Wednesday, November 02, 2011
雨ニモマケズ、反省セズ
雨ニモマケズ、反省セズ
三月一一日の東日本大震災・津波・原発事故以来、「頑張れニッポン!」「日本は一つだ」のナショナリズム合唱が続き、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が再びもてはやされている。テレビ・新聞はもとより、被災者支援に携わるNGOも、ミュージシャンも「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の大合唱である。賢治の本が飛ぶように売れている。インターネットで検索してみると、被災者を励まし元気づけるための合言葉として無条件に持ち出されている。一部に、「雨ニモマケズ」が、戦争意識高揚のために権力によって利用された歴史があると指摘しているものもあるが、あくまでも「利用された」にすぎないのであって、賢治が素晴らしい作家であることに変わりはないし、「雨ニモマケズ」の精神が被災者支援にふさわしいと判断しているようである。
しかし、はたして賢治は「利用された」のだろうか。なるほど、求道者イメージの賢治の「雨ニモマケズ」の精神は、戦時下の「滅私奉公」のスローガンに合致し、現に教科書にも掲載されたが、それは結果として「利用された」のだろうか。
児童文学の西田良子によると、「『雨ニモマケズ』が書かれたのは、一九三一年十一月三日、即ち、賢治三十六歳の明治節の日である。明治生まれの賢治にとっては、おそらく特別の感慨を抱く日だったと思われる」(『宮澤賢治論』桜楓社、一九八一年)。
西田の文章は奇妙なことに次のように続く。
「彼が自分の死期の近づきをはっきり意識しはじめた時期に書いたものであるということと、彼が大乗仏教の信者で、自分自身の幸せよりも、<あらゆる人の幸せ>を至高の目的としていたということとを考えながら読むことが、『雨ニモマケズ』を理解する上では非常に重要なポイントになると思う。」(同前)
明治生まれの天皇主義者であった賢治が<あらゆる人の幸せ>を目的としたというのは、論理的に理解できない。賢治も時代の中を生きていたのだから、天皇主義者であったことをもって批判するべき理由にはならない。しかし、天皇主義者の思想を<あらゆる人の幸せ>を目的としたと粉飾するのは疑問である。
一九三一年十一月三日の賢治は、一九一〇年の韓国併合、一九二三年の関東大震災朝鮮人虐殺、一九三一年九月一八日の「満州事変」をどのように見ていたのだろうか。
歴史家の琴秉洞によると、賢治は、田中智学が創立した国柱会という宗教団体の機関紙『天業民報』の熱心な読者であり、寄稿家でもあった。賢治は、一九二〇年一二月二日の手紙に、「今度私は、国柱会信行部に入会致しました。・・・今や私は田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。・・・田中先生に絶対に服従致します」と書き、関東大震災のさなかにも国柱会の文書を掲示板に貼ったという。田中智学の思想は「日蓮主義と天皇至上主義を結合させた狂信的国家主義」であり、その文章では「国家を滅ぼさうとする凶悪の徒」「不定鮮人」に対して激しい敵意をむき出しにしていた。『天業民報』は、警視庁が朝鮮人暴動はなかったと発表した後も、執拗に朝鮮人暴動と書きたて、朝鮮人を糾弾し続けた。朝鮮人差別の先頭を邁進する田中智学に「絶対服従」を誓ったのが賢治である。
琴秉洞は次のようにまとめている。
「賢治自身が、この時朝鮮人問題に言及した資料は未見としても、しかし、彼が絶対服従を誓った田中智学の朝鮮人排撃の文と、連日の如くいわれのない朝鮮人攻撃を続けている『天業民報』を辻々に張り回るという行為によって、美事に、朝鮮人攻撃と民族排外主義の旗ふりをやっていたといえる」(琴秉洞「大震時の朝鮮人虐殺に対する日本側と朝鮮人の反応」『震災・戒厳令・虐殺』三一書房、二〇〇八年)。
