Friday, March 07, 2014

ジェノサイド条約65周年記念パネル

3月7日、国連人権理事会は1948年12月に採択されたジェノサイド条約65周年を記念するパネルディスカッションを行った。                                                                                             ナヴィ・ピレイ国連人権高等弁務官、エドアルド・ナルバンディアン・アルメニア外相のあいさつに続いて、パネラーは、まずエスター・ムジャウォヨ、社会学者で、ルワンダ・ジェノサイドの生存者。最初に2枚の写真を示して、映っている父親、母親、夫、アネ、兄、姪、甥などを指して、みな殺された。もう1枚の写真に夫の父親、母親、兄弟など、姪一人を除いて、みな殺された。ジェノサイドの恐怖の体験をしたのちに、社会学者として、ポスト紛争の生活再建と修復的司法について語った。                                                                              次に、アダマ・ディエン、ジェノサイド予防に関する国連事務総長特別顧問。10年間の特別顧問の任務を報告した。もともと国際法律家委員会の事務局長(1994年のICJ「慰安婦」セミナーで来日)で、法律家だけあって、ジェノサイド条約の国際条約上の位置を説明しつつ、私たちは十分すぎるほど失敗を重ねてきたとし、早期警報、予防その他の対処を強調。最後に他の人権条約と違って、ジェノサイド条約にはモニタリング・システムがないことを指摘した。                                                                                             最後にジョナサン・シソン、スイス外務省残虐行為の予防タスクフォース顧問。アメリカ人で、かつてNGOの国際友和会やスイス・ピースで活躍し、「慰安婦」問題を人権委員会に訴えた。今はスイス政府の顧問。予防、早期警報や、被害者補償、教育などを順に語った。記憶について、バングラデシュとアルゼンチンのメモリアルがすぐれていると言う。                                                                                      各国の発言は、西欧とラテンアメリカの諸国が条約履行の手立てにつきいろいろと発言した。アゼルバイジャンがアルメニアを非難し、一部対立が露見したが。飛び交う言葉の基本は、当然のことながら、レイシズム、ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ、戦争犯罪、人道に対する罪だ。ヘイト・スピーチとは何かを知るには最適の場だが、こういうことが日本に知られることがない。知性の欠落した日本の憲法学者が国際舞台にやってきて「ヘイト・スピーチは表現の自由だ」と言ってくれれば、おもしろいのだが。