Saturday, August 02, 2025

反差別連続講座第3回 民族教育権と将来の世代の人権

反差別連続講座第3回

民族教育権と将来の世代の人権

前田 朗

 

9月11日(金)18152030 開場18:00

浦和コミュニティセンター第13集会室

浦和駅東口 浦和パルコ上10

参加費 800円 (学生・障がい者500円)

 

主催: 外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク埼玉

協賛: ヘイトスピーチ禁止条例を求める埼玉の会

子どもの人権埼玉ネット

朝鮮・韓国の女性と連帯する埼玉の会

問合せ・申込:080-1245-3553(斎藤) 

取調拒否権を考える(6)

取調拒否権について、最近はあちこちいくつかのメディアに書かせてもらっているが、以前は、ほとんど救援連絡センターとその機関紙『救援』が主たる舞台だった。

 

『救援』には1995年からずっと毎号連載している。テーマは全てその時々の私の判断で、編集部から注文がついたことがない。自由気ままに書いてきた。

 

2018年の連載は次の通り。

1月:恣意的処刑とジェンダー

2月:死刑と差別に関する国連報告書

3月:アジアの中の日本国憲法

4月:刑罰制度改革はいかにあるべきか

5月:反差別運動における暴力(二)

6月:女性に対するレイシズム

7月:集会・結社の自由の人権理事会報告書

8月:ヘイト番組「ニュース女子」問題

9月:フェミニズムはどこへ行ったのか

10月:日本軍「慰安婦」問題人種差別撤廃委員会勧告

11月:うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

12月:少年年齢引き下げ法改正に反対する刑事法研究者声明

 

刑事法と差別問題のテーマが多いが、11月は翁長雄志・沖縄県知事が亡くなったので追悼の意味、12月は少年法改正問題。以下に貼り付ける。

 

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救援18年11月

うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

 

前田 朗(東京造形大学)

 

基地問題の新局面

 

 琉球新報社編『魂の政治家――翁長雄志発言録』(高文研)は「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、「オール沖縄」を牽引して、日本政府と渡り合った翁長雄志の二一本の発言・講演をまとめた一冊である。

 八月八日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。膵臓癌のため手術を受け、さらに入院中だったが闘病かなわず、六七歳の早すぎる逝去である。ご家族の思いはいかばかりか。と同時に、辺野古基地建設反対運動をともに闘ってきた沖縄の人々の心中も察するにあまりある。

 沖縄に米軍基地を押しつけ、その撤去のために何もできずに来た本土のやまとんちゅの一人に過ぎない私に、翁長知事の追悼を述べる資格があるのか、と考え込まざるを得ない。

 とはいえ、尊敬する政治家の死を悼み、敬愛する人間の早すぎる死を惜しみ、私なりの追悼をするのに資格などもともと不要だ。

 七月二七日に辺野古基地建設に伴う埋立承認撤回に向けた手続きの開始を宣言する記者会見の様子を見て、翁長知事のやつれた姿に驚き、不安に思い、同時にそれでも前向きに闘う翁長知事の姿勢に心から敬意を抱いたのは、私だけではないだろう。

 日米両政府の植民地主義的で、問答無用かつ尊大きわまりない基地押しつけに敢然と立ち向かい、オール沖縄の闘いを全身で牽引し、アメリカにも国連にも出かけて惨状を訴えた政治家・翁長の決意と志に打たれた多くの人々と同様に、深甚の限りない無念の涙とともに、翁長知事のご冥福を祈る。

 一人ひとりの市民の生きる暮らしと願いと夢と希望を賭けて、首長として、政治家として、人間として、最後の最後まで毅然と、冷静沈着に、だが断固として平和を求め、自由と人権のために歩み続けた翁長知事のご冥福を祈る。

 日本という国と、私たち日本人、やまとんちゅの果てしない堕落と腐敗を痛切に受け止め、歯噛みしながら、基地建設反対運動、平和運動、人権運動にこれまで以上に力を注ぎたい。

 二〇一五年九月二一日、翁長知事が国連欧州本部の第二〇会議室で、国連人権理事会で発言した、あの時と同じ座席に座って、哀悼の思いを心に刻んできた。次の一歩、のために。

 九月三〇日、沖縄県知事選は翁長知事の遺志を引き継ぐデニー玉城が対立候補に大差をつけて当選した。基地はいらないという沖縄県民の堅い意志が改めて表明された。

 にもかかわらず、日本政府は沖縄に基地を押し付ける方針を再表明し、徹底差別を続けている。辺野古基地建設に反対するデニー玉城知事と沖縄県民の闘いは、いっそうの熱意と希望の下、逆に厳しい攻撃にさらされながらの新局面を迎えた。沖縄に基地を押し付けない本土の闘いを強化しなければならない。

