Thursday, July 26, 2012

三振法――厳罰主義のゆくえ

三振法――厳罰主義のゆくえ



『救援』464号(2007年12月号)





三振法の導入



 「一九九二年には『三振、アウト!』という言葉は、野球の審判が、三振した打者をダグアウトに送り返すための言葉として知られていた。しかし五年後、『三振』という言葉は、連邦政府と約半数の州で導入された厳しい新量刑法としてよく知られるようになった。驚いたことにこの改革は熱狂的な歓迎を受け、この法律は一九七〇年代中期に始まった厳罰政策運動の代名詞となった。犯罪率が上昇したので、わがままな犯罪者に対する公衆の同情は消えうせ、有権者は政策当局に対して社会復帰計画を放棄し、代わりに厳罰政策を採用するように求め始めた。九〇年代中期までに、刑事司法制度は社会復帰思想に基づく制度から、抑止と無害化の思想に基づく制度にすっかり変貌を遂げた」。

 アズサ太平洋大学政治学准教授のジェニファー・ウォルシュ『三振法――アメリカにおける論争問題への歴史的案内』(グリーンウッド出版、二〇〇七年)は、カリフォルニア州から始まった三振法を歴史的に振り返り、その意味と影響を概括した著作である。

 ウォルシュによると、三振法がアメリカに広まり、累犯者に対する厳罰政策が採用され、犯罪統制をめぐる議論が再編成された。犯罪率上昇が大きく報道された結果、公共の安全を守るために厳罰政策が必要だという世論が形成された。三振法は民主党と共和党の双方から支持を得た。三振法導入後に犯罪率が低下し、三振法が公共の保護に役立った証拠とされる。しかし、重罪でもないのに終身刑を言い渡された事例が報告され、三振法の効果には疑問も呈され、正義に反するとか、税金の浪費という批判もある。三振法の支持者と反対者の間の論争は政治的紛糾の種となり、刑事施設の過剰収容問題などの論争に波及している。

 ウォルシュは、三振法運動を七〇年代中期に始まった量刑改革運動に位置づける。一九世紀末から二〇世紀にかけて社会復帰思想が台頭し、一九二二年には社会復帰革命がアメリカを覆った。しかし、六〇年代に変化が始まり、社会復帰思想の効果には次々と疑問が差し向けられ、七〇年代には社会復帰が放棄され始める。三振法運動はワシントン州から始まり、カリフォルニア州で最初の立法が実現し、九四年にはクリントン政権が連邦法に取り入れた。九六年までに二五州に広がるスピードであった。三振法には警察力の増強(権限強化と警察官増員)が伴っていた。

 三振法といっても具体的内容は州によって異なる。アラスカでは、重罪三回で四〇年以上九九年以下の刑事施設収容。アーカンサスでは、殺人、誘拐、強姦、テロ行為等二回で四〇年以上の仮釈放なき刑事施設収容。コロラドでは、第一級・第二級の重罪、第三級重罪で暴力を伴う場合、三回で終身刑。メリーランドでは、殺人、強姦、誘拐、カージャック等四回で仮釈放なき終身刑。サウスダコタでは、殺人、子ども虐待死、強姦、麻薬売買等二回で仮釈放なき終身刑。連邦法は、殺人、強姦、誘拐、重大麻薬犯罪等三回で仮釈放なき終身刑。



三振法の影響



 ウォルシュによると、三振法に対して憲法上の疑義も指摘されてきた。二重の危険の禁止に違反するのではないか。前の事件をも評価対象に入れて量刑を決めることが憲法第五修正に反する疑いである。また、残虐で異常な刑罰にあたるのではないか。機械的に終身刑などを適用するのは憲法第八修正に反するのではないか。しかし、カリフォルニア州裁判所は、場合によっては違憲となることもありうるとしつつ、三振法それ自体がただちに違憲とはいえないとした。

 三振法が及ぼした影響についても論争がある。

①     三振法が刑事裁判件数を増大させたか否か。三振法は留置場収容者数を増大させたか否か。裁判件数、公判回数、必要経費の変動が調査され、議論が行われた。三振法の厳罰主義から、裁判件数増は当然のようにも見えるが、他方、終身刑になれば社会において四度目の犯行を行う機会がなくなる。直接的影響だけでなく間接的影響を考慮すると、統計に依拠した議論だけでは結論が出ない。

②     三振法はマイノリティ犯罪者に不釣合いに影響を与えたか否か。つまりマイノリティに対する差別につながらないか。各地における黒人やヒスパニックに対する起訴率の上昇など統計が解釈の対象となる。一九九六年のカリフォルニアの黒人人口は七%だったが、重罪容疑逮捕者の二三%、刑事施設人口の三一%、二五年以上の長期刑の四三%が黒人であった。明らかに差別的運営がなされていると見えるが、差別は三振法に始まったわけではない。警察官の職務執行、被疑者被告人の弁護人選任権や防御権の行使など多様な要因も検討する必要がある。

③     三振法は刑事施設の過剰収容をもたらしたか否か。三振法による過剰収容の結果、被収容者の処遇は劣化し、収容に要するコストも高まったという批判がある。これに対して、犯罪率が低下したから社会的コストは低くなったという見解もある。

 三振法の弊害が指摘されても、反論も成立する状況にあると見られ、結局、三振法が維持されることになる。

 再犯の抑止と無害化が実際に果たされたか否か、三振法の本来の目的に照らした効果の判定もさまざまに試みられている。機械的終身刑ならば、犯罪者は重罰を避けるために再犯を思いとどまるか。機械的終身刑なら潜在的犯罪者が犯行を思いとどまるか。常習犯罪者の隔離による無害化が犯罪を減少させるか。

