Friday, October 19, 2012

レイシズム研究に学ぶ(1)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 


 


 


 

<人種主義(レイシズム)が立ち現われる現場は、ある社会的な関係が人体の特徴などを通して反照し、私と他者の自己画定(アイデンティティ)を同時に限定するときである。この投射されたアイデンティティ・ポリティックスは現代のあらゆる社会関係に髄伴する。本書は、この視点から、近代化とグローバル化で不透明化された現代を読み解く壮大な試みである。>

 

<目次:

レイシズム・スタディーズへの視座

グローバル化されるレイシズム

移民/先住民の世界史-イギリス、オーストラリアを中心に

共和主義とレイシズムーフランスと中東問題を中心に

近代化とレイシズムーイギリス、合州国を中心に

新しいレイシズムと日本

レイシズムの構築>

 

 

21世紀に入って、日本でも、世界でも、ますますレイシズムが噴出し、蔓延している。2001年のダーバンでの人種差別反対世界会議とダーバン宣言は、まさにこの事態を予見し、予防するための挑戦だったのに、現実はダーバン宣言を吹き飛ばしてしまう。戦争の20世紀から平和と人権の21世紀への期待は裏切られ、テロとの戦いの21世紀、人種差別、民族紛争、ナショナリズムと排外主義の21世紀が現出している。そうした中、本書は世界史におけるレイシズムを総体的にとらえようとする意欲的な試みである。

 

冒頭の酒井直樹「レイシズム・スタディーズへの視座」を読んだ。随所に引用したくなるような文章が続く。近代世界史におけるレイシズムを生み出した構造、同様にその構造に組み込まれた日本におけるレイシズム再生産構造が鮮やかに分析される。ポストコロニアルのレイシズム研究かと思ったが、その一面とともに、現代におけるグローバル・レイシズムが課題とされる。植民地近代が産み落としたレイシズムと、現在のグローバリゼーションのもとにおけるレイシズムと。密接なつながりを持ちつつも、質的な変容も見られる両者をどのように位置づけ、関連づけて理解するのか。

 

アメリカによる東アジア支配におけるレイシズムを剔抉し、同時に、その枠組みに参入しながら日本自身が再生産している日本的レイシズムの関係を問う部分に一番関心を持った。この点を、私は「日本の自己植民地主義と植民地主義」という奇妙な言葉で表現してきた。同じことを、酒井は「西洋と文明論的転移」と表現している。一つの例証として「日本人論」がとりあげられる。

 

<「日本人論」に現れた語りの位置の固定化によって追求されるアイデンティティ・ポリティックスは、日本人として自己画定する者を植民地的な権力関係の下に捕縛する典型的なオリエンタリズムの言説である。さらに、この知識の生産の言説によって、「西洋とその他」という最も典型的な植民地体制が維持されるのであり、オリエンタリズムの言説は人種主義のあり方として私たちの研究語彙に登録しておかなければならない。>

 

西洋植民地主義にからめとられ/便乗した日本の東アジア植民地主義は、アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮半島、南洋諸島、「満州」へと肥大化していき、敗戦によって地理的空間的には一気に縮小したが、植民地主義精神、人種主義は見事に温存された。それはいま「上品な人種主義」として日々、練り直されて登場している。

 

本書をゆっくりと読みながら、人種主義、人種差別、排外主義について考えていきたい。ダーバン宣言をどうやっていま一度手元に手繰り寄せることができるのか。東アジア歴史・人権・平和宣言の挑戦をどのように活かすことができるのか。そして、現代日本におけるヘイト・クライムといかに闘うのか。