 

翁長雄志の言葉

 

 「集団自決が日本軍の関与なしに起こりえなかったのは紛れもない事実」(二〇〇七年九月二九日、教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会)との、沖縄県市長会会長としての発言を皮切りに、政治家・翁長の紡ぐ言葉と思想は揺らぐことがなかった。

「基地の整理縮小という一点で県民の心が一つにまとまった」(一二年九月九日のオスプレイ配備反対沖縄県民大会)

「日米安保体制は日本国民全体で考えるべきだ」、「沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない」(一三年一月二七日のオスプレイ配備撤回東京要請行動における沖縄県市長会会長としての発言)。

 「イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍根を残すことのない責任ある行動が今、強く求められている」(一四年九月一三日、知事選出馬表明)。

 「安倍総理が『日本を取り戻す』と言っていた。取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか」(一五年四月五日、菅義偉官房長官との会談)。

 「私は日本の政治の堕落だということを申し上げている。うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」(一五年五月一七日、止めよう辺野古新基地建設県民大会)。

 「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています」(二〇一五年九月二一日、ジュネーヴ国連人権理事会)。

 「ぐすーよー、まきてぇーないびらんどー(皆さん、負けてはいけませんよ)、わったーうちなーんちゅぬ、くゎんまが、まむてぃいちゃびら(私たち県民の子や孫たちを守っていきまでょう)。ちばらなやーさい(頑張っていきましょう)」(二〇一六年六月一九日、米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会)。

 行政の責任者として住民の安全と平和を守るため、理不尽な差別に抗し、不正義を撃つ姿勢は、うちなんちゅだけではなく、「本土」の思想家や平和運動家を感銘させ、叱咤激励し続けた。ここにはあいまいな言葉を駆使して陰で利権あさりに励む日本の政治家(政治屋)とは対極的な思想家・翁長雄志が端然と、すっくと立っている。

 普久原均(琉球新報社編集局長)は「不世出の人物から未来への光を」と題して「翁長雄志という政治家は、沖縄にとって不世出の存在だった。そう感じられてならない。その名が屋良朝苗、瀬長亀次郎、西銘順治、大田昌秀と並んで沖縄現代史に深く刻まれるのは間違いない。だがそこにとどまらず、沖縄近代史、琉球史に記される存在だったといっても大げさでないのではないか」と言う。

 普久原はさらに「沖縄側の意思を蹂躙する存在に対し、体を張り、命を賭けて抵抗したという意味では、近世史初めの琉球王国高官・謝名親方を彷彿とさせるものがある。謝名は島津の琉球侵略に抗い、島津に忠誠を誓う起請文への連判を拒んで処刑された人物だ。翁長氏の歩みはそれと重なって見える」と言う。

 七月二七日、膵臓癌を患い、まともに歩くことさえままならない状態にもかかわらず、辺野古埋立承認撤回表明の記者会見で、翁長雄志は死のぎりぎりまで、沖縄の民意を踏みにじる政府を批判し、基地押し付けに抵抗した。抵抗と自己決定権の正当性を確固たる言葉で語り、毅然とした姿勢を貫いた。翁長雄志の言葉は「沖縄の思想」そのものとなり、語り継がれるだろう。本土のやまとんちゅも「沖縄の思想」に学び、自らの植民地主義と暴力性を猛省しなければならない。

 

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救援18年12月

少年年齢引き下げ法改正に

反対する刑事法研究者声明

 

前田 朗(東京造形大学)

 

審議不十分

 

 法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会(以下「部会」)において、「少年法における『少年』の年齢を一八歳未満とすること及び非行少年を含む犯罪者に対する処遇を一層充実させるための刑事法の整備の在り方について」の審議がすすめられている。この立法措置には重大な疑問があるため、一一月一六日、全国の一三〇名の刑事法研究者が強い反対を表明した(呼びかけ人二八名)。事務局を担ったのは葛野尋之(一橋大学教授)、武内謙治(九州大学教授)、本庄武(一橋大学教授)である。声明は四つの柱からなる。