だからと言って賢治の思想を否定したり、切り捨てたりする必要はない。しかし、自ら積極的に民族差別に加担した賢治は「利用された」のではなく「利用した」のである。このことを考えなければ、差別と排外主義への転落を繰り返すことになりかねない。
雨ニモマケズ 反省セズ
風ニモマケズ 反省セズ
東ニ朝鮮人アレバ 行ッテ不逞鮮人トナジリ・・・
(「マスコミ市民」2011年8月号)
安斎育郎『これでわかるからだのなかの放射能』
安斎育郎『これでわかるからだのなかの放射能』(合同出版、2011年)
http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=324
1979年に初版が出版されたものですが、福島原発事故を機に改訂出版されました。
下記の目次に見られるように、からだのなかにあるさまざまな放射能について詳しく解説しています。第2章では、からだのなかの自然放射能。第3章では、核実験に由来する体内の放射能の解説です。素人にも読みやすく、科学史のエピソードも豊富です。お勧め本です。
体の中の放射能については、この話を悪用して、「もともと体内には自然放射能があるのだから、福島原発事故の放射能など気にする必要はない」と主張する人たちがいます。関東地方と関西地方では自然放射線からあびる量が違うと言った話も悪用されます。
こうした論法について、著者は、明確に批判しています(たとえば59~60頁)。生物学的半減期の話や、人口歯に関しても、だから内部被曝の影響などたいしたことはないといった論法について、「そもそも、被曝しないにこしたことはない放射能」と述べ、「『無害か危険かいずれとも判定しかねる』というのもやはり一種のリスクなのです」(125頁)としています。著者は「予防原則」という言葉を使っていませんが、内容は予防原則と同様です。
第1章 放射能の基礎知識
(1)原子とは
(2)放射能とは
(3)半減期とは
第2章 からだのなかの自然放射能
(1)カリウム
(2)炭素14
(3)トリチウム
(4)ルビジウム87
(5)ウラン物語
(6)ウランの特性
(7)ラジウム物語
(8)ラジウムの特性
第3章 核実験に由来する体内の放射能
(1)ウラン235が核分裂しやすい理由
(2)セシウム137
(3)ストロンチウム90
(4)放射線をガまんする?
(5)核実験による人体被害
第4章 原発事故に由来する体内の放射能
(1)福島原発事故はどんな事故だったか?
(2)スリーマイル島原発2号炉の教訓
(3)チェルノブイリ原発事故による汚染
(4)人類史上類例のない福島原発事故
(5)放射線被曝による障害
(6)5つの放射性核種
あとがきにかえて
安斎育郎(あんざい・いくろう)
放射線防護学、立命館大学名誉教授、安斎科学・平和事務所所長
1940年東京生まれ。1964年、東京大学工学部原子力工学科卒業。工学博士。
東京大学医学部助手を経て、1986年、立命館大学教授。
1995年より国際平和ミュージアム館長。2008年より名誉館長。
2011年、安斎科学・平和事務所開設、同所長。
著書に、『からだのなかの放射能』(合同出版)、『家族で語る 食卓の放射能汚染』(同時代社)、『福島原発事故——どうする日本の原発政策』(かもがわ出版)ほか多数。
またテレビでは 「人間講座 だます心だまされる心」(NHK)、「世界一受けたい授業」(日本テレビ)ほかに出演。
小出裕章ほか『原子力村の大罪』
小出裕章ほか『原子力村の大罪』(KKベストセラーズ、2011年)
http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/wwwsrch.cgi
小出裕章さんが冒頭ですが、それに続くのが西尾幹二さん、そして元福島県知事の佐藤栄佐久さん、さらには南相馬市長の桜井勝延さん。それぞれの立場から、「四重苦」福島の現実を訴える本です。福島在住の作家の星亮一さんと玄侑宗久さんの文章も必読。1500円。
福島第一原発メルトダウンの深層。四重苦“福島の現実”を見よ!
