Saturday, October 20, 2012

原発民衆法廷公聴会10.20


10月20日、スペースたんぽぽで、原発民衆法廷公聴会が開催された。福島原発事故に関する国会事故調査委員会報告書で何が明らかになったのか、国会事故調査委員であった田中三彦さんが、報告書のポイントを紹介した。

Friday, October 19, 2012

レイシズム研究に学ぶ(1)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 


 


 


 

<人種主義(レイシズム)が立ち現われる現場は、ある社会的な関係が人体の特徴などを通して反照し、私と他者の自己画定(アイデンティティ)を同時に限定するときである。この投射されたアイデンティティ・ポリティックスは現代のあらゆる社会関係に髄伴する。本書は、この視点から、近代化とグローバル化で不透明化された現代を読み解く壮大な試みである。>

 

<目次:

レイシズム・スタディーズへの視座

グローバル化されるレイシズム

移民/先住民の世界史-イギリス、オーストラリアを中心に

共和主義とレイシズムーフランスと中東問題を中心に

近代化とレイシズムーイギリス、合州国を中心に

新しいレイシズムと日本

レイシズムの構築>

 

 

21世紀に入って、日本でも、世界でも、ますますレイシズムが噴出し、蔓延している。2001年のダーバンでの人種差別反対世界会議とダーバン宣言は、まさにこの事態を予見し、予防するための挑戦だったのに、現実はダーバン宣言を吹き飛ばしてしまう。戦争の20世紀から平和と人権の21世紀への期待は裏切られ、テロとの戦いの21世紀、人種差別、民族紛争、ナショナリズムと排外主義の21世紀が現出している。そうした中、本書は世界史におけるレイシズムを総体的にとらえようとする意欲的な試みである。

 

冒頭の酒井直樹「レイシズム・スタディーズへの視座」を読んだ。随所に引用したくなるような文章が続く。近代世界史におけるレイシズムを生み出した構造、同様にその構造に組み込まれた日本におけるレイシズム再生産構造が鮮やかに分析される。ポストコロニアルのレイシズム研究かと思ったが、その一面とともに、現代におけるグローバル・レイシズムが課題とされる。植民地近代が産み落としたレイシズムと、現在のグローバリゼーションのもとにおけるレイシズムと。密接なつながりを持ちつつも、質的な変容も見られる両者をどのように位置づけ、関連づけて理解するのか。

 

アメリカによる東アジア支配におけるレイシズムを剔抉し、同時に、その枠組みに参入しながら日本自身が再生産している日本的レイシズムの関係を問う部分に一番関心を持った。この点を、私は「日本の自己植民地主義と植民地主義」という奇妙な言葉で表現してきた。同じことを、酒井は「西洋と文明論的転移」と表現している。一つの例証として「日本人論」がとりあげられる。

 

<「日本人論」に現れた語りの位置の固定化によって追求されるアイデンティティ・ポリティックスは、日本人として自己画定する者を植民地的な権力関係の下に捕縛する典型的なオリエンタリズムの言説である。さらに、この知識の生産の言説によって、「西洋とその他」という最も典型的な植民地体制が維持されるのであり、オリエンタリズムの言説は人種主義のあり方として私たちの研究語彙に登録しておかなければならない。>

 

西洋植民地主義にからめとられ/便乗した日本の東アジア植民地主義は、アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮半島、南洋諸島、「満州」へと肥大化していき、敗戦によって地理的空間的には一気に縮小したが、植民地主義精神、人種主義は見事に温存された。それはいま「上品な人種主義」として日々、練り直されて登場している。

 

本書をゆっくりと読みながら、人種主義、人種差別、排外主義について考えていきたい。ダーバン宣言をどうやっていま一度手元に手繰り寄せることができるのか。東アジア歴史・人権・平和宣言の挑戦をどのように活かすことができるのか。そして、現代日本におけるヘイト・クライムといかに闘うのか。

Wednesday, October 17, 2012

アートとアート的なものの間で


大野左紀子『アート・ヒステリー――なんでもかんでもアートな国・ニッポン』


 

著者は、

 

<1959年、名古屋生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。現在、名古屋芸術大学、トライデントデザイン専門学校非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』『「女」が邪魔をする』などがある。>

 

元はアーティスト志望だったようだが、断念したのか、しかし、文才はあったようで、『アーティスト症候群』に続いて本書を送り出した。

 

