法があるが、これまでほとんど研究されてこなかったため、あたかもドイツだけの特殊例のごとく誤解を受けてきた。

 そこで以下では欧州を中心に「アウシュヴィツの嘘」犯罪、「ホロコースト否定」犯罪の状況を紹介することにする。ドイツについては既に詳細な研究があるので、その一端を確認する。その他の国については、人種差別撤廃委員会に提出された政府報告書をもとに、関連情報を紹介する。断片的な情報の紹介にとどまるが、ドイツに固有の刑法であるかのごとき従来のイメージが誤りであることを明らかにし、欧州諸国においてなぜこのような刑罰規定が広まり、どのように考えられているのかを検討したい。



1 ドイツ



 ドイツ刑法は民衆煽動罪と呼ばれる犯罪類型を掲げている。「アウシュヴィッツの嘘」犯罪とも呼ばれる。従来いくつかの研究が公表されてきたが、中でも楠本孝『刑法解釈の方法と実践』(現代人文社、二〇〇三年)が、民衆煽動罪に関する基本的情報を紹介しつつ、問題点を剔出していた。

 最近、桜庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服――人種差別表現及び「アウシュヴィッツの嘘」の刑事規制』(福村出版、二〇一二年)が出版された。著者は、近時の「被害者保護」論、厳罰化論や、「刑法学の任務」論、「市民刑法」の内実など幅広い問題圏に視線を送りながら、ドイツにおける民衆煽動罪に関する研究の全体像を本書においてまとめて提示した。

 本書第一章では、日本における差別煽動行為規制をめぐる議論状況を整理し、特に「表現の自由」や刑罰論上の問題に関する議論の日本的特徴を確認して、研究課題を析出している。第二章から第六章では、ドイツにおける民衆扇動罪の全貌を研究対象に据える。第二章では、西ドイツにおける民衆扇動罪の誕生に至る経緯を明らかにし、第三章では、刑法一三〇条の拡張とホロコースト否定表現の処罰に関する議論を見渡し、第四章では、刑法解釈論上の諸問題として、行為態様、保護法益、「人間の尊厳への攻撃」要件について検討する。さらに、第五章では、民衆扇動罪の合憲性をめぐる議論に踏み込み、意見表明の自由との関係を整理し、第六章では、民衆扇動罪規定の刑罰論上の位置づけに関して、民衆扇動罪の象徴的機能、積極的一般予防論に言及する。最後に、第七章では、欧州人権裁判所に目を転じて、欧州人権裁判所判例における表現の自由の基本的位置づけを検討している。「アウシュヴィツの嘘」に限らず、ヘイト・スピーチ研究全体にとっても重要な研究である。

 刑法第一三〇条は数回の改正を経ているが、一九九四年改正により、第一項が憎悪煽動、第二項が憎悪扇動による人間の尊厳への攻撃であり、第三項が「アウシュヴィツの嘘(ホロコースト否定)」である。第三項は次のように述べる。

 「公共の平穏を乱すのに適した態様で、公然と又は集会で、第二二〇条a第一項に掲げる態様でのナチスの支配下で行われた行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する者は、五年以下の自由刑(刑事施設収容)又は罰金刑に処される。」

 第二二〇条a第一項とは民族謀殺のことを意味する。欧州において多くのユダヤ人が殺され、迫害された事実から、このような周知の事実を否定し、矮小化することが、ユダヤ人の人間の尊厳への攻撃となるので、公共の平穏又は人間の尊厳を保護するために当該行為を犯罪としている(重大なアウシュヴィツの嘘)。

 ドイツではこのような考え方で「アウシュヴィツの嘘」犯罪が制定され、適用されてきた。ドイツ法の経験に学ぶべきことは多いし、重要な研究がなされている。「アウシュヴィツにガス室はなかった」という発言がなぜ犯罪とされるのかは、刑法学では保護法益論として議論されるが、その点についてもドイツの研究はかなり進んでいるので参照に値する。保護法益については次回、検討する。

  ただし、次に見るように、ドイツ以外の欧州諸国にいくつもの類似刑罰規定が存在する。「アウシュヴィツの嘘」犯罪はドイツだけの特殊例ではない。「アウシュヴィツの嘘」犯罪がドイツだけの特殊例であるとの誤解は、ドイツ刑法だけを研究し、その他の諸国を無視してきた日本人研究者の問題意識の閉鎖性、特殊性に由来する。