原発マフィア経産省、東京電力の腐敗構造
「福島原発事故からすでに五ヵ月が過ぎました。本来は閉じ込められているはずであった放射性物質が大量に環境に放出され、今現在も猛烈な被爆環境の下、下請け労働者を中心とした作業員たちが苦闘を続けています。そして、周辺では「原発さえなかったら」とチョークで壁に書いた酪農家が自死し、避難所に移された老人たちが死に追いやれ、子どもを含む多くの人たちが、日本の法令の限度を超えて被曝させられ続けています。
いったい、こんな悲劇を引き起こした原因はどこにあり、責任は誰にあるのでしょうか?(中略) 3・11以降、世界は変わりました。大人たちはこれまで原発を容認する、容認できない、無関心の立場を含めて、これまで社会の中で享受してきた利益に対する責任があります。子どもたちを被曝させないことは最低限の責務です。一人ひとりの皆さんが、自らの責任がどういうものか、考えて下さることを願います」 (小出裕章 本文より)
京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏による福島第一原発最新プラント分析&深刻な質問が相次いだ福島緊急講演録「福島で生きる」、国と東京電力と闘い2003年には東電の持つすべての原子炉を停止させた佐藤栄佐久前福島県知事が斬る! 経産省の本質、「世界をリードする100人」に選ばれた桜井勝延南相馬市長が訴える東京電力の無責任体質、「わたしはお墓にひなんします」とう老女の遺書、「福島県には地震、津波、原発、風評被害がのしかかったと言われるが、今いちばん恐ろしいのは、それに五つ目の苦しみ、『風化』が加わることだ」という福島在住の作家・玄侑宗久氏、日本社会の「和」の病理が招いた大惨事という評論家・西尾幹二氏ほか第一級の識者7名が福島第一原発事故の深層を徹底解析!
[目次]
・原子力村への最終警告 小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
序/福島第一原発メルトダウンの深層/東電工程表のウソ/最悪のシナリオ「メルトスル―」/東京電力・国の杜撰な体質/本来なら福島県ほぼ全域が避難対象/関東を襲った「内部被曝」/放射能から子どもを守るために/汚染水処理が最優先課題/「原発はトイレのないマンション」/原子力は「未来のエネルギー」たりえない/火力発電所だけで需要は賄える
・福島で生きる <8・5緊急講演録> 小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
「被曝」するとはどういうことか/セシウム137の恐ろしさ/「容認できるか」決めるのは政府ではない/3・11で変わってしまった世界/福島県民との質疑応答
・脱原発こそ国家存続の道 西尾幹二(評論家)
目に浮かぶ業苦の光景/どんな事故も「想定外」/原発事故は戦争である/国にとっての「内部被曝」/反原発派に転じた理由/堕ちるところまで堕ちるがよい/商人国家路線を否定せよ!/統治者の意識/保安院の「未必の故意」/東大原子力一家/日本社会の「和」の病理/浜岡原発停止は正しい/世界から見放される日本
・本丸は、東京電力ではなく経産省だ! 佐藤栄佐久(前福島県知事)
原発事故は「人災」である/地震対策を軽視してきた原発政策/国と東電の隠蔽・無責任体質/「もんじゅ」事故/「プルサーマル計画」と東電の「脅し」/8・29と「原子力村」の全体主義体制/なぜ双葉町は財政破綻したのか/会津の歴史を繰り返すのか/道州制での「復興」は不可能/地域共同体の再生/新しい都市復興の可能性/福島は原子力の生まれ故郷
・東電からもらったのは被害だけだ 桜井勝延(南相馬市長)
三つに分断された市域/南相馬からのSOS/あいまいな判断基準/東電からもらったのは被害だけだ!/共に戦ってくれた東北電力/原発事故から立ち直る意志を世界に発信したい
・騙し騙され50年、悲劇的結末を迎えた東京電力と城下町 恩田勝亘(ジャーナリスト)
福島原発50年の光芒/「原発は別だべ」――闘士の記憶/被曝管理のズサンさ/原発というモンスターの正体/正力、中曽根、アイク提案/町を飲み込む原発マネーと政界相関図/東電城下町の暗部/原子力村の大罪
・このままでは棄民にされてしまう 星 亮一(歴史作家)
