Thursday, July 23, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(27)北欧における反差別教育・文化政策

前田朗「差別と闘う教育(一)北欧における反差別教育・文化政策」『解放新聞東京版』863号(2015年7 月)

人種差別撤廃条約第7条は差別につながる偏見との闘いを打ち出している。教育、文化、情報の分野で差別と闘うことが締約国の義務であるが、これまで日本では条約第7条に関する情報があまり紹介されていない。

ヘイト・スピーチの刑事規制に反対するために「処罰ではなく教育が重要だ」と唱える無責任な論者があまりに多い。こうした論者は、どのような教育なのか、その対象やカリキュラムはどうあるべきか、について決して語らない。世界各国で人種差別やヘイト・スピーチと闘うためにどのような教育政策がとられてきたのかを決して語らない。


本稿では北欧諸国(アイスランド、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン)が人種差別撤廃委員会に提出した報告書から、条約第7条に関する記述を紹介した。多彩な内容の教育・文化政策がとられてきた。成果を上げた例もあれば、そうでもない例もある。いずれにせよ、教育だけでヘイト・スピーチ対策なりえないことも明らかになるだろう。

Tuesday, July 21, 2015

Shall we 会議じゃないが

周防正行『それでもボクは会議で闘う』(岩波書店)
4月初旬に出たが、ようやく読んだ。当時の報道では、法務省が強引に推進した「新時代の刑事司法制度特別部会」答申に周防正行や村木厚子も賛成したことが報じられていたため、「なんだ中途半端な妥協をしたのか」と、やや肩透かしの思いもあって、本書を買ったものの読まずにいた。しかし、今回読んでみて、周防正行と村木厚子が、人権無視の警察官僚、屁理屈だらけの法務官僚、無責任極まりない御用学者たちを相手に、人権擁護とあるべき刑事裁判実現のために奮闘し、素晴らしい闘いをしていたことを確認できた。
拷問、拷問まがいの陵虐、人権審議、自白強要、長時間取調べ、黙秘権侵害による強制自白、誤判、冤罪の山にもかかわらず、一切反省しない警察官僚と法務官僚に刑事司法改革ができるはずがない。犯罪者に改革を委ねるのは笑い話でしかない。それでも、官僚相手に取調べの可視化を求め、人質司法の改革を求め、人間らしい社会を求める周防と村木の努力は貴重だ。頭が下がる思いだ。最後に周防は「なぜボクは妥協したのか」と題し、最後の会議の様子を伝える。なるほど妥協しているが、単なる妥協ではない。最大限の努力を積み重ねた末に、次の改革に向けた一歩を踏み出すために余儀なくされた妥協である。

周防が間違っているのは、警察官僚、法務官僚、司法官僚、御用学者を「専門家」「法律家」と呼んでいることだけだ。彼らは屁理屈と人権侵害の専門家であり、責任逃れと税金泥棒の専門家に過ぎない。人権を擁護した刑事司法の担い手の資格のないインチキ集団である。国際人権法の最低限の要請ですら一顧だにせず、市民の自由と人権を貶めることしかしない偽専門家が権力を握って好き勝手にやっているのは、日本だけと言うわけではないが、本当に情けない。

Sunday, July 19, 2015

ザ・ニュースペーパー第87回公演

今夜は銀座博物館ならぬ博品館劇場で、コント集団ザ・ニュースペーパーの第87回公演だった。1988年、昭和天皇ヒロヒトの下血騒ぎがデヴューのきっかけだったので、もう27年もザ・ニュースペーパーに笑わされてきた。
http://www.t-np.jp/
開演と同時に、銀座博品館劇場の椅子の点検と称して観客全員に起立を要請し、ほぼ全員が起立したとたんに、「規律多数と認めます。よって安全保障法案は成立いたしました」。冒頭から観客協力のもとの一発ギャグであった。続いて、安倍シンゾーの一人舞台。さらには菅、谷垣、小泉ら、いつもの面々。
新国立競技場問題では、直前の「白紙」を織り込んでいた。数日前までは、建設反対の声を反映するコントだったはずだが、後半を切り替えていたのはさすが。18歳選挙権問題。石原・猪瀬・桝添3代の知事の会話。周、正恩、オバマ、プーチン、鳩山兄弟も登場。ギリシア債務問題。さらには英国ロイヤル・ファミリーとさる高貴なご一家の掛け合いギャグ。