2 フランス



   フランス政府が二〇一〇年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/FRA/17-19. 22 July 2010.)によると、フランスにはいくつもの人種差別行為処罰規定があり、差別煽動罪がある。ドイツと異なって、フランスでは必ずしも公然性の要件が必要とされず、公然ではない中傷、侮辱、差別的性質の教唆も犯罪とされるようになってきた。

 加えて、二〇〇四年三月九日の法律によって、一八八一年七月二九日の法律に第六五-三条が挿入された。「人道に対する罪に疑いを挟む」というタイトル(「アウシュヴィツの嘘」を含む規定)であり、差別、憎悪又は人種主義、又は宗教的暴力の教唆、人道に対する罪に疑いを挟むこと、人種主義的性質の中傷、及び人種主義的性質の侮辱は、他のプレス犯罪に設けられている時効三ヶ月に代えて、一年の時効とするというものである。時効はインターネットその他いかなるメディアによるものであれ、犯罪が行なわれた時から開始するとされた。

 政府報告書から判明するのは、第一に、「人道に対する罪に疑いを挟む」犯罪が以前から存在することである。いつ規定されたのかは要調査である。第二に、「人道に対する罪に疑いを挟む」犯罪が、差別、憎悪又は人種主義、又は宗教的暴力の教唆や、人種主義的性質の中傷、及び人種主義的性質の侮辱と並べて規定されている。つまり、ヘイト・スピーチの一種であることである。第三に、二〇〇四年改正によって時効が三ヶ月から一年に延長された。



3 スイス



 スイス政府が二〇〇七年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CHE/6. 16 April 2007.)によると、連邦最高裁は、ナチス・ドイツが人間殲滅にガス室を使用したことに疑いを挟むことは、ホロコーストの重大な過小評価であると判断した。一九九八年にアールガウ地裁が下した有罪判決を維持し、歴史修正主義者に一五か月の刑事施設収容と八〇〇〇フランの罰金が確定した。

また、アルメニア・ジェノサイドを否定した事案で、最高裁は当該犯罪は公共秩序犯罪であるとした。それゆえ個人の法的権利は間接的に保護されるに過ぎない。個人被害者は当事者として現在した必要がない。

 報告書から判明することは、第一に、ドイツと同様に「アウシュヴィツの嘘」犯罪が規定され、適用されていることであるが、具体的な条文は引用されていない。他のヘイト・スピーチ規定との関連も不明である。第二に、アルメニア・ジェノサイドの否定も犯罪とされている。すなわち、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に限らず、アルメニア・ジェノサイドなどのホロコースト否定に及ぶ。第三に、罪質・保護法益が公共秩序犯罪とされている。第四に、適用された刑罰が一五か月の刑事施設収容と八〇〇〇フランの罰金である。法定刑は不明であるが、少なくとも一五か月の刑事施設収容を言い渡せるだけの刑罰が予定されている。



4 リヒテンシュタイン



 リヒテンシュタイン政府が二〇〇一年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/394/Add.1. 6 November 2001.)によると、刑法第二八三条はヘイト・スピーチを犯罪とし、二年以下の刑事施設収容としている。その中でジェノサイド又はその他の犯罪の否定、ひどい矮小化又は正当化、並びにその目的で象徴、仕草又暴力行為を電磁的手段で公然伝達を、犯罪としている。「ジェノサイド又はその他の犯罪」が何を意味するのか条文から直ちに明らかにはならないが、ナチス・ドイツに隣接した小国の刑法であるから、ナチス・ドイツによるジェノサイド、ユダヤ人迫害を意味することは間違いないだろう。

 なお、刑法第三二一条はジェノサイドの規定であり、ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程と同様の定義を採用している。



5 スペイン



スペイン政府が二〇〇九年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ESP/18-20. 2 November 2009.)によると、「アウシュヴィツの嘘」規定に関連して、二〇〇七年一一月七日、憲法裁判所は刑法第六〇七条二項の合憲性について判断した。