本書の宣伝文句は、

 

<「これマジでアートだね!」……やたらと「アート」がもてはやされる時代=「一億総アーティスト」時代。アート礼賛を疑い、ひっくり返すべく、歴史・教育・ビジネスから「アート」を問う。

「何なの? これ」「アート」
「え、こんなことやっていいの?」「うん、だって、アートだから」

「アート=普遍的に良いもの」ですか? そこから疑ってみませんか?
『アーティスト症候群』から4年、「アート」の名の下にすべてが曖昧に受容される現在を、根底から見つめ、その欲望を洗い出す。

【!!こんな人に読んでほしい!!】
1
:互いの作品を批判せずなんとなく褒め合っているガラスのハートの美大生。
2:「個性と創造性が重要」と「図工って何の役に立つの?」の間で困っている先生たち。
3:「アートは希望」「今こそアートの力が必要とされている」と訴えたい業界回りの人。
4:「普通」を選んでいるにもかかわらず「ちょっと謎めきたい願望」を抱く社会人。>

美術がアートと呼ばれるようになったプロセスとその動因の分析が本書の基軸となる。西欧では、モダンアートの歴史が「息子による父殺し」の歴史として記述されてきたのに対して、その結果だけをいきなり輸入した日本では、殺されるべき父親もなく、殺す息子の緊張もなく、市場価値とブランド商品化がストレートに展開し、美術と美術教育の制度化により保護され、欲望を刺激するアートの場所が出現してきた。

 

ピカソを理解できなくても、「ピカソ的なもの」がこの国を席巻する。印象派というわかりやすさと、フェルメールという安心できる風俗が、この国では全的に受容される。

 

「第3章 アートは底の抜けた器」の「液状化するアート」「ナルシシズム市場の広がり」「村上隆の『父殺し』」「『セルフ・オリエンタリズム』アーティスト」など、なかなかおもしろい。「制度としての日本の美術」の頂点に実は「天皇」がいて、それが現在の象徴天皇制であっても、「父」としての存在となり、村上隆という「不肖の息子」による「父殺し」が完結するという仮説はなかなか。もっとも、天皇が果たして「父」イメージにかなうかどうか。象徴天皇制は天皇の「母」的性格をも担っている。

Tuesday, October 16, 2012

植民者の手を引っ込めるために

知念ウシ 與儀秀武 後田多敦 桃原一彦 著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』(未来社、2012年)


 

本年4月に出版された本だが、恥ずかしながら、見落としていた。

 

<まなざされるものから まなざす主体へ――>

 

「沖縄」をまなざし、語り、「沖縄」に癒され、「沖縄問題」をつくりだす主体=日本人との「闘い」を余儀なくされた、強要されてきた著者たちによる報告である。

 

<PR誌「未来」誌上にて現在も続く好評連載「沖縄からの報告」の、二〇一〇年から二〇一二年までの二年間のレポートを一冊に収録。基地移転問題をはじめ、ケヴィン・メアの沖縄に対する暴言や沖縄防衛局長(当時)の「これから犯す前に犯しますよと言いますか」といった発言をめぐり、そのときどきに渦巻いた沖縄からの反応をとりあげる。各執筆者の多様な視点による沖縄の「いま」が見えてくる。>

 

「沖縄問題」とは「日本問題」である。あるいは、「日米両国による沖縄支配問題」である。軍事植民地・沖縄に対する日米両政府による基地の押しつけ、基地犯罪、米兵犯罪の押しつけは、本書出版後、さらに激化している。オスプレイ配備と、米兵による女性への「暴行」事件。

 

植民地人民として思想の闘いを敢行している著者たちの声を、(残念ながら)宗主国人民の一人として、いかに聞くべきか。植民地主義と人種主義を批判してきた私の思想と実践が問われることは言うまでもない。

 

著者の一人である知念ウシには、一度、東京でお話を伺ったことがある。「東アジア歴史・人権・平和宣言」を作成する過程での学習会だが、私がインタヴューする形で、知念の著書『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』を手掛かりに話をしてもらった。

 

琉球処分は政治的植民地化の転換点であり、沖縄戦や、沖縄に関する天皇メッセージは、植民地主義の極端な現象形態であり、「復帰後」の基地問題をはじめとする沖縄差別と沖縄収奪もやはり植民地主義である。このことを自覚し、問い直していくことが第一歩である。

 

