Saturday, March 01, 2014

隠された核の戦後史

中日新聞社会部『日米同盟と原発――隠された核の戦後史』(東京新聞、2013年)                                                                             2012年8月からほぼ1年、見開き2頁10回連載の「日米同盟と原発」に加筆修正を加えた1冊だと言う。原発と原爆の関係史はこの間かなり論じられるようになってきた。本書も、基本的には同じ内容だが、文献だけに依拠したのではなく、100人もの人々にインタヴューをした成果で、具体的である。第2次大戦中の日本の核開発から始まり、広島の惨劇の封印・秘密化、3月1日のビキニ水爆実験と第5福竜丸などを経て、なぜヒロシマ・ナガサキ・ビキニを体験した日本に54基もの原発がつくられたのかの歴史のおさらい。RCサクセションの反原発ソング「ラヴ・ミー・テンダー」などを含むアルバム発売中止事件も取り上げている。忌野清志郎がテーブルの灰皿を壁に向かって投げつけたという。あとがきによると、第5福竜丸事件の大石又七さん、闘病中とのことだ。無防備地域宣言運動にご協力いただき、お世話になった。病に打ち勝ち、再び熱い証言の旅に出ていただきたい。                                                                                         「浜岡停止10日間の攻防」――原発を止めた話も重要。本書によると、経済産業官僚は「浜岡を止めれば、国民の不信感が和らぎ、他の原発再稼働に道が開ける」と考え、そのシナリオを組んだ。「海江田は黙って、うなづいた」。こうして官僚と海江田経産省による原発再稼働路線が決まった。浜岡3号機のみではなく、浜岡全面停止を提案したのは海江田だったが。最後に、浜岡停止から全原発停止の方向に流れを変えたのは菅直人だった。菅記者会見の経過も書かれている。このことは重要だ。その後、菅降ろし、そして野田による逆転再稼働、である。海江田と野田は原子力ムラの子分に過ぎなかった。