第二次大戦専門書店の店主が、ユダヤ人コミュニティに対する迫害とジェノサイドを繰り返し否定するドキュメンタリー・写真出版物を販売・頒布した事案である。二〇〇〇年のバルセロナ高等裁判所判決は、刑法第六〇七条二項を適用して、ジェノサイド犯罪を否定・正当化した観念を流布したことで書店主を有罪としたが、同条項の違憲性問題が提起されたため、憲法裁判所に持ち込まれた。憲法裁判所は、ジェノサイドの否定は意見や観念の単なる伝達であれば、その観念が忌わしく人間の尊厳に反するものであっても、犯罪に分類されることはないとした。従って、憲法裁判所は刑法第六〇七条二項第一文の「否定」条項は違憲であるとした。しかし、憲法裁判所は「正当化」とは犯罪実行を間接的に煽動し、皮膚の色、人種、国民的民族的出身によって定義される集団の憎悪を誘発する観念の公然たる流布であり、ジェノサイドの「正当化」はまさに犯罪であるとし、「正当化」条項は合憲であると判断した。

 報告書から判明することは、第一に、「アウシュヴィツの嘘」規定が、ドイツやフランスと同様に刑法典に規定されていることである。第二に、憲法裁判所は「否定」を犯罪として処罰することは違憲であるとし、「正当化」を犯罪として処罰することは合憲であるとした。第三に、その理由が、意見や観念の単なる伝達であるか、それとも犯罪実行を間接的に煽動し、皮膚の色、人種、国民的民族的出身によって定義される集団の憎悪を誘発する観念の公然たる流布であるかの差異に求められている。第四に、罪質・保護法益に関連して、人間の尊厳に反するか否かが問われ、単なる伝達は人間の尊厳に反するとしても犯罪とはならないと限定している。



6 ポルトガル



 ポルトガル政府が二〇一一年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/PRT/12-14.13 September 2011)によると、刑法第二四〇条が人種差別の禁止を定めているが、第二項に「アウシュヴィツの嘘」規定が含まれる。二〇〇七年九月四日に改正された刑法第二四〇条は、人種差別に動機を有する犯罪に、皮膚の色、民族、国民的出身、性別、性的志向などの形態の犯罪を追加した。



刑法第二四〇条「人種、宗教又は性的差別」第二項 公開集会、文書配布により、その他の形態のメディア・コミュニケーションにより、又は公開されるべく設定されたコンピュータ・システムによって、

a)人種、皮膚の色、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、人又は集団に対して、暴力行為を促進した者、

b)人種、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、特に戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪の否定を通じて、人又は集団を中傷又は侮辱した者、乃至は

c)人種的、宗教的又は性的差別を煽動又は鼓舞する意図をもって、人種、皮膚の色、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、人又は集団を脅迫した者は、六月以上五年以下の刑事施設収容とする。



 刑法第二四〇条二項(b)が「アウシュヴィツの嘘」規定である。報告書から判明することは、第一に、ドイツやフランスなどと同様に、ポルトガルでも刑法典に規定されていることである。第二に、否定の対象が「特に戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪」とされていて、人道に対する罪に限定されず、他方、ジェノサイドには言及がない。第三に、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に限定されず、その他の戦争犯罪や人道に対する罪も含まれると読める。第四に、罪質・保護法益は明示されていないが、「人種、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて」及び「人又は集団を中傷又は侮辱した者」の語句から通常のヘイト・スピーチ規定と同様に考えられている。第五に、スペインでは「否定」処罰は違憲とされたが、ポルトガルでは「否定」が犯罪とされ、逆に「正当化」の語句がない。



7 スロヴァキア



 スロヴァキア政府が二〇〇九年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/SVK/6-8. 18 September 2009.)によると、刑法にはさまざまのヘイト・スピーチ規定がある。スロヴァキア新刑法は、人種的動機に基づく行為を犯罪化し、人種差別を宣伝・煽動する組織、又はその組織への参加を不法としている。刑法は、インターネットによって、人種、国民、民族集団への憎悪を煽動したり、中傷する情報を流布することを犯罪化している。ネオナチその他の運動への共感を公然と表明することだけではなく、ホロコーストを疑問視、否定、容認又は正当化することも犯罪化している。