 ウォルシュによると、この問題は、三振法は機能しているかという問いの形で論議されてきた。三振法導入後の犯罪率低下を、三振法の効果と見るか、その他の諸要因(経済変動など)を考慮するかは分かれている。カリフォルニアのように顕著に低下した州もあれば、漸減程度の州もある。ウォルシュはいくつもの例を紹介している。法制定による直接的効果、間接的効果、あるいは潜在的な逆効果を総体として把握することは困難であり、明快な結論が出るわけではない。死刑の抑止効論議と同様である。

 社会の敵から良識ある市民の安全を守るための厳罰主義は、いったん採用されると、効果の有無は実証できないから、そこから抜け出すことが困難になる。三振法の世界は、価値を求めながら価値を剥離する法の矛盾を露呈し続けるだろう。

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう


ヒューマン・ライツ再入門21

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう(一)

                    



雑誌『統一評論』537・538号(2010年9月、10月)









一 韓国併合一〇〇年を迎えて



 七月一九日、東京・新宿で「東アジア歴史・人権・平和宣言」運動の第一回インタヴュー講座が開催された。同宣言運動の提唱者で実行委員長の徐勝(立命館大学教授)への公開インタヴューである。

 韓国併合一〇〇年の二〇一〇年に、各国の民衆がさまざまな取り組みを進めている。日本でも数多くの市民が併合一〇〇年を契機に、日本による植民地支配を振り返り、反省する営みを続けている。各地で各界各層の取り組みがなされている。

 それにもかかわらず、屋上屋を架すような「東アジア宣言」運動を立ち上げたのはなぜか。

  徐勝によると、日韓の一〇〇年を振り返ることはもちろん重要だが、それだけでは不十分である。第一に、地域的な意味で考えると、日本と韓国(朝鮮半島)だけでなく、大日本帝国が版図を延ばした東アジア全体を視野に入れる必要がある。第二に、時間的な意味では、近代一〇〇年だけでなく、列強・西欧帝国主義による植民地支配五〇〇年を捉える必要がある。その意味で、韓国併合一〇〇年を問うことは、西欧帝国主義による世界分割の歴史の中に、日本帝国主義による東アジア植民地支配の歴史を組み入れることでなければならない。

 そうした問題意識を持って考えると、この問題に取り組んだ先例として、ダーバン宣言がある。それゆえ、ダーバン宣言に学びながら、東アジアにおける植民地主義と人種差別の歴史を総合的に分析し把握する作業が不可欠である。一〇〇年という大きな節目の年であるからこそ、世界史的な視野と問題意識で考えることが重要である。ダーバン宣言の際には、アフリカやカリブ諸国の議論が中心となっていて、東アジアのことは主たる議論の対象となっていなかったので、なおさらである。



二 呼びかけ文



 東アジア歴史・人権・平和宣言のための同委員会は、二〇〇九年冬から準備を始めて、二〇一〇年初頭に動き始めた。その「呼びかけ文」(二〇一〇年三月二〇日)は次の通りである。

     *       *

 今年二〇一〇年は、日本が朝鮮を併合してから一〇〇年目に当たります。韓国と日本との関係は韓流ブームと言われるほど文化的には身近なものになってきましたが、植民地支配・侵略をめぐる歴史認識には大きな隔たりがあります。また、朝鮮民主主義人民共和国とは未だに国交正常化すら実現していません。在日コリアンへの差別がなくならないのも日本が過去の植民地支配・侵略の歴史を清算できていないからだと考えます。

 過去の植民地支配・侵略の清算は日本と韓国だけの課題ではありません。二〇〇一年九月、南アフリカのダーバンで、「反人種主義・差別撤廃世界会議」が国連主催で開催されました。この会議で討議されたことのひとつは、「奴隷制と植民地支配の清算」でした。過去五〇〇年ほど人類を支配してきた西欧諸国による奴隷制と植民地支配の歴史的清算が、国連の国際会議で提起されたことは画期的なことです。私たちが日本の過去の植民地支配を清算することは、こうした国際社会の潮流とも合致するものであり、明治以降、日本が近隣諸国に与えた被害を真摯に反省し、未来に向けて全ての差別をなくし、人が人を支配する制度を拒否することを意味します。

 近代以降、「文明」の名による「野蛮」の支配を自らの使命とした西欧の勢力は、アヘン戦争を皮切りに東アジアへの侵略、戦争、支配を進めてきました。日本は明治以降、「文明開化」の名のもとに西欧を模倣・追従し、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、中国大陸へと帝国の版図を広げてゆく中で、莫大な被害を生み出すだけではなく、日本の民衆自体が軍国主義のくびきの下で抑圧に呻吟し、ついには三一〇万人の死者を出す破局を迎えたのです。

 日本の朝鮮併合一〇〇年を日韓間の民族的葛藤に矮小化せず、五〇〇年にわたる西欧中心の世界の克服という普遍的な歴史的脈絡の中に位置づけ、東アジアの近現代史を全面的に見直し、ダーバン宣言の精神を東アジアにおいて継承し、具体化するために、二〇一〇年八月に「東アジア歴史・人権・平和宣言・行動計画」(東アジア宣言と略す)を東アジアのNGOが共同して策定することにしました。

 ここに多くの方々がこの宣言策定に積極参加し、東アジアにおける歴史清算と人の権利回復、平和の要求を列挙し、それを実現させる具体的な行動計画を提示することを呼びかけます。この東アジア宣言が、世界、とりわけ東アジア各国の政府と市民に共有され、東アジアの未来の協働に向けた指針になるものと私たちは信じます。



三 東アジア宣言の趣旨



 右の呼びかけ文と同様であるが、宣言と行動計画の作成に向けての協力呼びかけの「趣旨文」は次の通りである。

     *       *

(1)人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に関する、二〇〇一年のダーバン会議の宣言と行動計画は、差別がもたらした地球社会の問題と課題、なかんずく奴隷制と植民地支配の莫大な被害と不法性を明らかにした歴史的文書である。

