Tuesday, July 05, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ03

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

2回にわたって佐藤論文の概要を紹介した。以下では私の観点からのコメントを付していきたい。

佐藤と私にはいくつか共通点がある。佐藤は、植民地支配論がヘイト・スピーチ論議に関連すると考えている。国際人権法の視点で物事をとらえ返す姿勢も共通である。差別やヘイトをなくすために様々な手法が採用されるべきであり、刑事規制はその一部に過ぎないと考えている。差別禁止法やパリ原則に従った独立の人権機関が必要であると見ている。このように共通点はいくつもあるが、その程度というか、ニュアンスはかなり異なるかもしれない。佐藤説はヘイト・スピーチのごく一部について、ごく限定的に、規制が許される場合がないわけではないという立場であり、消極説に近い中間説といった印象である。

1に植民地支配論である。

佐藤は、「日本の植民地支配と、その結果としての特別永住者の存在が、ヘイトスピーチを行っている人々と無関係であるはずがない」とし、主に板垣竜太の、ヘイト・スピーチを「レイシズムという大きな問題の氷山の一角」に位置づける見解を参照する(8990)。ただし、佐藤は、「この板垣の問題意識それ自体は共有しつつ、しかし第3章で検討するようにこれは明らかに規制積極説の立場であり、憲法との関係では問題があると解される」という(91)。この点はいささか理解しにくい。

私も板垣論文はいくつも読んで学んできた。植民地支配の歴史的事実を解明した上で、過去の植民地支配の責任にとどまらず、ポスト・コロニアリズム、継続する植民地主義の観点から、現在もなお植民地主義の影響が継続しているので、現在の植民地支配責任も射程に入れている。植民地支配の結果として形成された歴史的構造的差別はその代表であり、植民地支配責任論の一環として差別の克服が課題となる。そもそも差別は否定されるべきだが、さらに加えて植民地支配に由来する差別の根深さや被害の深刻さに照らして、差別を撤廃すること、したがって差別の煽動を撤廃することは、国家と社会の責務であろう。つまり、板垣の問題意識を共有するということは、植民地支配をした側であるこの社会のマジョリティの一員として、植民地支配の被害を受けたマイノリティに対する差別の撤廃のために、私たちは何をするべきなのかと考えることである。マジョリティが有している特権的地位にしがみつくのではなく、特権のない、差別のない社会をどうつくるのかである。

佐藤が共有するという問題意識は、具体的に何を意味するのかが明示されていないが、差別の撤廃という課題を共有しつつも、差別の煽動の撤廃の方法としての刑事規制には「憲法との関係では問題がある」というのであろうか。差別の煽動の撤廃自体について佐藤はどう見ているのだろうか。

憲法学者の中には、ヘイト・スピーチの議論において、差別問題に一切言及せず、差別の撤廃にも関心を示さず、ひたすら表現の自由を唱えてヘイト・スピーチの規制に反対意見を述べる論者が少なくない。自分の見解が差別とヘイトの容認・温存・擁護であることに気付いているはずだが、この点には一切の言及を避ける。この社会でヘイト・スピーチを受けずに済んでいる自分の特権を懸命に擁護しているように見える。

佐藤は差別の撤廃について本論文では踏み込んでいないが、他の論文で何度も差別撤廃を論じている。ただ、差別の煽動の撤廃については、「特定されうる集団のメンバーに対する差別の煽動や助長」の刑事規制を否定している。差別の煽動の撤廃を否定して差別の撤廃は可能だろうか。差別の煽動は歴史的に形成された差別構造があるから生じるのではないだろうか。特権的地位にしがみつかないマジョリティは、歴史的に形成された差別構造とその上に成り立つ差別の煽動の撤廃に責任ある対応をするべきではないだろうか。

佐藤は「歴史的視点の欠如」を指摘して、次のように述べている。

「第一の問題点として、歴史的視点の欠如を挙げることができる。ヘイトスピーチ解消法の法案提出者や法務省が前提しているのはこの問題が『近年』『近時』の問題であるということである。」(8990)

これに続いて佐藤は板垣の歴史認識を引用して、「板垣の問題意識それ自体は共有しつつ」と明言している。ただ、それではどのように共有するのか、共有した結果、どのような論理を展開するのかは示されない。差別の撤廃や差別の煽動の撤廃の議論の中で歴史認識がどのような位置を占めるのかが読み取れない。結論として「憲法との関係では問題がある」と言って切り捨てる形になっている。つまり歴史的な問題意識を共有しようが共有しまいが、ヘイト・スピーチ刑事規制に消極的な点は変わらない。「第一の問題点として、歴史的視点の欠如を挙げることができる」と言いつつ、歴史的視点の欠如した論者と同様の結論になるとすれば、歴史的視点があろうがなかろうが事態に変わりはなく、憲法は歴史を超越しているのだろうか。

2018年の人種差別撤廃委員会で、日本政府は、「ヘイト・スピーチ解消法は『ヘイト・スピーチは許されない』と定めた」と報告した。人種差別撤廃委員たちは「この法律はヘイト・スピーチを許しているのではないか。どうやって許さないのか書いていない」と質問したが、日本政府は回答することができなかった。日本政府と異なり、「板垣の問題意識それ自体は共有」する佐藤は、どう回答するのだろうか。