爆発寸前/和牛の汚染/収束はあるのか/無人の浪江町/南相馬市/福島県の人口3万人減/勝手たるべし/無視され続ける地元の町村/老女の自殺/
・人牛同病 玄侑宗久(作家)
雪月花/人牛同病
・跋 最初の数日間の感想 西尾幹二(評論家)
編集後記
Sunday, October 23, 2011
レジュメ:戦争犯罪論と植民地犯罪論
≪2011年度「女性・戦争・人権」学会 年次大会≫
軍事化と女性に対する暴力 ――現在の国際的な動きのなかで――
2011年10月23日
立命館大学
*
戦争犯罪論と植民地犯罪論
――東アジア歴史・人権・平和宣言運動から
前田 朗(東京造形大学)
1 はじめに
本年10月2日、明治大学で開催された集会において東アジア歴史・人権・平和宣言を採択した。宣言は、植民地支配は人道に対する罪であると確認するとともに、植民地犯罪でもあると宣言した。では、植民地犯罪とは何を意味するのだろうか。
「継続する植民地主義」の問題提起を踏まえて、植民地(支配)責任論と植民地犯罪論について考えたい。その際、これまで展開されてきた戦争責任論と戦争犯罪論の関係と対比してみることが整理に役立つのではないか。
1990年代に戦後補償運動が盛り上がり、戦争責任論が再度議論されていた時期、戦争犯罪論の重要性を唱えても、なかなか受け入れられなかった。それが受け入れられるようになったのは、日本軍性奴隷制問題を犯罪と認定したクマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書以後のことであったように思う。「慰安婦」問題に取り組む人たちの中では、戦争犯罪論が徐々に広がっていった。もっとも、戦後補償論には、戦争犯罪だけではなく、さまざまな論点が含まれていたので、このように単純化するのは必ずしも適切ではないかもしれない。
近年の世界的なポストコロニアリズムの隆盛、日本に関する植民地責任論の隆盛についても、そこから学ぶべきことが非常に多いと感じると同時に、その前提として、やはり植民地犯罪論が不可欠であると考える。
というのも、近代国際法は植民地を容認してきた。西欧諸国は自らつくった国際法を使って文明の名の下に植民地を広げていった。それゆえ、植民地支配そのものを批判するためには、国際法の換質が必要である。植民地を容認する国際法や、せいぜい植民地独立付与宣言レベルの国際法ではなく、植民地支配を犯罪とする視座を確立する必要がある。植民地支配下における虐殺や拷問だけが犯罪なのではなく、植民地支配そのものの犯罪性を明示していく必要がある。
そこで、本報告では、戦争責任論と戦争犯罪論についての報告者自身の経験を確認したうえで、植民地責任論と植民地犯罪論を意識して作成された東アジア歴史・人権・平和宣言の内容を紹介する。さらに、その前提となるべき植民地犯罪論について、1990年代の国連国際法委員会における議論を振り返り、今後の植民地犯罪論の可能性を考えてみたい。
2 戦争責任論と戦争犯罪論
2-1 研究と運動における成果
・戦争責任論の系譜――家永三郎、荒井信一、吉田裕
・戦後補償論の成果――80~90年代の各種訴訟
・戦後責任論の問題提起――高橋哲哉
2-2 戦争犯罪論の展開
・旧ユーゴ国際刑事法廷1993
・ルワンダ国際刑事法廷1994
・人類の平和と安全に対する罪の法典草案1996
・国際刑事裁判所規程1998
・ニュルンベルク・東京裁判の再検証
・国際化された法廷
2-3 日本軍性奴隷制問題
・ファン・ボーベン報告書1993
・国際法律家委員会報告書1994
・クマラスワミ報告書1996
・マクドゥーガル報告書1998
・女性国際戦犯法廷2000~01
2-4 国際刑事法の形成
・膨大な理論書
・判例の蓄積――ジェノサイドの初適用、戦時性暴力の処罰
・『戦争犯罪論』『ジェノサイド論』『侵略と抵抗』『人道に対する罪』
3 植民地責任論と植民地犯罪論
3-1 植民地責任論/ダーバン会議に学んだこと
・人種差別と植民地支配
・継続する植民地主義
・植民地犯罪論の可能性
3-2 東アジア歴史・人権・平和宣言の経過
・実行委員会2010
・日韓市民共同宣言2010
・東アジア宣言2011
3-3 宣言の紹介 →資料①
3-4 宣言運動のこれから
・記録の出版
・2012ソウル大会?
