Sunday, March 02, 2014

大江健三郎を読み直す(8)監禁状態からの脱出をめざして

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫)                                                                                            1958年6月に講談社から刊行された長編小説で、1965年5月に新潮文庫に収められている。中学の時に文庫本を買ったが、読んだのは高校2年の終わりくらいだろうか。沖縄返還時に大江の『沖縄ノート』を読んだ後のことだ。                                                                                          第二次大戦末期に、感化院の少年たちを集団疎開させる必要があり、教官が3週間かけて少年たちを森の奥深い村に連れて行く。ところが、疫病が流行したため、村人たちは少年たちを置き去りにして村から離れる。残された少年たちは“自由の王国”を手にして奔放に生きるが、疫病の収束を見に帰村した村人たちによって徹底的に破壊される。その間の出来事を描いた作品である。                                                                                                           大江作品という点では、第1に、感化院の少年たちという社会的に疎外された集団が描かれる。主人公で語り手の僕はその中の年長格である。初期の大江作品は、20歳そこそこでデヴューしたためもあり、少年を主人公として設定することが多かった。                                                                                                     第2に、監禁状態という設定である。第二次大戦末期という時代状況もそうだが、森の奥深くにあり、トロッコで谷を越えてやっとたどり着ける村に少年たちが隔離される。監禁状態は、大江の初期の最重要テーマである。                                                                               文庫版解説を書いた平野謙(文芸評論家)は、「『壁のなかの人間』という表象は、処女作『奇妙な仕事』以来一貫したこの作者の人間認識だ」としつつ、それが「ようやく能動的に転化しようとする兆しをみせている」、「最後には彼らも敗れ去ったとはいえ、いったんはみずからの力で自由を獲ちとり、『壁のなかの人間』から脱出する可能性を自覚するものとして措定されている」とし、「ひとつの転機を示す記念すべき作品」と評している。                                                                                                        第3に、森の奥の村である。現在に至るまで、大江がこだわり、ひたすら描き出してきた森の奥が、この段階で舞台とされている。                                                                                                                                    第4に、僕と弟の2人組である。これも大江作品に頻繁に登場する設定である。実際の弟として描かれる場合もあれば、後にその妹と結婚したのだが伊丹十三が主人公とされる場合もあれば、想像上の人物として登場することもあるが、大江の兄又は弟の存在が物語の基調を成す。この点はずっと後に「おかしな2人組(スウード・カップル)」という3部作の長編にたどり着くことになる。                                                                                                                   このように見ると、本書で大江作品の基本枠組みとテーマがかなり出揃っていることに気付く。1963年に障害を持った息子が生まれたことによって、大江の作品は大きな展開を遂げるが、森の奥やおかしな2人組は変わらない基調であり続ける。                                                                                                                                         いま読み返して、真っ先に驚いたのは、森の奥の村に取り残されたのが感化院の少年たちだけではなく、父親が死んだため自ら残った朝鮮人少年がいたことである。匿われていた脱走兵のことは良く覚えていたが、朝鮮人少年のことはほとんど記憶していなかった。1972年頃の私は在日朝鮮人の存在とその歴史についてまったく無知であった。この年に李恢成が『砧をうつ女』で芥川賞を受賞した。李恢成が高校の先輩であることを国語教師から教えられたが、すぐには読まなかった。李恢成を熱心に読むようになったのは大学時代だ。李恢成は大江と同じ年齢である。1973年に発生した金大中拉致事件の衝撃で、少しは勉強したのだろう。翌春、大学生になって上京してみると、日比谷公園で金大中救出の集会が開かれていた。その頃から勉強してようやく知ったので、本作を読んだときには無知だったため、朝鮮人少年の登場の意味がわからなかった。                                                                                                                                          もっとも、本作における朝鮮人の登場の仕方はよくわからない。四国と思われる山の中、森の奥深く、谷をトロッコで渡るその先の村に朝鮮人が住んでいて、差別的に扱われていたことは読み取れるが、なぜ、この村に朝鮮人部落があったのかは示されていない。1958年の大江青年の時代認識と歴史認識がどのようなものであったかは、必ずしも明らかではない。また、大江文学において在日朝鮮人、その形成の歴史、朝鮮人差別が主題としてせり出してくることはあまりなかったように思う。大江が障害者差別、女性差別などに意識的に向き合ってきたこと、部落差別にも必ずしも直接的ではないにしてもそれなりの視線を向けてきたこと、そして被爆者に対する差別に取り組み、政治的発言も繰り返してきたことはすぐに確認できる。エッセイや講演その他を読めば、日本のみならず、世界の人種・民族対立や差別問題に十分意識的な大江であることはわかる。大江文学のテーマの一つは普遍性であり、当然、差別を許さないまなざしが軸に据えられている。ただ、民族差別が大江文学の中心的な主題として設定されることはあまりなかったと言ってよいのではないだろうか。この点は、今後も要確認。