 第一に「部会では現在まで少年法適用年齢の上限の引下げに関して十分な審議が行われていない」。

 第二に「少年法適用年齢の上限の引下げには積極的な根拠が必要である」。

 第三に「部会において構想されている『若年者に対する新たな処分』は、現行制度の代替にはなりえない」。

 第四に「民法上の『成年』を少年法上の『少年』とすることはできない、とすることの誤り」。

 国際自由権委員会や拷問禁止委員会など国際人権機関からの改善勧告には耳を閉ざしながら、法務官僚と司法官僚の談合によって推進されてきた刑事司法改革の一環であり、結論ありきの審議が進められている。子どもの権利条約をはじめとする少年司法に関する国際準則の配慮も不十分である。以下、順次補足していこう。

 第一に、少年法適用年齢上限引下げ問題が部会で正面から取り上げられ、検討されたことは二〇一八年一〇月末日まで一度もない。少年法適用年齢上限は、本質において、刑事政策のみならず青少年政策上も極めて重大な問題であり、関係する専門的知見を十分に踏まえて、多角的かつ慎重に検討を進めるべき問題である。それゆえ拙速な審議は厳に避けるべきであるのに、十分な審議がなされていない。

 第二に、少年法適用年齢上限引下げには積極的な根拠が必要であるが、その根拠が十分に示されていない。部会設置後に行われた民法改正をめぐる国会審議では、民法上の成年年齢は単独でさまざまな取引行為ができ、親権に服さなくなる年齢であって、少年法上の成人年齢引下げを必然的に帰結するものではないと確認されている。一八歳、一九歳の若年者はいまだ成長過程にあり、引き続き支援が必要な存在であり、社会全体として支えていかなければならないという視点が重要である。複数の参考人からは少年法適用年齢の上限の引下げることへの反対意見が表明されている。

こうした説明が国会において公式に行われたのに、なぜ少年法適用年齢が引き下げられなければならないのか、立法措置の必要性・合理性がより一層積極的に示されなければならないはずである。しかし、その必要性・合理性は今日まで示されていない。

 

新たな処分への疑問

 

第三に、部会において構想されている「若年者に対する新たな処分」は、現行制度の代替にはなりえない。部会が構想する「若年者に対する新たな処分」は、現行少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置にはならない。部会審議のように民法上の成年は刑事上も大人として扱うことを前提とする場合、「新たな処分」のあり方は自由権保障との関係で問題が生じる。行為責任主義や比例原則に鑑みれば、施設内で身体拘束を行う少年院に相当する施設への送致や少年鑑別所送致を「新たな処分」の中に含めることができなくなる。適正手続保障の観点からは、家庭裁判所における非形式的な非公開の手続で審判を行うことにも問題が生じ、無罪推定の法理から、事実認定前に社会調査や鑑別が行われることにも問題が起こる。

こうした自由権保障を無視するなら、「新たな処分」は実質的には保安処分となる。民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことが許されないという前提に立つ以上、少年法の理念が及ばないこととなると考えるのが自然である。となると、「新たな処分」においては、本人の成長発達を促すための働きかけに限定されることなく、再犯を防止するための措置がとられることになろう。これが他の年齢層に拡大しないという保証はない。

自由権保障のための刑事法の諸原則にしたがい、「新たな処分」の内容を社会内処遇である保護観察に限定しても、問題は解決しない。この場合、家庭裁判所における調査と審判は事実上保護観察を課すか否かを判断するものとなり、教育的働きかけのプロセスではなく、すでに決まった結論へと向かう形式的なものになってしまう可能性が高い。現在非行少年に対する家庭裁判所の調査と審判が有している教育的な働きかけが失われてしまう。

さらに、検察官が起訴猶予相当と判断することなく、刑事裁判所に起訴した事件については、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた教育的な処遇を受ける機会を失うこととなる。

 第四に、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、とすることは誤りである。部会で検討されている「若年者に対する新たな処分」が、いずれにしても、現在の少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置とはなりえないという隘路は、部会が民法上親権者の監護が及ばない「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されないという前提に立っていることから生じている。

そもそも、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との前提自体に重大な疑問がある。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との考えは、少年司法制度の形成および発展の歴史からみても正しいとはいえない。

 「若年者に対する新たな処分」構想にしても、民法上の「成年」と少年法上の「少年」をめぐる理解にしても、現行少年法制度の経験や実績についての内在的検討を踏まえず、外在的要因に右往左往した改革案の正当化に部会審議が集中しているのではないかと疑念を抱かざるを得ない。

二一世紀に入ってからの矢継ぎ早の刑事司法改革も同じ傾向を示してきた。外在的要因の影響下でなされた刑事司法改革の帰結の検証も十分なされないまま、次々と目先を変える「改革病」が蔓延している。被疑者、被告人、受刑者、少年などの市民の権利保障を緩和しながら、検察官、裁判官、一部の刑事法研究者など「専門家」の「改革病」が事態を悪化させている。