(2)ダーバン会議の精神を引き継いで、東アジアにおける差別と差別の源泉を明らかにし、アフリカの奴隷制に焦点を当てた同会議において議論されることの少なかった東アジアにおける帝国主義の植民地支配の災難を明らかにし、その責任の所在を明確にして、根源的防止策を提案することによって、東アジアにおいて持続的な平和を実現する必要がある。

(3)文明と野蛮という差別主義からもたらされた、西欧の侵略、戦争、植民地支配は、1世紀半にわたって、東アジア地域に甚大な被害を与えたことを認め、謝罪、賠償、再発の防止という「過去清算」が誠実に行われることが、未来に向けて東アジアの協働の不可欠な前提であることを確認する。

(4)東アジアにおける過去清算は、南北朝鮮、台湾をはじめ、各国の政府と、東アジアのNGOによって、その間、取り組まれてきた努力と成果の上に構築されるものであるので、ここに全体の成果と要求を総合し、網羅する。

(5)アヘン戦争にはじまる東アジア近代における侵略、戦争、植民地支配は、大きな傷跡を残し、帝国支配による「分割・支配」は今日においても地域における分裂と対立を作り出しており、この地域における平和の最も大きな脅威となっている。

(6)東アジアにおける過去清算という「歴史的人権」の回復と平和は不可分に連結しており、東アジア共同体に向けての最も重要な課題となっている。

(7)そこで、二〇一〇年日本の朝鮮併合一〇〇年を契機にして、二〇一〇年八月に東アジアの近現代史を全面的に見直す過去清算のための平和宣言・行動計画を東アジアのNGOを主体として策定する。ここに東アジアにおける過去清算と平和の要求を列挙し、それを実現する具体的な課題を行動計画として提示する。



四 ダーバン宣言とは



  それでは「ダーバン宣言」とは何か。二〇〇一年八月三一日から九月八日にかけて、国連人権高等弁務官主催の「人種主義に反対する世界会議」がダーバン(南アフリカ)で開催された。最終日に採択された宣言と行動計画を「ダーバン宣言・行動計画」と呼ぶ。

 国連はそれ以前にも人種差別に反対する世界会議を二回開催したが、その時は、旧宗主国と旧植民地国の間の対立が先鋭化して、空中分解してしまった。そこでダーバン会議が開催された。途中、アメリカとイスラエルが会議をボイコットしたが、それ以外の諸国は最後まで議論を続けて、苦心の末に宣言と行動計画をまとめた。

 その最大の成果が、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを認めたことであった。国連の歴史上はじめてのことである。

 もっとも、旧宗主国による謝罪と補償を義務付けていないため、多くの限界が残るが、ともあれ人道に対する罪を認めたことは大きく、旧植民地諸国からも歓迎された。

 「宣言」(一二二パラグラフ)と「行動計画」(二一九パラグラフ)は、植民地時代の奴隷、奴隷制度、奴隷貿易が人道に対する罪であるとの認識、及び人種主義、人種差別、外国人排斥の撤廃を中心に、移民、先住民、宗教、貧困撲滅、人身取引、女性、子どもの権利、複合差別といった幅広い分野に関し言及がなされている。

 その後も国連ではフォローアップ会議が続けられている。もっとも、人道に対する罪を認めたことから、旧植民地諸国はさらに一歩を進めた議論を呼びかけているため、旧宗主国であった西欧諸国側は、これ以上譲歩しないために国連での会議を時にボイコットしている。ダーバン会議を途中からボイコットしたアメリカとイスラエル、フォローアップ会議をボイコットしている西側諸国のため、かつての二回の会議と同じ状況に陥りかねないが、国連人権高等弁務官と数多くの諸国の努力で、この間も地道な検討会議が続いている。

 なお、日本政府は、独自の立場を採用している。

 二〇〇一年のダーバン会議の際には、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとともにJUSCANZグループを結成し、会議の進行に加わっていた。JUSCANZのなかで、日本政府は、人道に対する罪を認めることを早くから提言していた。このことは文書では残されていないようだが、当時、日本の外交官がNGOに対して繰り返し説明していた。実際、日本政府は他の諸国に対して人道に対する罪を認めるように説得していた。ただし、謝罪と補償については認めない立場であり、アフリカ諸国が補償要求をしているのでなかなかまとまらないと説明していた。当時の日本政府の立場は、人道に対する罪を認めつつ、経済協力方式で解決できるというものだったようだ。途中でアメリカがボイコットして不在となった後も、日本政府はダーバン宣言をまとめる作業に協力し続けた。

 その後のフォローアップ会議については、日本外務省自身がウエブサイトに次のような開設を掲載している。        *       *

(1)米国をはじめとする複数の西欧諸国が会議不参加を決める中で、わが国としては、本件会議の本来の趣旨である人種主義・人種差別への反対の姿勢を示すとの考え、また本件会議を対立の場とするのではなく建設的対話の場としたいとの考えから、会議参加の対応をとった。(ウホモエビ人権理事会議長より、我が国代表団に対して、我が国が本件会議をボイコットしなかったことに対して謝意表明があった。)

(2)我が国は、成果文書の文言交渉で、イスラムに対する差別禁止やイスラム恐怖症等への言及に固執するOIC諸国に対し、人種差別撤廃という会議の本来の目的を踏まえ、特定の国や宗教に言及すべきではないこと、他の宗教も含めたバランスの取れた一般的な書きぶりとすることを一貫して主張してきたところ、今回、一般的表現の成果文書が採択されたことで、成果文書において一定の貢献をしたと思われる。

