Tuesday, February 18, 2014

レイシストになる自由?(3)

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店、2014年)                                                          「2 ヨーロッパにおけるヘイトスピーチ規制の多様性」において、ブライシュは、フランス、イギリス、ドイツ、ベルギーなどを素材として、ヨーロッパにおけるヘイトスピーチ規制が、1920年代から90年代にかけて、「規制に向けたゆっくりとした歩み」をしてきたことを論証する。各国における状況だけでなく、国際人権法における発展もごく簡潔ではあるが示される。                                                                                          続いて、1990年代以後のヨーロッパで多くの法律が制定され、規制が次第に拡大してきたことに焦点を当てている。欧州人権条約と欧州評議会の動きがあったからである。その下で、イギリスの2006年宗教的憎悪法、フランスのヘイトスピーチ規制法、デンマークのムハンマド揶揄・風刺画事件とその対応を取り上げて分析している。                                                                                          その上で、ヨーロッパにおける規制の強化と、アメリカにおける表現の自由擁護との分岐について、なぜこれほど異なった方向に進んだのかと問いをたて、2つの要素に注目する。1つは、「アメリカの司法制度は個人主義的な権利中心の枠組みに基づいている。これに対してヨーロッパの司法制度は、人間の尊厳、名誉、礼儀、共同体といったものに強く価値を置いている」。2つは、「こうした法律が制定された文脈」である。「ドイツ、オーストリア、そしてイタリアは第二次大戦後、ファシズムの壊滅的な経験を脱してすぐに、ファシズム的な象徴や言論を禁じる法律を制定した。イギリスやフランス、またドイツでも、1960年代から70年代に反ユダヤ的あるいは反移民的な言論が増加し、これに対する新たな法律がつくられた。そして9・11以降の文脈においては、反ムスリム的な言論が喫緊の課題となった」。1980年代以降のホロコースト否定発言への対処を別とすると、以上の2点でブライシュは欧州とアメリカを比較している。                                                                                       ブライシュの分析は、従来から指摘されてきたことと大筋で変わらないが、従来の議論は、アメリカの状況だけを分析して結論を出したり、欧州の状況だけをもとに結論を出すことが多く、双方の状況を丁寧に検証したものでは必ずしもなかったように思われる。その意味で、ブライシュは従来からの仮説を検証したと言ってよいだろう。重要なのは、アメリカ型とヨーロッパ型を理念型にすることではなく、歴史的経過の中でなぜこのようになったかを問い続けていることである。                                                                                                  なお、ないものねだりを承知で言えば、次の点が欠けている。1つは、ヨーロッパと言っても、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマークなどに限定されている。北欧、イタリア以外の南欧、東中欧は比較の外である。2つは、アメリカとヨーロッパ以外の大半の世界は無視されている。ブライシュは対象を「自由民主主義国」に限定しているのだから、やむを得ないが、自由民主主義の定義はなされていない。北欧諸国は福祉国家だから違うのだろうか。オーストラリアやニュージーランドはどうか。考えるべきことは少なくない。