 報告書から判明することは、第一に、ドイツ等と同様に刑法典に規定され、ヘイト・スピーチの一種とされていることである。第二に、ホロコーストを疑問視、否定、容認又は正当化することとされている。ホロコーストとあるので、ユダヤ人迫害に限られるのであろうか。「疑問視」に「歪曲」や「矮小化」が含まれるかどうかは判然としない。否定、容認等も犯罪とされている。



8 マケドニア



マケドニア政府が二〇〇六年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/MKD/7. 23 October 2006.)によると、刑法第四〇七(a)条「ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪の容認又は正当化」は、刑法第四〇三条~第四〇七条に規定された犯罪を、情報システムを通じて、公然と否定、ひどく矮小化、容認又は正当化した者は一年以上五年以下の刑事施設収容とされる。否定、矮小化、容認、正当化が、その国民、民族、人種的出身又は宗教ゆえに、人又は人の集団に対して憎悪、差別又は暴力を煽動する意図をもってなされた場合は、四年以上の刑事施設収容とされる。 

報告書から判明することは、第一に、各国と同様に刑法典に規定され、ヘイト・スピーチの一種とされていることであるが、刑法第四〇三条~第四〇七条に続いて規定されているので、戦争犯罪関連条項とのつながりも意識されている。第二に、否定の対象はジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪とされ、ユダヤ人迫害に限定されていない。社会主義政権時代の歴史はどのように位置づけられているのだろうか。第三に、実行行為は否定、矮小化、容認、正当化とされている。第四に、憎悪、差別又は暴力を煽動する意図をもってなされた場合は刑罰加重事由とされている。すなわち、否定、ひどく矮小化、容認又は正当化した者は一年以上五年以下の刑事施設収容であるのに対して、煽動する意図をもってなされた場合は、四年以上の刑事施設収容とされる。



9 ルーマニア



ルーマニア政府が二〇〇九年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ROU/16-19. 22 June 2009.)によると、第一に差別の教唆がある。第二に、ファシズム・シンボル法として、二〇〇二年の緊急法律三一号は、ファシスト、人種主義者、外国人嫌悪の性質を持った組織とシンボル、平和に対する罪や人道に対する罪を犯した犯罪者を美化することを禁止した。二〇〇六年法律一〇七号と同年法律二七八号によって一部修正されている。この法律第二条(a)によると、ファシスト、人種主義者、外国人嫌悪の組織とは、三人以上によって形成された集団で、一時的であれ恒常的であれ、ファシスト、人種主義者、外国人嫌悪のイデオロギー、思想又は主義、民族的、人種的、宗教的に動機付けられた憎悪と暴力、ある人種の優越性や他の人種の劣等性、反セミティズム、外国人嫌悪の教唆、憲法秩序又は民主的制度を変更するための暴力の使用、過激なナショナリズムを促進するものである。

「アウシュヴィツの嘘」法として、ファシスト・シンボル法第六条によると、いかなる手段であれ、公の場で、ホロコースト、ジェノサイドあるいは人道に対する罪、又はその帰結を、疑問視し、否定し、容認し又は正当化することは、六月以上五年以下の刑事施設収容及び一定の権利停止又は罰金を課される。さらに、二〇〇六年法律一〇七号は、一九三三~四五年の時期のホロコーストの定義にロマ住民を含むことにした。それゆえホロコーストとは、国家によって支持された組織的迫害、ナチス・ドイツとその同盟者及び協力者によるヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅であり、第二次大戦時に国内に居住するロマ住民の一部が強制移動や絶滅の対象とされたことを含む。

二〇〇二年の緊急法律三一号第一二条と第一三条によると、平和に対する罪及び人道に対する罪を犯した犯罪者の像、彫像、記憶板(刻銘)を公共の場所に建てたり維持することを禁止している。同時に、平和に対する罪及び人道に対する罪を犯した犯罪者の名前を、通り、大通り、広場、市場、公園又はその他の公共の場所の名称につけることが禁止される。