野村浩也『無意識の植民地主義』や、同編『植民者へ』が、その重要な問題提起にもかかわらず、相応の処遇を得ていないように見える。おそらく本書も同様の扱いを受けるのではないだろうか。未来社社長の西谷能英が本書の発起人であり、沖縄の声を「日本」に送り届けていることに感謝しつつ、本書の意義を伝えることに協力したい。

 

沖縄の米軍基地問題に関心のある者は、それがいかなる意味の「問題」なのかを考えるために、本書を読むべきである。沖縄の政治、経済、社会、文化に関心のある者も、沖縄の多様性を知るために、本書を読むべきである。「沖縄問題」として現象する「日本問題」について、正面から考えることが重要である。植民者の手をいかにして引っ込めるのか、私たちは真剣に議論しなければならない。

 

「復帰後世代」4人の著者は次のように紹介されている。

 

<知念ウシ(ちねん・うし) 66年生。むぬかちゃー(ライター)。著書に『ウシがゆく―植民地主義を探検し、私をさがす旅』、共著に『人類館』『あなたは戦争で死ねますか』『植民者』など。

與儀秀武(よぎ・ひでたけ) 73年生。文化批評。論文に「沖縄と日本国憲法」(「情況」二〇〇八年五月号)など。

後田多敦(しいただ・あつし) 62年生。「うるまネシア」編集委員。著書に『琉球の国家祭祀制度』。

桃原一彦(とうばる・かずひこ) 68年生。沖縄国際大学総合文化学部。社会学、ポストコロニアル研究。著書に『「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」』ほか。>

 

1962年から73年までの生まれということは、おおむね40歳代ということだ。中堅世代と言ってよいのだろうか。ほんの少し前まで若手世代と呼ばれていたのだろう。高齢化した現在の日本では、40歳代はなるほど中堅若手の位置にいる。しかし、復帰の頃に活躍した復帰世代の論者たちはどうだっただろうか。
 
 
 

Sunday, October 14, 2012

共に生きる社会--朝鮮学校支援


10月13日夜は、八王子労政会館で「共に生きる社会――なぜ私たちは朝鮮学校を支援するようになったか」だった。主催は「八王子市で朝鮮学校への助成金を実現する会」。企画は、八王子平和市民連絡会恒例の「平和強化月間」の一環だ。




 

元ボクサーで現在は朝鮮大学校ボクシング部コーチの飯田幸司さんは、現役時代、リングに上がる時、トランクスには「南北統一」の文字、入場曲は「アリラン」だった。日本社会による朝鮮人差別の現場を見て、自分に何ができるかと考え、朝鮮大学校ボクシング部のコーチになった。もともと、高校時代にソウルの独立記念館に行った時の衝撃が強く、日本と朝鮮半島の歴史を学び直した。その想いを語ってもらった。

 

府中市でチマチョゴリ友の会代表をつとめる松野哲二さんは、1998年の「テポドン騒動」による「チマチョゴリ事件――チマチョゴリで通う朝鮮学校生徒に対する暴言・脅迫事件、朝鮮学校に対する無言電話や脅迫電話――」に驚き、仲間と会を作り、朝鮮学校との交流に力を入れてきた。写真展、コンサート、フリー・マーケット、ハングル講座など様々な機会をとらえて、交流の場をつくり出してきた。特に、会が販売するキムチは格別のうまさ、自信の品であるという。

 

私は、2010年2月の人種差別撤廃委員会で高校無償化からの朝鮮学校排除が差別であると指摘された経緯を紹介した上で、日本政府が社会に向かって「朝鮮人は差別してもいいんだ」という「差別のライセンス」を毎日発行し続けている不当性を批判した。在特会に代表されるヘイト・クライム(憎悪犯罪)は国際的には刑法上の犯罪として処罰されているのに、日本政府と憲法学者が「表現の自由だ」などと異常な開き直りをしていることも取り上げた。

栗原弘行『尖閣諸島売ります』


栗原弘行『尖閣諸島売ります』(廣済堂出版)

http://www.kosaido-pub.co.jp/book/post_1825.html

 

<国境の島はどうなるのか?売却の経緯に関わってきた地権者実弟が初めて明かす、尖閣諸島問題の真実!>

<なぜ栗原家が尖閣諸島の所有者なのか / 石原慎太郎と大平正芳首相 / これまで尖閣諸島を売らなかった理由 売却の経緯に関わってきた地権者実弟が初めて明かす、尖閣諸島問題の真実!>

