Wednesday, July 28, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)d アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

著者はレイシズムの現象形態を次々と取り上げて批判的に分析し、アンチレイシズムの必要性を説く。人種だけではなく、文化や空間やジェンダーにいたるまで、あらゆる領域にレイシズムが潜み、機能する。その一つ一つを順に取り上げて、誰もがレイシストになりうること、「私はレイシストではない」とうそぶいても仮面をかぶったレイシストにすぎないことを抉り出す。自らの体験を通じて、誰もがレイシストにもアンチレイシストにもなることをこれでもかと描き出す。

その上で、著者は「アンチレイシストであるためには」どうすればよいのかを論じる(1618章)。

差別をなくし、レイシズムを克服するための努力には長い歴史があるが、成功していない。それどころか、世界は差別に満ち、レイシズムにあふれている。レイシズムの被害は途方もない巨大さになっている。これまでのアンチレイシズムの戦略が間違っていたからだ、と著者は主張する。レイシズムとアンチレイシズムの関係を的確に認識し、戦略を立て直さなければならない。

アンチレイシストであろうとするためのステップを明示して確認しなくてはならない。

・「わたしはレイシストではない」「わたしは黒人だからレイシストにはなれない」という否定の言葉を使わない。

・レイシスト(レイシズムポリシーを支持している人、レイシズム的な考えを表明している人)の定義を受けいれる

・自分がレイシズムポリシーを支持し、レイシズム的な考えを表明したことに気づいたら、それを告白する。

・自分のなかにレイシズムを生じさせる源があることを自覚する(ぼくは人をレイシストにする国で育った)

・アンチレイシストの定義(アンチレイシズムポリシーを支持している人、アンチレイシズム的な考えを表明している人)を受け入れる

・自分の空間でアンチレイシズムへの権力移行とアンチレイシズムポリシーを求めて奮闘する。

・レイシズムがほかの偏見と交わる交差点で、アンチレイシズムの立場をつらぬく。

・アンチレイシズムの思想に基づいて指向する。

このステップは、日本の反差別運動が取り組んできたことと全く同じと言って良い。私は「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」を問い続けてきた。日本という空間に生まれ育ち、その文化を身に着けた者は、黙っていれば植民地主義者になるからだ。その自覚から、反植民地主義、反レイシズムへの道が始まる。

著者は第18章「アンチレイシストであるためには」において、次のステップを提示する。

・「人種的不公平」の原因は“人ではなくポリシーにある”ことを認める。

・抑圧や偏見が交差し、顕在化しているあらゆる場所で「人種的不公平」を特定する。

・「人種的不公平」を惹き起こすレイシズムポリシーを調査し、実態を明らかにする。

・「人種的不公平」をなくすためのアンチレイシズムポリシーを考案し、探求する。

・アンチレイシズムポリシーを実施する力を持っている個人や集団をあきらかにする。

・あきらかにした“レイシズムポリシー”や、それらを”アンチレイシズムポリシーにするための是正案“についての普及活動や啓発活動をおこなう。

・共感のあるアンチレイシズムのポリシーメーカーと協力し、アンチレイシズムポリシーを実施する。

・共感のないレイシズムのポリシーメーカーを権力の座から追いおとすためにアンチレイシズムの力を展開し、アンチレイシズムポリシーを実施する。

・アンチレイシズムポリシーが「人種的不公平」を減らし、解消することを確認するため、注意深く見守る。

・ポリシーが失敗しても人のせいにはしない。最初からなりなおし、新たな効果的なアンチレイシズムポリシーを、成果が出るまで模索し続ける。

・新たなレイシズムポリシーが実施されないように、監視の目を光らせる。

いずれももっともな提案である。日本の反差別運動もこれと同じことを長年にわたって続けてきた。

ただ、著者の提案は非常に一般的かつ抽象的である。日本の反差別運動は、日本政府に対して、地方自治体に対して、裁判所に対して、国会に対して、あるいはマスコミに対して、企業に対して、学校に対して、反差別政策の提言をずっと具体的に行ってきた。労働についても教育についても、不動産賃貸でも、様々な場面における差別に取り組んできた。著者には、こうした具体的な場面での提言はない。その意味では本書に学ぶべき新しい点はさほどないようにも見える。

しかし、レイシズムとアンチレイシズムの位置づけ、把握の仕方、考えるための素材が具体的で、わかりやすく、はじめの一歩として非常に重要な著作だ。全米で130万部のベストセラーだという。130万人の読者が本書を理解し、共感し、具体的な取り組みを始めれば、状況を変える大きな力になるだろう。実際に本書出版後のBLM運動の盛り上がりに対して影響を与えた重要著作だという。今後のアンチレイシズム運動にとって大きな意義があるだろう。

本書はレイシズムの歴史と現在を包括的かつ多角的にていねいに分析しているが、不思議な欠落がある。

1に、言語レイシズムに全く言及がない。人種差別撤廃条約を始めとする国際人権文書では、差別の動機として必ず言語が挙げられる。どの国に行っても、言語に基づく差別はもっとも目立つ、重要なテーマである。ところが、本書では実に多くのレイシズムを取り上げているのに、言語は取り上げない。著者は、英語で思考し、対話し、英語で暮らすのが当たり前のことで、それ以外のことは考えたことがないのかもしれない。

1冊の本で全てを取り上げることなどできないので、言語レイシズムを取り上げていないことは、たまたま書いていないだけで、さして重要でないとも言える。

ただ、もっと重要なことを指摘しておく必要がある。

すなわち、第2に、本書では「レイシズムとミリタリズム」への言及がない。著者が生まれ育ち、現在もその一員であるアメリカ合州国の最大にして最悪のレイシズムは「ミリタリズムと結びついたレイシズム」である。第二次大戦以後に絞っても、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア空爆、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争によって、かの国はアジアにおいて数えきれない人々を殺戮した。難民に追い込んだ。そのことを誇り、凱歌を上げ、経済的に潤ってきた。米軍のミリタリズムとレイシズムを切り離して考えることはできない。米軍の歴史と現在、そして軍学校における軍事教育などを抜きに現代レイシズムを測定することもできない。この最重要論点を著者は懸命に回避する。アメリカン・ドリームが外部にとってはアメリカン・ナイトメアでしかないことを著者はどれだけ理解しているだろうか。

このことをきちんと指摘しておく必要がある。同時に、平和憲法を持つはずの日本においても、日本政府や社会が持っている「ミリタリズムとレイシズム」問題を俎上に載せていく必要がある。