いつものことながら、最新ネタを取り上げて政治と世相を斬る社会派コント。谷本が抜けて音楽性が低くなったとはいえ、随所に歌あり踊りあり、楽しい2時間だった。

Friday, July 17, 2015

ヘイト・クライム禁止法(95)カザフスタン

政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/KAZ/6-7. 5 August 2013)によると、刑法は人種的不寛容に動機のある犯罪の責任を定めている。
刑法第五四条によると、国民的人種的又は宗教的憎悪又は敵意に動機のある犯罪の実行は刑罰加重事由とされる。
刑法第一四一条は、市民の平等権侵害を犯罪としている。市民の平等権侵害は、出身、社会的、公的、財産的地位、性別、人種、国籍、言語、宗教的見解、意見、居住地、任意団体の構成員であること、その他の事情に基づいて、個人の権利及び自由を直接または間接に制限することである。
刑法第一六四条第一項は、社会的、国民的、民族的、人種的、又は宗教的敵意の煽動に当たる行為を列挙している。社会的、国民的、民族的、人種的又は宗教的敵意又は不和を煽動する行為、市民の国民的名誉、尊厳、宗教感情に対する侮辱、市民の排除、優越性又は劣等性の助長が、公然と又はマスメディアを通じて、又は文書その他の情報の流布によって、行われた場合である。
刑法第一六〇条は、ジェノサイドの処罰を定めている。
刑法第三三七条二項は、人種的、国民的、民族的、社会的、階級に基づいた、又は宗教的不寛容または排除を主張し、実行する任意団体の設立又は指導者になることを犯罪としている。
二〇〇九年~一二年前半期に刑法第一六四条の国民的不和の煽動は二〇件であった。二〇〇九年が七件、一〇年が八件、一一年が一件、一二年が四件であった。二〇件のうち、裁判で実体審理になったのが一二件、執行猶予が二件、中断が一件、強制医療措置処分が一件、係争中が四件である。

二〇〇九年三月二一日、ある男性が携帯電話で「カザフ人よ、ロシア人を叩き出せ」と書いて、テレビ局のSMSに送付し、一時間、そのメッセージが放映された。テミルタウ裁判所は、被告人を刑法第一六四条違反の罪で有罪とし、三〇か月賃金相当の罰金とした。二〇一〇年一月、三人の女性がウイグル民族団体の名前で行動し、アルマティ市の複合住宅の壁に、カザフ人の代表の名誉と尊厳を侵害する言語をスプレーで書いた。二〇一〇年四月二四日、アルマティのメデオ裁判所は、三人を刑法第一六四条二項違反とし、二年の刑事施設収容を言い渡した。

Wednesday, July 15, 2015

集団的自衛権の国際法論を/眠れぬ豪雨の夜に

7月15日、衆議院特別委員会で安倍暴走政権による戦争法案強行採決がなされた。憲法を破壊し、民主主義を否定する暴挙である。戦後日本の平和国家への希求を葬り去り、平和的生存権を押しつぶす横暴である。東京は深夜から激しい雨が降り続く。
森英樹編『集団的自衛権行使容認とその先にあるもの』別冊法学セミナー(日本評論社、2015年)
編者のほかに、浦田一郎、本秀紀、愛敬浩二、倉持孝司、青井未帆、城野一憲、清水雅彦といった憲法学者や、加えて政治学者、ジャーナリストの論文が収録されている。いずれも重要な論文であるが、特に重要なのは、松井芳郎「国連の集団安全保障体制と安倍内閣の集団的自衛権行使容認」であろう。
松井論文から、国際法における自衛権概念の登場、国連憲章51条の自衛権の意味、ウエブスター・フォーミュラから「武力攻撃」へ、自衛権主張の挙証と認定、以上を踏まえての国連憲章の集団的安全保障体制における集団的自衛権の位置をめぐる議論の重要性が分かる。さらに、安倍首相の提示する議論の枠組み、集団的自衛権容認の論理、自衛の「権利」と「義務」のすり替え、が指摘される。国際法上の論点の一部を記述したにとどまるが、それでも重要な指摘がなされている。

