Friday, April 26, 2019

桐山襲を読む(5)抗う時代の燻る残滓を編む


桐山襲『聖なる夜 聖なる穴』(河出書房新社、1987年)

天皇暗殺計画の虹作戦を扱ったパルチザン伝説で「事件」となった桐山は、天皇暗殺事件そのものを描いたわけではなく、あの時代の青年たちの社会意識のありようを主題としたのだったが、とはいえ、やはり天皇暗殺が重要モチーフだった。同様に本作では、皇太子夫妻沖縄訪問に対する抵抗の試みを、明治における琉球処分の血の沖縄植民地化に抗する謝花昇の闘いと並行させて語る。現在の闘いと100年前の闘いを交錯させながら、現実と伝説をスパークさせる手法が桐山流である。

沖縄の娼館に通う「やまと」の男と、借金のために娼婦にさせられている少女の会話を柱に据えながら、過去の謝花の闘いと、現在の反・皇太子訪沖の孤独な闘いをからませて、日本と沖縄の歴史と現在を描く構成は、桐山らしい巧みな構成となっている。

パルチザン伝説では、主人公は沖縄の片隅で死んでいくように設定されているが、本作では謝花昇と同じ姓の主人公が、ひめゆりの塔の下の洞窟から飛び出して、頭からガソリンをかぶり、「一個の炎となって洞窟から飛び出してきた」。

「人間の形をしたオレンジ色の炎が、何かを叫びながら、幾歩か前へ進んだ」が、倒れて燃え上がる。皇太子夫妻は無事であった。そこに沸き起こる民衆の指笛。老婆たちのカチャーシー。

1968年から70年の間に投じられた無数の火炎瓶。

コザ暴動から5年後に皇太子夫妻の足元に投げ込まれた人間火炎瓶。

ここに、抗う時代の燻る残滓が文学作品として提示されている。正義も成算もなく、希望も感動もなく、ただ、ひとかたまりの憤怒を造形し直し、悲哀と悲惨の彼方に据えて見せた桐山は、新川明の『反国家の兇区』(現代評論社)を文献として掲げる。

反復帰論の名著を掲げることで、桐山は、沖縄からやまとを撃つと同時に、やまとの中で国家を撃つ思想を文学世界に甦らせようとする。それを受け止めるだけの精神が、やまとには、ほとんどなかったというしかないのだが。