Tuesday, July 12, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ04

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

安倍元首相銃撃死事件の衝撃で、あれこれ多忙だったため、ブログの更新が滞った。

それにしても、マスコミと政治家の反応は酷いものだった。悪質な霊感商法などで知られる宗教団体によって家庭崩壊に陥ったことへの恨み(私憤)に発する銃撃事件の可能性が高い。政治的テロではない。ところが、メディアは「テロを赦すな」「言論への挑戦だ」「民主主義への挑戦だ」などと騒ぎ立て、歴史上最大の民主主義破壊犯である安倍元首相を「民主主義の殉教者」に仕立て上げた。歴史偽造の最たるものである。

メディアのやっていることは「民主主義への最大の侮辱だ」と、月刊誌『マスコミ市民』8月号(予定)に書いた。

銃撃は誰に対しても許されない。犯罪的な宗教団体の宣伝に役立っていたとしても、銃撃の理由にはならない。だが、家庭を破壊し、他人を不幸のどん底に落とすことで有名な宗教団体の宣伝に加担してきた政治家をどう評価するか。

以下、本題。佐藤のヘイト・スピーチ論へのコメントである。

佐藤は、思想の自由市場論を前提にしており、「『ブランデンバーグ原則』に従った要件の提示が必須である」と、アメリカ判例を直接、日本憲法に適用するべきだとしている。これらの点については、私の著書やこのブログで、すでに何度も批判してきたので、例えば下記に譲る。

思想の自由市場論への批判

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_16.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_3.html

アメリカ法に従うべしという議論への批判

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post.html

佐藤は註38)において次のように記述している。

「規制積極説と理解される刑事規制の観点からの包括的な研究としては、前田朗『ヘイトスピーチ法研究序説――差別煽動犯罪の刑法学』(三一書房、2015年)がある。」(122頁)。

この本で私はすでに、思想の自由市場論への疑問、及びアメリカ法に従うべしという議論への疑問を提示している。

しかし、佐藤は思想の自由市場論に立ち、アメリカ法に従うべきと唱える。理由は示さない。日本人たるものアメリカに従うのが当然と考えているように見える。

2の論点は、ヘイト・スピーチ規制の保護法益論である。

ヘイト・スピーチの法的性格論と言っても良いが、保護法益をどう理解するかは、単に性格論だけでなく、犯罪成立要件やその認定方法および基準に影響する。

佐藤は「集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと主張したい」という(114頁)。

また、佐藤は「個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って、集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと解する。」と言う(116頁)。

ここで佐藤は、ヘイト・スピーチを、個人的法益に対する罪としての名誉毀損罪や侮辱罪に引き付けて考えている。

また、佐藤は、松井のいう第3(差別の煽動・助長)及び第4(憎悪の増進)の類型については刑事規制を否定する。第3及び第4の類型は社会的法益と理解される範疇だ。つまり佐藤は社会的法益として理解されるヘイト・スピーチの規制には反対し、個人的法益に限定して規制できると主張している。

刑法学では一般に法益を次の3つに分類する。

1.個人的法益――殺人罪、傷害罪、窃盗罪、詐欺罪のように、生命、身体、自由、財産、名誉など、個人の法益(権利や利益)が侵害される犯罪。

2.社会的法益――放火罪、往来妨害罪、文書偽造罪のように、公共の安全や平穏や、社会秩序の維持など、社会の法益が侵害される犯罪。

3.国家的法益――内乱罪、外患罪、汚職の罪、公務執行妨害罪のように、国家の安全や機能など、国家そのものの法益が侵害される犯罪。

刑法学の中には、これとは別に国際的法益を論じる見解もある。国際人道法違反の犯罪を扱う場合、法益も国際的となる。

また、社会的法益や国家的法益がすべて明確に区分され、すべて見解が一致しているわけではない。

さらに、日本の刑法典は、必ずしも3類型に即した条文編成になっているわけではない。第2章の内乱罪にはじまり、冒頭に国家的法益に対する罪が出て来るが、その後、第8章以下で社会的法益となる。第12章の住居を侵す罪や第13章の秘密を侵す罪は社会的法益だけでなく個人的法益で理解しやすい。題14章のあへん煙罪以下では社会的法益だが、第20章の偽証の罪は国家的法益に戻る。第22章のわいせつや強制性交(旧強姦罪)の罪は、昔は家長の権利を侵害すると考えられたからここに位置するが、現在では個人的法益と理解される。第25章は汚職の罪でふたたび国家的法益となり、第26章の殺人の罪以下第40章の毀棄・隠匿の罪までは個人的法益である。

それではヘイト・スピーチはどうか。

ヘイト・スピーチ規制の保護法益は、私見では主に民主主義及び人間の尊厳であり、これは社会的法益である(ただし、私見では個人的法益を排除しない。この点は後述)。

刑法学者の金尚均(龍谷大学教授)はヘイト・スピーチの保護法益を「社会参加」に見ている。「**人を殺せ」「**人を追い出せ」といったヘイト・スピーチは、標的とされたマイノリティの社会参加を否定するからである。私見で民主主義を挙げているのと同じことだが、民主主義という理解は広汎で漠然としているので、社会参加と見た方が明確かもしれない。

ヘイト・スピーチの特性は、標的とされた団体だけに向けられるのではなく、社会の公衆にも向けられる。差別のメッセージは、被害者にも向けられるが、同時に被害者以外のマジョリティに向けられる。「みんなで差別しよう」という呼びかけである。ここにヘイト・スピーチの重要な特質がある。

ラバト行動計画や人種差別撤廃委員会一般的勧告35号や国連ヘイト・スピーチ戦略は、いずれもこの複合的特徴を前提として、ヘイト・スピーチの刑事規制を明示し、その解釈方法も提示している。

私はもともと比較法研究には関心が薄いし、特に必要に迫られない限り比較法研究を行ってこなかった。しかし、ヘイト・スピーチの議論では、「アメリカではヘイト・スピーチを規制しないから、日本も同じにするべきだ」「アメリカのブランデンバーグ原則を適用するべきだ」という奇妙奇天烈な見解が横行している。12年前、憲法学者の「主流」「通説」は「ヘイト・スピーチを刑事規制するのはナチスの歴史があるドイツだけであり、民主主義国家では規制できない。現にアメリカは規制できない」というデマを吹聴していた。しかし、圧倒的多数の民主主義国家はヘイト・スピーチを刑事規制する。そしてアメリカでもジェノサイドの煽動を始め、一部のヘイト・スピーチを規制する。二重の意味でフェイク憲法学だ。

やむを得ず、世界各国のヘイト・スピーチ法を紹介してきた。この12年間に調査した結果、世界150か国以上でヘイト・スピーチを禁止している。どの国も少なくともタテマエは反差別の姿勢を示す必要があるからだ。

私が調査したのは、その国の憲法状況、差別禁止法、ヘイト・スピーチ法、刑法、犯罪統計、判例などの一部に過ぎない。このため、それぞれの国でヘイト・スピーチの保護法益をどのように理解しているかを十分明らかにしていない。

ただ、西欧諸国の多くは刑法典に規定を設けており、それらを社会的法益に対する罪と位置付けていると思われる。個人的法益とは異なる体系的位置に置かれている。東欧諸国の近年の刑法規定も、ホロコースト否定犯罪のように、社会的法益としている。

以上から言えることは、国際人権法でも多くの諸国の刑法でも、ヘイト・スピーチは主に社会的法益で理解されており、名誉毀損や侮辱などの個人的法益に対する罪とは異なる性格の犯罪だということである。(この項続く)