      *       *

 人種差別問題に関する日本政府の姿勢には極めて大きな疑問があるが、少なくともダーバン会議及びフォローアップ会議に対する日本政府の姿勢は評価できる。

 フォローアップ会議では、人種差別撤廃という開催目的を再確認し、ダーバン宣言と行動計画のレビューや今後の施策を含む成果文書が、EU一部諸国、アフリカ、OIC加盟国等を含めコンセンサスで採択された。ここに日本政府も加わっていることは重要である。日本政府はアフリカやイスラムに関連する人種差別を念頭においているようだが、同じ人種差別が日本国内にあるのだから、国内における差別撤廃の施策を迫っていく必要がある。そのためにNGOは人種差別撤廃委員会その他の国際人権の舞台で活動を続けてきたが、東アジア宣言運動はその一環でもある。



五 東アジア宣言と行動計画



 東アジア宣言も、ダーバン宣言と同様に、宣言と行動計画を柱にまとめる予定である。

 宣言は、同実行委員会事務局が原案を作成して、呼びかけ人その他の意見を集約して修正作業を積み重ねて準備する。日本だけでなく韓国、在日朝鮮人などの意見を反映させていく。現在準備中の宣言・第一次案の構成は次の通りである。

      *        *

前文

Ⅰ 総論

Ⅱ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の源泉、原因、形態、現代的諸現象

Ⅲ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の被害者

Ⅳ 韓国併合一〇〇年における植民地主義と差別の被害者

Ⅴ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の根絶を目指した予防・教育・保護の措置

Ⅵ 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の効果的な救済、回復、是正、補償その他の措置

Ⅶ 東アジアにおける信頼醸成、平和構築、核廃絶、地域人権機関の設置その他の措置

      *        *

 行動計画は、さまざまな市民運動、戦後補償訴訟の原告や弁護団、研究者など多くの人々の協力で執筆して行く。行動計画についての具体的作業は進んでいないが、例えば次のような項目が想定されている。

  1 東アジア植民地責任論

  2 東アジアにおける戦争犯罪と人道に対する罪

  3 韓国併合の歴史認識・法認識(条約問題)

4 民衆虐殺(植民地および日本におけるジェノサイド、朝鮮半島、独立闘争、関東大震災)

5 民衆虐殺(南京事件)

6 強制連行・労働(朝鮮人強制連行[事件別]、中国人強制連行[事件別])

7 日本軍性奴隷制(および戦場強姦)(女性国際戦犯法廷判決以後、NHK訴訟、各国の被害女性の要求、各国議会決議、自治体決議)

8 七三一部隊細菌戦(訴訟経過)

9 毒ガス(化学兵器禁止条約以後)

 10 歴史教科書(教科書論争、歴史偽造教科書、共同教科書の試み)

 11 靖国(参拝、合祀問題)

 12 アイヌ民族に対する差別(国連宣言以前、国連宣言以後の変化、今後の課題)

 13 沖縄/琉球民族に対する差別(琉球処分、沖縄戦、天皇メッセージ、米軍基地)

 14 米軍基地問題(在韓米軍基地、在沖米軍基地)

 15 在日朝鮮人に対する差別(日本政府による法的制度的差別、日本社会における差別、最近のヘイト・クライム)

 16 在日中国人に対する差別(日本政府による法的制度的差別、日本社会における差別)

 17 移住者・在日外国人に対する差別

 18 難民・難民認定申請者

 19 複合差別(女性、若者、障害者、中国帰国者、セクシュアル・マイノリティ・・・)

 20 東アジア真実和解委員会

 21 東アジア人権機構

 22 東アジア非核地帯



六 インタヴュー講座



 これまでのところ、宣言・第一次案の主要部分が徐々に仕上げられているが、まだまだ不十分であり、より多くの人々の意見を元に修正して行く必要がある。宣言の修正と行動計画の執筆を考えると、当初目標の二〇一〇年八月の完成は難しい。

 そこで実行委員会では、宣言・第一次案の作成は当初目標の通り二〇一〇年八月としながらも、宣言運動の期間を二〇一一年九月八日のダーバン宣言一〇周年まで延長し、この一年間の間に、宣言のブラッシュアップ、行動計画の執筆を進めることにした。

 そのために「東アジア平和・人権・宣言」実行委員会の企画・連続インタヴュー講座「ダーバン宣言の東アジア版をつくろう――日本の植民地主義を問う」も開始した。冒頭に紹介したのが第一回である。

 「韓国併合一〇〇年、ダーバン宣言九周年の二〇一〇年に、 <ダーバン宣言の東アジアNGO版>を作成することの意義を分かりやすく提示し、継続的な取組みの中で 宣言案の見直しを進め、行動計画その他の準備を進めていくという趣旨で、本年七月より二〇一一年九月八日(ダーバン宣言一〇周年)に向けて、さまざまなテーマの連続講座を開催行動計画の作成をすすめるために、呼びかけ人へのインタヴューを行ない、その記録を中心に作成していく。」

 本稿執筆段階で準備されているインタヴュー講座は次の通りである。

       *       *

第1回 7月18日(日)夜、牛込箪笥地域センター

徐 勝さん(韓国併合100年に際して日本植民地主義を徹底解剖するために)

 (以上終了、以下はこれから)

第2回 9月4日(土)午後、新宿区立戸塚地域センター

金 栄さん(在日朝鮮人から見た日本の植民地主義:仮題)

第3回 9月7日(火)夜、新宿区立戸塚地域センター

上村英明さん(ダーバン宣言って何だ?――植民地主義と人種差別:仮題)

第4回 9月25日(土)午後、青山福祉会館

崔 善愛さん(「在日」を生きて:仮題)

第5回 10月9日(土)夜、会場未定

中原道子さん(女性国際戦犯法廷一〇年:仮題)

第6回 10月23日(土)夜、会場未定

宋 連玉さん(脱帝国のフェミニズムを求めて:仮題)

