Sunday, March 16, 2014
ヘイト・クライム禁止法(64)ベルギー
ベルギー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/BEL/15. 13 September 2006)によると、1981年の人種主義と外国人嫌悪に関する法律が1999年5月に改正され、すでに主刑を言渡された者に対して、裁判所が裁量で付加刑として5年以上10年以下の一定の政治的権利(公職就任権、公務員就任権、被選挙権)の取消しを言渡すことが出来るようにした。
2005年4月14日、アントワープ控訴裁判所は、1995年の歴史否定主義に関する法律および1981年の人種主義と外国人嫌悪に関する法律に違反した人物に、主刑として1年の刑事施設収容、付加刑として10件の政治的権利取消しを言渡した。
2006年4月26日、数々の極右過激派リストに名前が載っている人物が、ベルギーでともに居住する諸外国人を貶める文書を配布したかどで、人種主義の煽動で罰金及び5年の資格剥奪(被選挙権など一定の市民的政治的権利)を言渡された。報告書には裁判所名の記載がない。
1989年7月の連邦選挙に際する支出・政党助成に関する法律第15条は、欧州人権条約が保障する自由と権利に明白に敵対を表明する政党に対する助成を取消すことを認めている。同法に基づいて2005年8月、閣議は実際の施行措置を定めた。
ベルギーではフラームス・ブロックという政党をめぐって議論が続いていた。1999年5月、憲法第150条が追加され、人種主義的性質のプレス犯罪を刑事裁判所の管轄とした。刑事裁判所は、1981年の人種主義と外国人嫌悪に関する法律違反事件だけでなく、刑法第443条の名誉毀損罪、1995年の歴史否定主義に関する法律違反事件を扱うことになった。反レイシズムの訴追を容易にする改正は、旧フラームス・ブロックを念頭に置いたものである。2003年2月26日、ブリュッセル控訴裁判所は、3つの非営利団体がフラームス・ブロックと結びついているとされた件で、3tの団体が訴追されることになった行為が証明されたならば、それはフラームス・ブロックという政党によって行われたことになり、「政治犯罪」ということになるとして、管轄権を否定した。これに対して、2003年11月18日、破棄院は、「政治犯罪」という概念は明確に規定されているとし、政治犯罪概念を限定的に解釈した。2004年4月21日、ゲント控訴裁判所は、3団体に1981年法律違反(人種差別煽動団体のメンバーであること)で、約12000ユーロの罰金を命じた。フラームス・ブロックは法的地位を失っていたので、対象とはならなかった。2004年11月9日、破棄院はこの判決を支持したこれにより、フラームス・ブロックは解散となり、2004年11月14日、新たにフラームス・ベラングが設立された。
2006年4月18日、ブリュッセル控訴裁判所は、国民戦線の指導者とその助手に、人種憎悪、差別、隔離主義の煽動で有罪を言渡した。助手は、10年間の被選挙権取消しと外国人統合センターでの250時間の社会奉仕を命令された。破棄院に上告中である。
人種差別撤廃委員会はベルギー政府に次のような勧告をした(CERD/C/BEL/CO/15. 11 April 2008)。国民戦線メンバーに有罪判決が出たが、ヘイト・スピーチが続いている。委員会は、フラームス・ベラングが、2007年5月10日の法律第21条に基づいて、人種的優越性と憎悪の主張の流布が犯罪とされるのは表現の自由に反すると憲法裁判所に提訴した裁判に関心を有する。条約第4条及び一般的勧告15に照らして、条約第4条を意見・表現の自由と合致していると考えるべきである。委員会はベルギーに、政治家、公人、一般公衆における外国人嫌悪や人種的偏見と闘う措置を強化するよう勧告する。委員会は、長い裁判の結果、人種主義と差別宣伝を行うフラームス・ブロックが解散となったことに留意する。その継承団体フウラームス・ベラングの活動に留意する。委員会はベルギーが条約第4条(b)を実施する特別の規定を持っていないことに関心を有する。委員会は、一般的勧告15を想起しつつ、条約第4条を完全かつ適切に実施するよう勧告する。委員会は、人種主義者の犯罪に関する統計数値が限られていることに関心を有する。捜査、訴追、判決、被害者補償に関する統計も不十分である。