・国連人権機関へ
4 植民地犯罪論の模索
4-1 国連国際法委員会 →資料②及び資料ⓐ~ⓔ
1947 国連総会決議
1949 ジャン・スピロプーロス特別報告者
1954 人類の平和と安全に対する犯罪法典草案
1974 国連総会「侵略の定義」
1981 作業再開
1982 ドゥドゥ・ティアム特別報告者任命
以後、9つの報告書(植民地支配犯罪の名称が入る)
1991 法典草案暫定採択
1992~93 国際刑事裁判所規程草案作成作業
1994 第12報告書・草案の検討
1995 第13報告書(植民地支配犯罪の名称が消える)
1996 人類の平和と安全に対する罪の法典草案
1998 国際刑事裁判所規程
*植民地犯罪はなぜ消えたか?
*旧宗主国側の反発
*法的定義の困難性
*植民地被害の認識の不十分さ
*植民地被害の継続・現在性の認識の不十分さ
植民地主義と人種差別
4-2 ダーバンNGO宣言2001
植民地化は人道に対する罪
4-3 東アジア宣言2011
植民地犯罪と人道に対する罪
5 おわりに
植民地犯罪の法的定義の困難性
ダーバン・フォローアップの限界
植民地犯罪論を問い続ける意義
NGO主導による議論の再構築
<資料>
ⓐ1991年の国際法委員会43会期に提出された報告書の規定
草案第15条 侵略
草案第16条 侵略の脅威
草案第17条 介入
草案第18条 植民地支配及びその他の形態の外国支配colonial domination and other forms of alien domination
国連憲章に規定された人民の自決権に反して、植民地支配、又はその他の形態の外国支配を、指導者又は組織者として、武力によって作り出し、又は維持した個人、若しくは武力によって作り出し、又は維持するようにto establish or maintain by force他の個人に命令した個人は、有罪とされた場合、・・・の判決を言い渡される。
草案第19条 ジェノサイド
草案第20条 アパルトヘイト
草案第21条 人権の組織的侵害又は大規模侵害
草案第22条 重大な戦争犯罪
草案第23条 傭兵の徴集・利用・財政・訓練
草案第24条 国際テロリズム
草案第25条 麻薬の違法取引
草案第26条 環境への恣意的重大破壊
ⓑ1991年7月11日の第2239会期の検討により修正
草案第18条 植民地支配及びその他の形態の外国支配
国連憲章に規定された人民の自決権に反して、植民地支配、又はその他の形態の外国支配を、指導者又は組織者として、武力によって作り出し、又は維持した個人、若しくは武力による設立又は維持をthe establishment or maintenance by force命令した個人は、有罪とされた場合、・・・の判決を言い渡される。
ⓒ1995年の47会期による変更
草案第15条(侵略)、19条(ジェノサイド)、21条(人権の組織的侵害又は大規模侵害)、22条(重大な戦争犯罪)に限定
協議続行――25条の麻薬の違法取引、26条の環境への恣意的重大破壊
保留された条項――17条の介入、18条の植民地支配、20条のアパルトヘイト、23条の傭兵、24条の国際テロリズム
ⓓ1998年7月 の国際刑事裁判所規程
侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪
ⓔ各国政府(25カ国)が1993年の国連国際法委員会に提出した意見書より要約
(A/CN.4/448 and Add.1)
オーストラリア――人民の自決権の射程距離についてはかなり議論の余地があり、刑事犯罪の要素を定義するのに十分とはいえない。「外国支配」という語句にも困難がある。国際法委員会の注釈書によると、外国支配とは「外国占領又は併合foreign occupation or annexation」とされているが、これは自決権に対する犯罪と言うよりも、侵略のカテゴリーに含まれる。この語句は、古典的に原則が適用されてきた植民地の文脈を超えてしまう。
オーストリア――「植民地支配」という表現は特別に追加パラグラフにおいて定義されるべきである。「人民の自決権に反してcontrary to」という語句は「人民の自決権を侵害してinfringing」に変えられるべきである。
オランダ――17条について述べたのと同じ理由から、18条を法典に含めるのは望ましくないと考える。(17条について、その内容は15条の侵略に含まれるし、15条に含まれないようなものを含める必要はない、定義がルーズで不明瞭である、と主張している)