第7回 11月6日(土)夜、会場未定

俵 義文さん(歴史教科書問題の現在:仮題)

第8回 11月20日(土)午後、会場未定

林 博史さん(戦犯裁判はいかに行なわれたか:仮題)











ヒューマン・ライツ再入門22

東アジア歴史・人権・平和宣言をつくろう(二)

                    

一 「文明と野蛮」を乗り越えるために



 東アジア歴史・人権・平和宣言実行委員会は、「ダーバン宣言の東アジア版をつくろう」連続インタヴュー講座を開始した。

第一回は、七月一八日(日)、牛込箪笥地域センターにおいて、宣言運動の提唱者で、実行委員会委員長の徐勝(立命館大学教授)に「韓国併合一〇〇年に際して日本植民地主義を徹底解剖するために」と題してインタヴューが行なわれた。東アジアにおける植民地主義を問う際に、二〇〇一年に南アフリカのダーバンで採択されたダーバン宣言を念頭に置くという提案について次のような説明がなされた。

 「西洋が文明世界を名乗って世界全体に対する支配を広めてきたその歴史、これを根底から見直そう。こういう提案であるわけですね。もちろんその経緯はご存知のように、西洋の方では非常に大きな反発がありました。この事実は承認せざるを得ない。その責任を認めて、これに対する補償をするということはほぼ不可能なことであるという、非常に大きな圧迫を受けた訳です。だから、国際社会、特に国際人権という場所で、これがメインストリームの中で、まだ照明は受けてません。しかしこれは、最も根底的な問題として重要な問題とならざるを得ない。」 

「そういうことを根底的に見直す。日本だと、明治維新以降の話をしますと、北海道(アイヌモシリ)に対する侵略。それから、琉球/沖縄に対する支配。さらに台湾、韓国。そして中国東北(満州)ですね。日本の帝国主義的侵略というものは一連の流れとして存在しているわけで、その背景には、ウェストファリア条約以後形成された『文明と野蛮』という世界観の中で『野蛮に対する支配・侵略』というものを『文明の使命』と考えてきた西洋世界の考え方というものが存在している。だから、併合一〇〇年を日本と韓国だけではなしに、世界史的な、あるいは東アジア現代史において、特に日本という『地域覇権国家』=『小帝国』が形成されて以後作られてきた東アジアという概念と、関連させて考えてこそ、未来に向かってこの地域を平和な地域として、お互いに協力していこうという展望と結び合える。そのような宣言と具体的な要求というのを掲げられるんじゃないか、というのが基本的な考え方でした。」

 ここでは、西欧近代そのものを問い返し、同時に日本の植民地主義を問い返すと言う問題意識が示されている。

 「それぐらい極端だった。日本は、だから日清戦争と日露戦争によって、西洋そのままでやってきて、その結果、日清・日露戦争を経て『半人前の帝国国家』になった。その過程の中で、――私がもう一つ関わっています「靖国神社を見れば良くわかる訳ですが―― 天皇を中心としてその求心力を強める。非常に民主主義と反対の、専制的な国家を作っていく訳ですけれども、その<文明>の運命は一体どうなったのか。『自分たちは<文明>だ』と言ってます。しかし、<文明>というのは一体何かということを考えてみますと――ウェストファリア条約以後、いわゆる主権国家というのが生まれて、国際社会というものが作られ、国際法が作られ、そういう状況の中での<文明>というものを見れば、西洋以外の<野蛮><未開>国家に対する支配・侵略・搾取というものを前提とした、野蛮な行為によって支えられていた<文明>なんです。」 

 「『文明は野蛮だ』ということなのです。日本は『「野蛮である文明』を目指して一所懸命やって来た。その結果、東アジアに対する極めて野蛮な植民地支配の過程において、いちいち行った行為、それから南京虐殺や戦争侵略の中で行った行為ももちろんですけれど、植民地支配の中でも言うまでもなく、朝鮮人、台湾人、中国人は劣った民族だという、こういういわゆる『文明と野蛮』という基準を当てはめて、日本人の優位性、文明性を言いながら差別を正当化していく。差別というものは、もちろん近代世界誕生以前からあったことはあった訳なんですが、現代社会における差別の根源というのは、ほとんどは近代の、いわゆる『文明世界の成立』以降形成されてきたものであると、こういう風に考えている訳です。」

 こうした問題関心から、「併合一〇〇年」に、日韓だけでなく、東伊アジアにおける植民地主義と差別を根本的に問い直す試みが必要なのである。



二 東アジアとは



 それでは「東アジア」とは何であろうか。どの地域を指すのだろうか。

 東アジア、東北アジア、北東アジア、極東などさまざまな言葉が使われてきた。しかも、どのような言葉を使おうとも、歴史的には「大東亜共栄圏」とう虚妄と手垢にまみれた侵略のイデオロギー用語との関連を問う必要がある。

 現在作成中の宣言第一次案は「Ⅰ 総論」において、「1 東アジアの定義」と題して次のような定義を行なっている。

 「本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、近代日本国家が、一八世紀以来の西欧帝国主義のこの地域への膨張と侵略に触発されて、対外的膨張を試みて、軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した植民地、軍事的に侵略行為を行った結果としての占領地、さらに軍事的に侵略行為を行って当該地域の軍隊、準軍隊ないし武装勢力と戦争を行った交戦地を含む。それゆえ、大陸だけではなく、太平洋地域も含む。それは、主に日本の戦争と植民地支配にかかわる歴史的概念である。一九四五年、日本軍国主義の敗北後、東アジア諸民族、諸人民は独立、民族解放を迎え、戦争と職金地支配の傷跡の克服を最優先の課題としたが、超大国が自国の軍事的政治的経済的利益を最優先させた世界的冷戦が始まり、その努力を押しつぶした。つまり、アメリカは自国の軍事戦略遂行のために日本をその協力者とするために、旧日本軍国主義の解体を中断し、東アジアに対する日本の過去清算を免除することによって、日米同盟による地域支配ヘゲモニーを形成した。その結果、第二次大戦後においても、帝国主義支配によって外部から規定された『東アジア』地域支配秩序は冷戦の壁によって保護され、日本の過去清算の不履行によって、日本は歴史的債務を引き継いだ。」