 報告書から判明することは、第一に、刑法典ではなく、特別法に規定されていることである。第二に、対象は一九三三~四五年の時期のホロコーストを取り上げて、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅、及びロマ住民の強制移動や絶滅である。第三に、疑問視、否定、是認又は正当化である。第四に、刑罰は六月以上五年以下の刑事施設収容及び一定の権利停止又は罰金とされている。第五に、公共の場所に戦争犯罪者の名前を冠することが禁止されている。



10 アルバニア



 アルバニア政府が二〇一〇年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ALB/5-8. 6 December 2010.)によると、二〇〇八年一一月二七日、刑法(一九九九年)改正が行われた。刑法第七四条はジェノサイドや人道に対する罪に好意的な文書をコンピュータ上で配布し、ジェノサイドや人道に対する罪にあたる行為(事実)を否定し、矮小化し、容認し又は正当化する文書をコンピュータ・システムを用いて、公然と提示し、又は配布した者は、三年以上六年以下の刑事施設収容とする。つまり、「アウシュヴィツの嘘」規定である。

 報告書から判明することは、第一に、刑法典に規定されていることである。第二に、否定対象はジェノサイドや人道に対する罪である。ユダヤ人迫害に限定されるのか、それともより一般的な規定なのかは不明である。第三に、コンピュータ上の犯罪を追加したことである。第四に、実行行為は、好意的な文書の配布、否定、矮小化、容認又は正当化である。第五に、刑罰は三年以上六年以下の刑事施設収容である。



11 イスラエル



 欧州ではないが、イスラエルも見ておこう。イスラエル政府が二〇〇五年に人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/471/Add.2. 1 September 2005.)によると、インターネットに関する事案として、検事局特別部は、人種的表現、暴力の煽動、人種的侮辱、ホロコーストの否定を掲載したネオナチ・ウェブサイトを開設した被告人を刑法第一四四条D二項及び第一四四条Bの暴力の煽動と人種主義の煽動で訴追し、二〇〇五年一月に有罪認定がなされたが、判決(量刑言渡し)はまだなされていなかった。

 刑法第一四四条Aは人種主義を煽動する意図を持った出版を行った者を五年以下の刑事施設収容としている。刑法第一四四条A~Eは人種主義を煽動する意図を持った出版や物の配布を、それが結果をもたらさなかった場合も、禁止している。刑法第一四四条D一項は、人種主義的動機なしに、人、人の自由や財産に対して犯罪を行った者を処罰するとしている。それには脅迫、強要、フーリガニズム、公共秩序犯などが含まれる。

 報告書から判明することは、「アウシュヴィツの嘘」の特別の定めがあるわけではなく、暴力の煽動と人種主義の煽動を定めた規定の解釈として「アウシュヴィツの嘘」処罰が可能と考えられている。「アウシュヴィツの嘘」が通常のヘイト・スピーチ処罰規定に含まれるということである。



三 欧州における歴史否定犯罪法の特徴



 網羅的に調査したわけではないので、同様の立法例や適用事例は他にもあると考えられる。オーストリアにも同様の規定があるとの情報もある。今後も調査を続けるが、ここでは以上の情報をまとめておこう。条文そのものが引用されている場合もあれば、その概要しか紹介されていないものもあるので、正確な比較は困難であるが、今後の研究のための手掛かりを提示しておきたい。

 以下では、加害と被害の関係、法形式、否定の対象、実行行為、刑罰について見て行こう。保護法益については次回に検討したい。



1 加害国側と被害国側



 まず加害国側に位置するか、被害国側に位置するかを見ておこう。というのも、これまでの研究ではドイツ法だけが紹介されてきた。このため、ユダヤ人迫害を行ったドイツが、反省と謝罪を示すことによって周辺国と和解し、欧州で生き残りをはかるために民衆煽動罪を制定したかのような誤解が語られてきた。そのことは同時にドイツの特殊性を想定させてきた。

 しかし、すでにみたように「アウシュヴィツの嘘」犯罪法は、ドイツに特殊な規定ではない。西欧、中欧、南欧、東欧に同種の法律を見ることができる。

 加害側に立ったドイツ、オーストリア、あるいはフランコ政権のスペインにこの種の法律がある。他方、被害側のフランスにも、さらには中立国だったスイスとリヒテンシュタインにも、加害と被害の双方を同時に経験した東欧諸国にも、同種の法律がある。ドイツが特殊な例であるとか、ドイツが欧州での生き残りのために選択したという説明にはまったく根拠がない。



