Monday, September 19, 2022

歴史研究における盗作論争・その後

原朗編『学問と裁判――裁判所・都立大・早稲田大の倫理を問う』(同時代社)

http://www.doujidaisya.co.jp/book/b608729.html

<学術界に衝撃を与えた「剽窃事件」に、

裁判所は学問的に正しい判決を下せたのか。

学術の存立を脅かす研究不正に対し、

大学は学問の独立に基づく審査を貫けたのか――。

その責を問う!>

序   本書の構成

 第一部 裁判所への批判

  第一章 最高裁判所への批判

  第二章 高裁・地裁判決批判――「訴状」の問題性と被告の「相当性」

第二部 東京都立大学への批判

    ――大学における研究倫理審査の形骸化(一) 

第一章   東京都立大学の厳格な判断と日和見的結論

第二章   東京都立大学の学位論文調査報告の二重性――研究不正排除の流れに抗って

 第三部 早稲田大学への批判

    ――大学における研究倫理審査の形骸化(二)

第一章   早稲田大学学術研究倫理委員会の第一の盗用認定

第二章   盗用の正式認定とその後の意図的隠蔽

 第四部 早稲田大学への「通報書」(全文)

第五部 本裁判に寄せられた書評・書評論文(前作『創作か盗作か』をめぐって)

第六部 裁判記録に見る小林英夫氏の主張

前作『創作か盗作か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』は衝撃の書であったのに対して、本書は落胆の書ということになるだろうか。

http://www.doujidaisya.co.jp/book/b498239.html

『創作か盗作か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』を、私は雑誌『マスコミ市民』に2回にわたって紹介をした。

小林英夫『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』を、私は大学院生の時に読んだ。研究史を書き換える名著とされていたからだ。なるほど、名著とはこういうものかと感心し、少しでも学ばなければと思った。

ところが、小林『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』は、原朗の研究を丸ごと盗んだ剽窃の書だという。それが40年もたって明かされた。すると、盗作疑惑をかけられた小林が、原を相手に名誉毀損裁判を起こした。盗んだと言われた側が、盗まれた被害者を訴えた。その裁判記録が前作である。どちらが本当なのか。私には決定するべき十分な資料もないし、十分な判断力もないが、『創作か盗作か』を読めば、原の主張に合理性があることはわかる。出版された著書・論文の対照表が作成されており、どちらがどちらを盗んだかは明かだ。多くの歴史学者が原を支援することになったのも当然だ。

原朗氏を支援する会

https://sites.google.com/view/aharashien/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

ところが東京地裁・東京高裁は驚くべき判決を出した。歴史学的な考察を十分に行うことなく、歴史学者たちの意見書も参照することもなく、小林の主張を基に、名誉毀損の成立を認めたからだ。

本作は、その後の経過を詳しく報告する。最高裁が東京地裁・高裁の無責任な判決を追認したこと。都立大学が小林の盗作疑惑を十分調査せず、疑惑に蓋をしたこと。早稲田大学が、小林の生涯最初の論文がそもそも盗作であったことを認定したこと。

ところが、早稲田大学は、本体の『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』について、盗作か否かの判断を避けた。理由は、『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』の出版時、小林が早稲田大学所属の研究者でなかったことだ。

これは明らかにごまかしである。小林は大学卒業(ゼミ)論文(上記の盗作)でデビューした。都立大学大学院・助手を経て、駒澤大学講師時代に『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』を出版し、後にその業績によって早稲田大学教授に就職した。その後、早稲田大学教授時代に『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』増補版を出版した。そして早稲田大学教授時代に、裁判をおこした。その後、小林は早稲田大学名誉教授となった。盗作本を出版した時点で早稲田大学教員でなかった、などというのはまともな理由とは言えない。ごまかしの理屈で事実から逃げる無責任ぶりだ。

本書の最後に「第六部 裁判記録に見る小林英夫氏の主張」が収録されている。前作の書評の中にも、原の主張はよくわかった、小林の主張を知りたいという声があった。小林は裁判では主張を展開しているが、歴史学者であるにもかかわらず、歴史学会に向けて沈黙を貫いている。小林側の準備書面を、原が勝手に出版することもできない。このため、小林の主張がわからない。そこで、本書では裁判過程における小林の主張が紹介されている。

とはいえ、反対当事者によるまとめであるから、小林が自らの所説を世間に問うことが望ましい。歴史学会に向けて、そして一般社会に向けて、小林は責任ある態度をとることができるだろうか。

先に書いたように、本書は落胆の書である。裁判所も大学も真実から目を背け、責任逃れの態度に終始しているように見える。その点で、原も支援者もみな落胆している。

とはいえ、本書は単なる落胆の書ではない。盗作とは何か。研究者の倫理とは何か。研究機関の倫理はどうあるべきか。これからの若手研究者に向けて、重要な問題提起を多く含んでいる。歴史学の再生と、さらなる発展のために、原と支援者たちは本書を世に出した。歴史学に限らず、あらゆる研究分野で参照されるべき基本が明らかにされている。