 さらに「2 東アジアと『大東亜共栄圏』」において次のように述べている。
 「それゆえ、本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、大日本帝国が軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した、ないしは支配しようとした『大東亜共栄圏』と地理的に重なるが、それに限られるものではない。本宣言の基本精神において、『大東亜共栄圏』に現れている『生存圏(生命線)』を主張し地域支配を企てる帝国主義的発想は批判的克服の対象である。」

 宣言における「東アジア」とは、地理的概念ではなく、歴史的に大日本帝国が侵略し、支配した植民地や占領地の全体を含み、それゆえアジア・太平洋戦争の全体に相当する地域を含んだ概念である。

 従って、「3 東アジアの被害者」も次のように特徴付けられる。

「本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアにおける『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容(以下「人種差別等」)』の被害者とは、これらの災悪の影響を受け、被り、目標とされている、または目標とされてきた個人または個人の集団であると宣言する。すなわち、植民地主義と侵略戦争が人種主義や人種差別を正当化する『文明と野蛮』の論理による、『西欧(=日本)文明国家優越論』により支えられてきたので、植民地主義と侵略戦争の被害者とは人種主義や人種差別の被害者である。」

 近代の文明こそが野蛮を内包していたのだから、「文明=野蛮」の被害者の視点から文明そのものを撃つ必要がある。



三 ダーバンからの道

――東アジア宣言に至る系譜



 かくして東アジア宣言は、ダーバン宣言を受け止めて、これを東アジアに適用、発展させる試みであり、それゆえダーバン宣言以後の世界の歩み、東アジアの歩みを振り返る作業から始めることになった。

 東アジア宣言前文・第一次案は「二〇〇一年九月八日、南アフリカ共和国のダーバンで開催された『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議』において『ダーバン宣言・行動計画(DDPA)』が採択されたことを想起し、ダーバン宣言・行動計画(DDPA)が、『人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容が、人種、皮膚の色、門地(世系)またはナショナルあるいはエスニックな出身に基づいて発生し、被害者は、性、言語、宗教、政治その他の意見、社会的出身、財産、出生、またはその他の地位などの関連のある理由に基づいて、複合的でいっそう悪化する差別を被ることを認める』と述べたことに留意し」と始まる。

 ダーバン宣言は、「大西洋越え奴隷取引などの奴隷制度と奴隷取引は、その耐え難い野蛮のゆえにだけではなく、その大きさ、組織された性質、とりわけ被害者の本質の否定ゆえに、人類史のすさまじい悲劇であった。奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪であり、とりわけ大西洋越え奴隷取引はつねに人道に対する罪であったし、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の主要な源泉である」と述べている。

 国連の歴史上初めて奴隷制を人道に対する罪と認めた意義は大きい。

 続いて、東アジア宣言前文・第一次案は、東アジアにおける「人種差別等」に反対するための人民とNGOのこれまでの取組みに感謝し、二〇〇一年一二月三日、オランダのハーグにおいて言い渡された「日本軍性奴隷制を裁く二〇〇〇年女性国際戦犯法廷」判決を歓迎し、二〇〇六年三月三一日の、国連人権理事会・人種差別特別報告者ドゥドゥ・ディエンの報告書を想起する。

さらに、二〇〇八年五月九日、国連人権理事会が、その普遍的定期審査(UPR)の結果として、「第二次世界大戦中の『慰安婦』問題に関する、国連諸機関(女性に対する暴力に関する特別報告者、女性差別撤廃委員会および拷問禁止委員会)による勧告に誠実に対応すること(韓国)」、「在日朝鮮人に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための措置をとること(朝鮮民主主義人民共和国)」、「日本における継続的な歴史の歪曲の状況に取り組む緊急措置をとること。これは、過去の人権侵害および再発の危険性に取り組むことを拒否している現れであるためである。また、現代的形態の人種主義に関する特別報告者からも呼びかけられたように、この状況に取り組む緊急措置を勧告する(朝鮮民主主義人民共和国)」としたことに感謝を表明する。

同様に二〇〇八年一〇月三〇日の国際自由権規約委員会、二〇〇九年八月七日の女性差別撤廃委員会の勧告を列挙し、二〇一〇年三月一一日の人種差別撤廃委員会が、朝鮮学校差別の改善と、「人種的優越あるいは憎悪に基づく意見の流布の禁止は意見および表現の自由と両立するという見解を繰り返す、そしてこの点において、締約国に、条約第四条(a)(b)の留保の範囲の縮小と望ましくは撤回を前提に、留保の維持の必要性を検討することを奨励する」を勧告したことを想起している。



四 植民地主義克服の不十分さ



 東アジア宣言前文・第一次案は、第二次大戦後の日本による脱植民地過程の不十分さを詳細に述べている。ごく一部だけ紹介すると、まず冒頭に次のように述べている。

 「東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された各種の懸案事項が、第二次大戦終了後六〇年余を隔てても、なお未解決のまま放置されている。このことが国際社会において繰り返し論議をと呼び起こし、東アジアにおける諸人民の平和と安全を害する効果を持っている。戦争と植民地支配の被害者に対して、彼女/彼らに保障されるべき補償やリハビリテーションを得られることもなく、却って忘却と放任のゆえに継続的に被害を受けつつけている恐れのあることに思いを馳せ、東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された、東アジアにおける人種差別等の被害者となりうる人々が、いまなお東アジアのそれぞれの地域において、人種差別や外国人排斥に晒されていることに遺憾の意を表明」する。

