Saturday, May 17, 2014

大江健三郎を読み直す(19)大江文学を生み出すための失敗作

大江健三郎『夜よゆるやかに歩め』(中央公論社、1959年[講談社、1963年])                                             先に「『燃え上がる緑の木』第一部『「救い主」が殴られるまで』以前の主要な小説作品はすべて読んだ」(大江健三郎を読み直す(1)、本年1月4日)と書いたが、本作は読んでいない。『われらの時代』(中央公論社、1959年5月)の2か月後に、同じ中央公論社から出版されているが、古書で購入したのは講談社・ロマン・ブックスに収録された1冊だ。大江は1957年に「奇妙な仕事」でデヴューし、「死者の奢り」を発表し、1958年に「飼育」で芥川賞を受賞し、『芽むしり仔撃ち』も公表している。1959年には『われらの時代』と本作を相次いで出版し、1960年には『孤独な青年の休暇』『青年の汚名』、そして1962年には『遅れてきた青年』と続く。                                                 つまり、最初期の、少年時代や動物をモチーフにした作品群から、現代青年の苦悩を主題に、長編作家となるべく試行錯誤した時期へと移行した時期である。この前後、大江の文学的主題は、青年、そして同時代であった(この時期だけではないが)。そして、長編小説を書き続けるために実験を重ねていたと言ってよいだろう。                                                  『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫)の回顧では、作品名には言及することなく、「自分の人生を振り返って、あの時をよく生き延びたな、とぞっとする時期がいくつかあります。それが一番はっきりしているのが、小説を書くようになってからの四年ないし五年だったと思います。」と述べる。また、『芽むしり仔撃ち』について語りながら、「そのあたりまでは、いま読んでもかなり面白いと思う作品がありますけど、その後の二、三年、自分が書いた小説はよくない。よくない、と自分でわかってるんだけど、文芸誌というものは、いったん顔を水面に堕した新人には寛大でね、受け入れてくれるから、それを発表する、という感じで文壇での生活を始めていたわけです。」とも述べている。                                                               「よくない」作品の代表が本作だろう。新人作家が陥った最初のスランプを見事に証明する作品だ。                                                                                     しかし、「セヴンティーン」「政治少年死す」、そして『個人的な体験』へと、作家としての大事件及び人生の激変に直面しながら、大江は最大の危機を乗り越え、同時に生涯の文学的主題を獲得し、方法論を磨き始める。『夜よゆるやかに歩め』は、その後の大江文学を生み出すために必要な失敗作だったのだろう。