Sunday, March 09, 2014

大江健三郎を読み直す(10)セヴンティーンの内面から安保状況を

大江健三郎『性的人間』(新潮文庫)                                                                                         「性的人間」「セヴンティーン」は1963年6月に『性的人間』(新潮社)、「共同生活」は『孤独な青年の休暇』(新潮社)。新潮文庫版は1968年だ。                                                                               「セヴンティーン」の初出は「政治少年死す――セヴンティーン第2部」と順に、『文学界』1961年1月号、2月号。浅沼稲次郎暗殺事件をもとに、右翼少年の内面を描いた作品だが、右翼団体から出版社等に脅迫が行われたため、第2部はその後の単行本に収められていない。深沢七郎の『風流夢譚』事件と並ぶ右翼による言論弾圧の代表的事件だが、現在まで未解決である。大江がノーベル賞を受賞した時期がチャンスだったが、何の議論も起きず、そのまま出版できない状態が続いている。学生時代にコピーを入手して読んだことは読んだが、文学作品を読んだと言うよりも、歴史的事件の該当文書を読んだという感じだった。ノーベル賞受賞作家の作品を出版できない国だ。もっとも、「政治少年死す」は、最近、某出版社の右翼研究本に、『文学界』掲載のものがコピーでしっかり掲載されている。それも入手したが、やはり文学作品として読むのはまだ難しい。                                                                             「セヴンティーン」を読んだのは、20歳の頃だったと思う。ポール・ニザンの「ぼくは20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにもいわせまい」を読んでしまった後に、大江「セヴンティーン」の冒頭の「今日はおれの誕生日だった。俺は17歳になった。セヴンティーンだ」を読んで、しまった、もっと早く読んでおくべきだったと思った。ニザンの『アデン・アラビア』は、晶文社の篠田浩一郎訳が1966年に出ているので、それを1975~76年に大学図書館で読んだ。もう17歳は遠かった(苦笑)。                                                                                          「セヴンティーン」は、「政治少年死す」とともに、大江のもう一つの道を指し示すはずの作品だった。それが右翼による脅迫のために潰されてしまった。                                                                                                        というのも、他の作品のように自分の故郷の森の奥や、家族(特に障害を持った息子)という世界ではなく、大江自身とは全く異なる人物を主人公にしながら、その内面に迫るという手法であった。後まで続く「おかしな2人組」の構成でもない。「性的人間」と「政治的人間」の主題を交錯させながら、時代の流れに乗りつつも、同時に時代に反逆し異議申し立てする若者を描く試みだったと言えよう。また、《不幸な若者たち》が天皇に手榴弾を投げつけるのに失敗した『われらの時代』に引き続き、本作で大江は天皇制に接近している。ここでは性的に煩悶していた少年が、右翼団体に出会うことを通じて、正義を獲得し、天皇陛下に出会う。「おれが天皇陛下の子である」ことに気付き、《七生報国、天皇陛下万歳》の文字を背負い、国会デモ繰り返す左翼勢力に立ち向かう。                                                                                                      「おれは十万の《左》どもに立ちむかう二十人の皇道派青年グループの最も勇敢で最も凶暴な、最も右よりのセヴンティーンだった、おれは深夜の乱闘で暴れぬきながら、苦痛と恐怖の悲鳴と怒号、嘲罵の暗く激しい夜の暗黒のなかに、黄金の光輝をともなって現れる燦然たる天皇陛下を見る唯一人の至福のセヴンティーンだった。小雨のふりそぼつ夜、女子学生が死んだ噂が混乱の大群衆を一瞬静寂に戻し、ぐっしょり雨に濡れて不快と悲しみと疲労とにうちひしがれた学生たちが泣きながら黙祷していた時、おれは強姦者のオルガスムを感じ、黄金の幻影にみな殺しを誓う、唯一人の至福のセヴンティーンだった。」                                                                                                               山口二矢(1943~1960年)と、樺美智子(1937~1960年)――出会うことのなかった2人だが、大江は、樺美智子ではなく、山口二矢をモデルに安保状況を描き出した。