 その上で、カイロ宣言やポツダム宣言、東京裁判判決を再確認し、これらの歴史的意義と、それにもかかわらず含まれていた限界を指摘し、サンフランシスコ講和条約や、その他の二国間条約による戦後処理の限界も指摘する。

 「日韓条約及び日中共同声明が、結果として、数多くの戦争処理を未解決に終わらせたために、その後も長期にわたって数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日もなお当該地域における平和、安全、善隣友好の障害要因となっていることを想起し」たうえで、「これらの戦時賠償によっては見落とされた数多くの戦争処理が未解決に終わり、数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日に至っていることを想起し、東アジア地域の諸国に対して日本から支払われた戦時賠償が、必ずしも被害を受けた現地の人々の手に渡ることがなかったことを想起し、それゆえ、日本の戦争と植民地支配に終止符を打つためのさまざまな試みが、いずれも途半ばにおいて頓挫し、このことが東アジアにおける人種差別等の主要な原因となっていることに遺憾の意を表明し」ている。

 こうした不十分さをいかに克服するのか。それには、近代国際法の水準にも十分達していない限界を乗り越えると同時に、近代国際法という限界をも乗り越えるという課題が掲げられる。「文明=野蛮」を乗り越えるためには、二重の課題の同時遂行が必要なのである。

Wednesday, July 25, 2012

刑事施設における暴力


刑事施設における暴力



『救援』463号(2007年11月)







 『朝日新聞』一〇月七日朝刊は「刑務所内で暴行七〇〇〇件超 全国七五施設『過剰収容』指摘も」と題して「刑務所や拘置所などの刑事施設で、収容者が他の収容者や職員らを殺傷・暴行する事案が増えている」と報じた。十年前から約三千件増え、年間七千件となったという。収容者同士が六三四六件、対職員らが一二一三件。府中刑務所や福岡刑務所における事例が紹介されている。記事の前半では情報の出所が明らかにされていないが、終わりのほうに「法務省矯正局によると」という表現が出てくる。末尾では、過剰収容に一因があるとして、海渡雄一(弁護士、監獄人権センター事務局長)の言葉を紹介して締めている。当局発表情報を紹介しつつも、過剰収容を指摘している点では優れた記事といえよう。もっとも、収容者による暴力だけに焦点を当てている。名古屋刑務所事件を引き合いに出すまでもなく、施設内での暴力には職員から収容者に対するものもあるのに言及がない。



宮城刑務所



 鎌田俊彦『われに告発する用意あり――宮城刑務所二〇〇五年五月~二〇〇六年九月』(『そうぼう』編集部、二〇〇七年)は、宮城刑務所における不祥事と暴行の告発である。一九七一年のクリスマスツリー爆弾事件で無期懲役が確定した鎌田は、九一年以後、宮城刑務所に収監されていたが、二〇〇五年七月、警備隊による受刑者に対する暴行を告発した。

七月七日午後四時四五分頃、還房後すぐ、廊下で警備隊副隊長(警備主任)が、ある受刑者の室内作業の材料運搬時に、何らかの言葉の行き違いからか、突然、受刑者に飛び掛って、廊下に叩きつけ、倒れている受刑者のわき腹を蹴った。「わしが何でこんなことされるんや」「懲役のくせに何言ってるんだ」。副隊長は、受刑者の首をプロレスのヘッドロックのように締め付け、駆けつけた大勢の職員が後ろ手錠をかけて連行した。数分間、悲鳴が響いたので、多くの受刑者が耳にしている。直接目撃した受刑者もいる。目撃した受刑者が「ひどいよ」と鎌田に話しかけようとしたところ、近くにいた看守が「余計なことを喋るんじゃない。非常だ」と叫んだという。鎌田が「非常はないでしょう」というと、看守は突然、襟首をつかんで頭を下げさせ、左腕をねじり上げて拘束連行した。その際、右わき腹に負傷した鎌田は治療を求めたが、放置された。

 鎌田が手紙で告発したため、弁護士、ジャーナリストや人権NGOが取材をはじめ、徐々に宮城刑務所内部の腐敗が明るみに出た。

暴行事件以前に、宮城刑務所では、看守が一部の受刑者に酒や煙草を振舞ったり、携帯電話を使わせたりという不祥事が起きていた。看守の腐敗発覚を恐れた当局は、受刑者が看守を脅迫したことにして一部メディアに情報をリーク。刑務所でやりたい放題の悪質受刑者というストーリーがつくられた。一方、内部では体制締め付けが厳しくなり、受刑者への対応も強圧的となり、ついには暴行事件に発展していった。

 本書には、告発を始めた時期から一年以上にわたる鎌田の手紙が収録されている。ここから明らかになるのは、刑事施設の問題が一部の勘違い職員による偶発的な暴行ではなく、刑事施設全体を覆っている腐敗と不正の体質にあることだ。受刑者に対する極端な差別と締め付けと暴行。一部受刑者への優遇。規律の乱れと、乱れを隠蔽するために極端に厳しくなった規律。上から一方的に締め付けるため、看守自身も振り回されているし、まして十分な情報を与えられない受刑者は呆然とするしかない。これではまともな処遇などできるはずがない。

 なお、本書の読みどころは事件告発よりも、折々の出来事に触発されて綴られた著者の「エッセイ」とも言うべき部分であり、獄中での読書体験を通じての数々の所感である。



釧路刑務所



阿部勇治『実録獄中記――受刑者の心の叫び』(美化企画出版、二〇〇七年)は、釧路刑務所の処遇批判である。二〇〇〇年の強盗未遂事件で懲役三年六月を言い渡され、控訴せずに確定させた阿部は、釧路刑務所に収監された。「お前らはまともな人間じゃないんだ。根性を叩きなおしてやる」といった看守たちの横柄で差別的な姿勢に直面した阿部は考える。