北欧諸国(5カ国)――この規定は、法典に置くのに適した基準を満たしていない。「人民の自決権に反して、外国支配」という語句は、あまりに不正確too impreciseで、あまりに包括的である。現在の用語法によれば、この規定は、例えば、さまざまな形態の貿易ボイコットや、開発援助供与国が開発援助に伴って一定の条件を要求するような状況にまで適用されるだろう。この規定はさまざまな解釈の余地があり、紛争を招くことになる。それゆえ、もしこの規定を存続させるのであれば、もっと正確に定義するべきである。
イギリス――「植民地支配」や「外国支配」という用語は、刑法典に含めるのに必要な法的内容を持っていないし、国際刑法に基礎を持っていない。「植民地支配」は、いずれにしても、政治的態度を思わせる時代遅れの概念である。この言葉が国家責任条約草案第19条にあることが、本法典に含めるのを正当化することにはならない。法的文書である法典に政治的スローガン以外の何物でもないものを導入することは遺憾である。委員会は、処罰されるべき行為や慣行を限定して、定義するべきである。「植民地支配や外国支配」の時期に行われた行為は、さらに定義づけがなされれば、法典にふさわしいものになるかもしれない。例えば、ジェノサイドや、人権の組織的又は大規模侵害のように。
アメリカ――提案されている植民地支配の犯罪は、前に論じた犯罪につきまとうのと同じ欠点を提出する。あいまいかつ過度に広範でありvague and too broad、定義ができていない。この欠陥は、今日の国際的な雰囲気において特に重大なものとなる。より大きな民族的分岐のある社会の領域からより小さな国家が出現しているのを目撃しているような状況では。「外国支配」のような行為を犯罪化しようとする試みは、国際緊張や紛争を増大させることにしかならないだろう。
スイス――この規定は植民地支配やその他の形態の外国支配を非難している。外国支配は、委員会の中にそう考えている国家があるように、「新植民地主義」の意味で理解されるべきであろうか?これには疑いがある。「新植民地主義」は法的に確立した概念ではない。さらに、「新植民地主義」は武力によって行われるとは限らない。それはしばしば国家間の経済的不均衡に由来する。従って、注釈から「新植民地主義」に言及した部分をすべて削除するのがよいのではないか。
*上記の資料①②は省略
Friday, October 21, 2011
内山節『文明の災禍』
内山節『文明の災禍』(新潮新書、2011年) http://uthp.net/ http://www.shinchosha.co.jp/writer/934/ *著者プロフィル1950(昭和25)年東京生まれ。哲学者。1970年 代から東京と群馬の二重生活を続ける。著書に、『「里」という思想』『怯えの時代』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』 『戦争という仕事』『清浄なる精神』『共同体の基礎理論』など多数。http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp240616?tvzone=kyoto 10~20年ほど前に何冊か読んだことのある著者の本です。久々に手にして、そうか、こういうことを考えている人だったのか、と妙に納得。著者の「哲学」の魅力は、地に足がついた哲学と言うところにあります。海外の現代思想の紹介と は無縁です。生活の知恵の延長上の哲学です。もっとも、一部にはかなりの人気ですが、哲学会ではあまり評価されていないようです。私自身 は、以前は、読み捨て本の中の一つとして購入し読んでいました。ちょっと齧っておくと、モノを考えるヒントになるという感じです。本書は 新書180頁ほどですが、いろんな読み方ができる本です。とりあえず、私は、ライフスタイルの変化をどのように模索していけばよいのかと言う感心で読みました。著者はにわかづくりではないスローライフ、里山の思想の持ち主なので。 *序章 供養――死者と向き合う* *第一章 衝撃――自然の災禍、文明の災禍* 生命の衝撃文明の災禍静かな敗北敗北のなかの光 *第二章 群衆――イメージの支配* システム崩壊の連鎖情報の壁バーチャルな時空情報と身体 *第三章 時間――営みをつなぐ* 未来の時間の破壊現代における「ウチ」と「ソト」力の求心力虚無のなかから *第四章 風土――存在の自己諒解* グランド・デザイン地域の復興イメージのズレ存在の諒解コミュニティの意味復興の意味 *第五章 共有――何かがはじまっていた* 変革のありか基層的文明破綻と転回自利と利他社会的使命 *終章 自由――イメージとは異なる世界* 専門性の罠 あとがき