2 法形式



 刑法典に規定しているのはドイツ、スペイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、アルバニア、リヒテンシュタインである。他方、フランスとルーマニアは特別法である。なお、オーストリア、スイスは条文を確認できていないが、刑法典のようである。

 「アウシュヴィツの嘘」犯罪が刑法典に規定されているのは、それが殺人罪、傷害罪、窃盗罪、強盗罪、詐欺罪、放火罪、強姦罪などと同様に、基本犯罪だという認識があるからである。

 このことは「アウシュヴィツの嘘」犯罪だけでなく、ヘイト・スピーチ処罰法についてもいえることである。EU加盟国のすべてが何らかのヘイト・スピーチ処罰法を有しているが、その多数が刑法典に規定されている。ヘイト・スピーチ犯罪が基本犯罪であることが明瞭である。

日本での議論にはこうした基本認識が欠落しているために、本筋を見落した奇妙な議論に転落してしまう。ヘイト・スピーチ規制は特定の集団の保護のために特別法をつくるのではなく、特定の集団の保護になる場合もそれが当該社会にとって基本的な条件だから、基本法である刑法典に定めている。



3 否定の対象



 何を否定、正当化する発言が処罰対象とされているか。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害などを念頭に置いているのはドイツ、ルーマニアである。スロヴァキアもおそらく同様であろう。他方、ユダヤ人迫害に限らない人道に対する罪を対象とするのがフランス、スイス、ポルトガル、マケドニアである。アルメニアは不明である。

 もともとは、第二次大戦時における戦争犯罪や人道に対する罪、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害などが想定されていたであろう。

 しかし、東欧諸国の場合には、旧社会主義政権時代の犯罪を考慮する可能性もある。フランス法も、ユダヤ人迫害に限らず、国際刑事裁判の判決を否定することが対象とされており、例えば旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷が裁いた人道に対する罪も含まれる。スイス法では過去にさかのぼりアルメニア・ジェノサイドの否定も犯罪とされる。

 そのことが法律の条文にどのように明示されているのか。条文の解釈を支える社会意識、歴史意識などがどのように共有されているか。今後の研究課題である。



4 実行行為



 第一に、疑いを挟むこと、疑問視を犯罪とするのはフランス、スロヴァキア、ルーマニアである。第二に、否定がドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第三に、(ひどく)矮小化がドイツ、リヒテンシュタイン、マケドニア、アルバニア。第四に、容認(是認)がドイツ、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第五に、正当化がリヒテンシュタイン、スペイン、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第六に、好意的な文書の配布がアルバニア等である。

 スペインでは、否定を処罰することは違憲とされ、正当化の処罰だけが残った。しかし、否定を処罰する国は少なくない。この点は、それぞれの国家の憲法における表現の自由の規定様式や、解釈例によって左右されるかもしれない。

 日本におけるヘイト・スピーチ論議では、条文の具体的な検討を抜きに、ヘイト・スピーチの処罰自体が表現の自由に違反するとか、明確性の原則に違反すると断定する非常に乱暴な見解が見られるが、欧州諸国における憲法と刑罰規定の連関についてより詳細な研究を行った上での慎重な比較検討が必要である。



5 刑罰



 法定刑が判明しているのは、ドイツが五年以下の刑事施設収容、リヒテンシュタインが二年以下の刑事施設収容、ポルトガルが六月以上五年以下の刑事施設収容、マケドニアが一年以上五年以下の刑事施設収容(煽動する意図をもってなされた場合は、四年以上の刑事施設収容)、ルーマニアが六月以上五年以下の刑事施設収容及び一定の権利停止又は罰金、アルバニアが三年以上六年以下の刑事施設収容である。スイスの法定刑は不明だが、一五か月の刑事施設収容と八〇〇〇フランの罰金とした事案がある。

 ヘイト・スピーチも「アウシュヴィツの嘘」も基本犯罪であり、刑罰もそれなりに重いことがわかる。被害の程度、深刻性を検討し、保護法益を的確に判断すれば、法定刑の上限が五年以下の刑事施設収容とされている例が多いことの意味がよくわかるであろう。