 

すでに国有化が済んだので、元・地権者の弟による著作ということになる。地権者・栗原國起に代わってメディア対応をしていたのが著者である。

 

領土問題という点では、何も新しい情報は書かれていない。

 

尖閣で事業を営んだ古賀辰四郎から継いだ息子の古賀善次と花子から、なぜ尖閣諸島が栗原家に相続されたのか、本当の詳細は著者も知らないということだが、栗原家とはどのような一族なのか、尖閣所有に伴う苦労や思い出、尖閣を打ってほしいと言ってきた政治家のエピソードなどが語られる。すでにメディアに紹介された話もあるが、他方で、メディアで面白おかしく語られたことに誤りがあるともいう。

 

なぜ最初は東京都だったのかも、石原慎太郎都知事との関係だけではなく、東京都が島嶼管理のノウハウをもっていることなど、丁寧に説明されている。島嶼開発を行えば尖閣に可能性があるという。ただ、むやみな開発をせずに、自然キャンプ場などの利用をすることを提案している。

 

地権者だけあって、尖閣への思いはしっかりしている。参考文献に、きちんと尖閣諸島文献資料編纂会の研究と資料があげられている。著者は、文中でもこの資料から引用している。領土問題を議論する学者や評論家には、この資料を見ないであれこれ論じている者が多い。ちゃんと勉強しているのはごくごくわずかである。領土問題についてどのような立場をとるかに関わらず、必見文献である。

Friday, October 12, 2012

盗人と呼ばれた国


1.   言う方も言う方だが

 

中国政府が国連で日本のことを「盗人」と呼んだことが話題になった。尖閣諸島問題のために、中国は7回も「盗人」と連発したという。「日本が尖閣諸島を盗んだ」と1回述べるのなら、まだわかるが、さすがに「盗人」7回はいただけない。国連という公式外交の場のマナーに反する。ルール違反だろう。

 

もっと驚いたのは、日本政府が黙って聞いていたという話だ。信じがたい話だ。当然、直ちに議長に抗議するべきである。「政府を侮辱するのは、国連の場にふさわしい発言とは言えない」と言うべきである。ところが、ニヤニヤ笑って、黙っていたらしい。

 

さらに驚いたのは、日本マスコミの報道である。各紙は、盗人発言で中国が国際的な評価を落とした、と伝えた。それはそうだろう。しかし、言った中国も評価を落としたが、黙って聞いていた日本はどうなのか。もともと日本はこれ以上落ちようがないから落ちなかったというのだろうか。

 

直ちに思い出したのは、国連人権委員会での2つの出来事だ。


 

2.朝鮮政府の正式名称を呼べ

 

1997年か98年か、正確なことは覚えていないが、2000年よりは前だったように思う。当時、国連人権委員会は毎年3月前後に6週間開催されていた。1995年以後の人権委員会にはすべて参加した(全日程ではないが、毎会期におおむね4週間ほど参加した)。その中での出来事だ。

 

当時、人権委員会では、朝鮮政府が毎年のように日本軍「慰安婦」問題を取り上げて、日本政府に解決を求めていた。ある時、日本大使が反論をした。その中で「北朝鮮North Korea」と連発した。そのやりとりをおおむね再現する(私の記憶だけに基づいているが、実に鮮明な記憶なので、全体の流れは間違いないと思う)。

 

日本――北朝鮮North Koreaが「慰安婦」問題について発言したが・・・

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(日本政府のマイクをオフ、朝鮮政府のマイクをオンにして)朝鮮政府DPRKどうぞ。

朝鮮――国連に登録しているわが国の正式名称で呼ぶように要請する。

議長――各国は、国連で用いられる適切な表現を用いるように要請する。

日本――議長ありがとうございます。了解しました。(演説を続けて)・・・この点で日本としては北朝鮮に反論したい・・・

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(日本のマイクをオフ、朝鮮のマイクをオンにして)朝鮮政府DPRKどうぞ。

朝鮮――我が国の名称は国連に正式に登録しているように朝鮮民主主義人民共和国DPRKである。国連に登録している正式名称で呼ぶように要請する。

議長――各国は、他国を呼ぶ際には国連にふさわしい呼称を用いるように要請する。

日本――議長ありがとうございます。さて、我が国といたしましては、村山首相のおわび等によりまして・・・・そこで北朝鮮と・・・

各国政府――(机をたたきながら、呆れて)大笑い。爆笑。爆笑。

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――朝鮮政府DPRKが言いたいことはわかります。私から述べます。各国は、国連にふさわしい呼称を用いるよう重ねて要請します。

