Tuesday, February 11, 2014

ウズベキスタンの朝鮮人

2月11日、ジュネーヴは、朝からとてもいい天気だった。昨日までは小雨続きだったが、朝は雲一つない快晴。少し気分を変えようと、前日までの黒の作務衣をやめて、薄紫の韓服を着て出かけた。徐勝さんが買おうとするのを、「徐さんに紫は似合わない」などと決めつけて横取りして買った一着だ。それだけでも大切な韓服だ(笑)。グランサコネの丘を下るときは、鼻歌でコッタジの「人は花より美しい」。                                                                                                                                                     11日午後、パレ・ウィルソンで開かれた人種差別撤廃委員会は、ウズベキスタン政府報告書の審査だった。入口をはいると、ちょうどカリザイ議長と5人ほどの大男が打合せ中で、この5人がウズベキスタン政府代表だった。一人が入口脇のデスクに資料を並べていたので見ると、英語の世界人権宣言の本があった。3冊しかなかったのですぐに1冊貰った。『世界人権宣言とウズベキスタンにおける人権保護の国内制度』。もう一つ、表紙にロシア語とハングルの書いてある本が置いてあったので、中身も確かめずに貰っておいた。                                                                                 NGO席にも結構、大男が並んでいたが、女性もかなり体格がいい。タジク人は背が高いが、ウズベク人はがっしり大男大女が多いのかと思いながらNGO席に座ると、隣の女性が「コリアン?どこから来たの?」。「日本です」。「えっ、日本に行ったの?」という意味不明の会話になった。そこでようやく気が付いた。中央アジアには朝鮮人が多数居住している。1937年、スターリン時代に強制移住させられた朝鮮人とその子孫だ。ウズベキスタンもそうだ。彼女は、私のことを「ウズベクの朝鮮人が、日本に移住して、今回、ジュネーヴにやってきた」と思ったのだろう。顔で朝鮮人と思ったのか、韓服のためなのかは、聞かなかったが。                                                                                              入口脇デスクでもらったロシア語とハングルの本を開いてみると、まさにコリアン・ウズベクの本で、写真集だった。本文はロシア語で、一部ハングルで書かれている。1937年の強制移住の苦労から始まって、2007年(強制移住70周年)までのコリアン・ウズベクの人々の生活や文化を写真で見せる本だ。125頁、300枚ほどの写真。