衆議院の議論では憲法論(合憲か、違憲か)に議論が集中した。とはいえ、議論が尽くされたわけではない。安倍首相は意図的にごまかし答弁に終始したからだ。憲法論は第一歩からやり直す必要がある。と同時に、松井が指摘する国際法上の論点は衆議院では正面から議論されていない。集団的自衛権はもともと日本国憲法が想定していない国際法上の概念であるのに、国際法の議論が置き去りにされているのは疑問である。

被爆後を生きるということ/井上ひさし『父と暮らせば』

心が震え、身体が震える。
涙が溢れ、思いが揺れる。
優しくも、哀しい、辛く、そして極上の時間。
紀伊國屋サザンシアターで『父と暮らせば』を観劇した。井上ひさし原作、演出は鵜山仁、出演は辻萬長と栗田桃子。
二人芝居の凄味に肺腑が抉られ、いつまでもゆすぶられる。
「被爆者たちは核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ」(井上ひさし)
人間はどんな絶望の中においても生き抜かなければならない。
今から70年前の夏、ヒロシマに投下された原子爆弾。
残された膨大な被爆者の手記の中から編まれた今こそ語り継ぎたい井上戯曲。
生き地獄のヒロシマを舞台に繰り広げられる父と娘の優しくも壮絶な命の会話を通して
平和の尊さを後世に語り継ぐこまつ座渾身の作品。
2008年から栗田桃子の娘・美津江と辻萬長の父・竹造で数々の賞に輝き、
演出家・鵜山仁が希望への祈りを込めて、幸せとは何か、平和な日常を取り戻すとは何かを問う。(こまつ座ホームページより)
井上ひさしが遺した『父と暮せば』(初演1994年)、
『木の上の軍隊』(蓬莱竜太・作/2013年)、
『母と暮せば』(山田洋次・監督/2015年冬公開予定)
戦後70年、『戦後命の三部作』ここに完成。(こまつ座ホームページより)

従来、一部のファンの間で、『父と暮らせば』『紙屋町さくらホテル』『少年口伝隊1945』が「ヒロシマシリーズ」「ヒロシマ3部作」と呼ばれていた。「東京裁判3部作」や「昭和庶民伝」のように、井上ひさしが命名したわけではない。こまつ座は、沖縄戦を題材とした『木の上の軍隊』、ナガサキを舞台とした『母と暮らせば』と合わせて「戦後命の三部作」と命名したと言う。『木の上の軍隊』は初演を見た。『母と暮らせば』も観よう。

大江健三郎を読み直す(45)骸骨に連なる死と危機のイメージ

大江健三郎『表現する者――状況・文学**』(新潮社、1978年)
前著『言葉によって――状況・文学*』に続く本だが、前半は『大江健三郎全作品』第期全6巻(1966~67年)に収録された文章なので、前著よりも古い。後半は『大江健三郎全作品』第期全6巻(1977~78年)に収録されたもの。
内容面では、前著でラブレー、金芝河、ポール・ラディン、山口昌男、バフーチン。トリックスター、グロテスク・リアリズム、祝祭などを取り上げ、形成中だった大江文学の、文学理論が、本書ではあまり目立たない。本書前半では、ギュンター・グラス、ガルシア・マルケス、ノーマン・メイラー、ジェームズ・ボールドウィン、フォークナー、ハックルベリー・フィン、ル・クレジオ等に言及していたが、後半では、教員としてメキシコ在留中であったことから、メキシコを中心にしてラテン・アメリカの情報、『ピンチランナー調書』関係の文章、詩についての考察(オーデン、レイエス)などが取り上げられている。

もっとも、初読時にどのように感じたかは記憶していない。記憶しているのは表紙だけだ。というのも、表紙には、ホセ・ガダルーペ・ポサダ(1851~1913年)の版画が使われているが、骸骨がテンガロンハットをかぶり、アルコール壜を持って歩いている様子で、司修が彩色を加えている、大江の著書にしては珍しいどぎつい絵であり、印象に残る。その印象だけがあった。骸骨に連なる詩のイメージ、銃殺のシーン、そして「民衆芸術」――ここから始まる文学。

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4月から週8コマの授業で、多忙だったため、大江文学の読み直し作業が中断していた。