 

以上が実際にあった出来事だ。

 

日本大使は事前に用意した演説原稿を棒読みしていた。だから、North Koreaと出てくる個所をDPRKと読み替えればいいのだが、それすらできないで、大恥をかいたのである。果てしのない馬鹿としか言いようがない。

 
 

3.ギャングスター事件

 

これも1998年か、99年の国連人権委員会での出来事である。

 

「市民的政治的権利」の議題だったと思うが、ニカラグア政府がキューバ批判を行った。当時、ニカラグアはアメリカのいいなりと言ってよい状態だった。アメリカはよくキューバ叩きをしていたが、ニカラグアもキューバ批判をした。主な内容は、キューバの監獄における生活水準が劣悪だというものだった。

 

これに対して、キューバが反論権を行使した。キューバの監獄においては人権を尊重していると述べ、アメリカの制裁によって苦しい食糧事情のもとでキューバは人民の生活を維持していると述べ、その後に、ニカラグア批判をした。かつて、キューバはニカラグアに無償で医師や教師を派遣するなど、医療や教育の支援を行ったのに、今になってこのような批判をするのは恩知らずである。このようなやり口は「ギャングスター」と言われても仕方がない、と述べていた。(キューバはスペイン語で演説していた。私は英語の通訳で聞いていたので、gangsterには驚いた)

 

その瞬間、バンッという大きな音が会場に響き渡った。
 
 
 
人権委員会は、ジュネーヴの国連欧州本部新館の大会議室で開催されていた。1000人くらい収容できる会議室で、約190カ国の政府の席がある(今なら193カ国)。一つの政府に椅子は4つある。その他に国連機関、NGO、プレス、事務局の席もある。人権委員会だとふだんは4~500人くらいがいたと思う。

 

その会場にバンという凄い音だ。私が座っていた席は後ろの方だが、床は緩やかな斜面になっていて、前の方が低くなっているので、よく見える。ABC順なので、中央あたりでニカラグア政府が立ち上がっていた。

 

ニカラグア――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(キューバのマイクをオフ、ニカラグアのマイクをオンにして)ニカラグアどうぞ。

ニカラグア――(静かに、というか、ドスの聞いた声で)ギャングスターなどという言葉は政府代表を侮辱するもので許されるべきではない。(僅か一言)

議長――各国は、国連にふさわしい表現を用いるように要請する。キューバ政府の表現は一部記録から削除する。

キューバ――議長ありがとうございます。了解しました。(以下、次の演説を続けたが、穏やかな表現を用いた)

 

この時はキューバがやり過ぎたのだ。アメリカによるキューバ叩きが続いているので、懸命に反論しなければならないのに、ニカラグアがアメリカの提灯持ちになったため、つい「ギャングスター」と言ってしまったのだろう。

 

その翌日か翌々日だったと思う。「市民的政治的権利」に続いて、「女性に対する暴力」の議題に入った。

 

「女性に対する暴力」の議題では、毎年、必ず朝鮮政府といくつかのNGOが日本軍「慰安婦」問題を取り上げていた。そして、朝鮮政府の発言で、この時、日本をはっきりと「ギャングスター」と呼んだ。さすがの私もギクリとした。朝鮮政府の公使か書記官だったと思うが、英語で発言していた。在ベルンの朝鮮政府大使はフランス語が堪能で必ずフランス語で演説する。この時は英語だったので、公使か書記官だったと思う。発言直後に演説原稿をもらったが、やはりgangsterと書いてあった。キューバとニカラグアの件があったので、あえて入れたのだろう。

 

その時、日本政府代表の席には2人の男性外交官が座っていたと思うが、2人とも、机を叩くことも、ポイント・オブ・オーダーと叫ぶこともなく、ただひたすら俯いていた。メモでもとっていたのだろうか。

 

翌日発行された国連のプレスリリースを見たが、ギャングスターという言葉はなく、もちろん、日本が抗議したという記録もなかった。

 

国連の場で、盗人と呼ばれても、ギャングスターと呼ばれても、ニヤニヤ笑っている国、われらがニッポン。