「罪を犯したとはいえ、閉ざされた塀の中で失格人間の烙印を押され、それぞれの人間性は矯正の名の下に否定され、抑圧されるばかりだ。権力を振りかざす威圧的な刑務官の手で、型枠人間(ロボット人間)が作り出されるだけではないのか」。

 ノートや手紙も検閲される獄中で、阿部は、たとえ懲罰にかけられても獄中の現実をありのままに日記につけようと決意し、刑務作業の様子、「カンカン踊り(全裸検診)」、入浴時の様子、看守の個性、受刑者の個性などを記録している。そして「釧路刑務所の一工場担当だった刑務官は、誰がどう言おうと厳しいだけで実のない指導に徹していた。矯正の名の下に、人の心を蹂躙し続けたという思いは死んでも消えない」という。

阿部は、二〇〇二年二月、新聞記事で母親の死去を知った。看守や首席幹部に新聞を見せて「今日は仕事を休んで、この房で母の冥福を祈らせてほしい」と頼んだ。ところが、首席幹部の命令で、阿部は房から引きずり出され、軽塀禁房に強制的に入れられた。二時間後には独居房に戻されたが、死んだ母親の冥福を祈ることもできない仕打ちを黙って記録するしかなかった。

施設内医療についても指摘がある。二〇〇一年四月、肝臓と胆管が腫れ上がって重症になった阿部は、救急車で釧路市立総合病院に搬送され、五日間の入院となった。その間、二四時間監視体制で、両手に手錠をはめたままの寝たきり状態を「生き地獄」と表現している。六月には八王子医療刑務所に送られ、胆石の除去手術を受けた。八王子医療刑務所職員の受刑者に対する態度は、釧路刑務所とは対照的に人間的であり感心した。しかし、手術結果について患者に対する説明責任を果たさないなど問題もあるという。

出版になかなか同意しない家族を説得して、思い出したくない過去を書き綴り、出版にこぎつけた著者は「体験者こそ告発者であり得る」と決意を固め、施設内処遇の改善を訴える。

子どもの権利委員会と日本


ヒューマン・ライツ再入門20

子どもの権利委員会と日本



『統一評論』536号(2010年8月)





                    

一 歴史教科書に勧告



 六月一五日、子どもの権利条約に基づく子どもの権利委員会が、五月に行なわれた日本政府報告書審査の結果としての勧告を公表した。日本のマスメディアはこれを黙殺したが、韓国のメディアが伝えている。

 六月一六日の『聯合ニュース』は、「国連子どもの権利委、日本に歴史教科書是正勧告」と題して次のように報じた。

【ジュネーブ一五日聯合ニュース】国連子どもの権利委員会が、日本の歴史教科書はアジア太平洋地域の歴史に対するバランスの取れた視点がみられないと指摘し、是正を勧告した。/一五日に公開された委員会の報告書によると、先月二五日から今月一一日までの第五四会期で、日本の「子どもの権利条約」履行状況を審議。その結果、日本の歴史教科書はアジア太平洋地域の他国の学生との相互理解を強化できないだけでなく、歴史的事件を日本の観点でだけ記述していることが懸念されると指摘した。そのうえで、「アジア太平洋地域の歴史的事件に対しバランスの取れた視角を示せるよう、教科書を公式に再検討することを政府に勧告する」と述べている。/また、華僑学校や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の学校など、他民族出身の子どもたちが通う学校への支援が十分ではなく、こうした学校を卒業しても大学入試に必要な資格条件が認められないことも懸念点だとした。非日本系学校への支援を拡大し、大学入試などでの差別を撤廃するよう勧告した。/さらに、開発途上国の児童の人権を優先的に考慮する政府開発援助(ODA)を拡大し、アイヌや韓国人など少数民族出身の子どもたちに対する差別をなくすことも勧告した。/同委員会の李亮喜委員長は、二〇〇四年の日本に対する総括所見で首席審議官として活動している。今回も歴史教科書と朝鮮学校差別問題を積極的に提起した。先ごろの聯合ニュース特派員の取材では、「これら問題は、人権条約履行状況を検討する際、継続して提起していく必要がある」との考えを示している。今回の報告書は、今後行われる日本に対する国連人権理事会の普遍的審査(UPR)でも活用されるだろうと述べた。


同様に、六月一八日の『朝鮮日報』は、「日本の歴史教科書めぐり国際機関が是正勧告」と題して次のように報じた。

 国連児童の権利に関する委員会(委員長:李亮喜成均館大法学部教授)は、日本の歴史教科書について、アジア・太平洋地域の過去の歴史に関する、バランスある視点が見られないとして、日本政府に対し是正を勧告した。/同委員会は、一六日に公開した報告書で、第五四会期中に実施した日本の「児童の権利に関する条約」履行状況の審議の結果、日本の歴史教科書は、アジア・太平洋地域の他国の生徒たちとの相互理解を強化し得ないだけでなく、歴史的事件を日本の観点からだけ記述していることを懸念する、と指摘した。/ また、「アジア・太平洋地域の歴史的事件に関してバランスある視点が見られるよう、教科書を公式に再検討することを政府に勧告する」と記した。さらに報告書は、華僑の学校や在日本朝鮮人総連合会の学校などに対する支援が十分でなく、これらの学校を卒業しても、大学入学に必要な資格要件が認められないことにも注目し、日本政府が日系以外の学校に対する支援を増やし、大学入学などの面での差別を撤廃することを勧告した。



 このように重要な勧告が出ているにもかかわらず、日本のマスメディアを通じて事実を知ることができないのは残念である。



二 在日朝鮮人のロビー活動



 もっとも、日本におけるメディアにおいて現地状況を知ることができないわけではない。それは在日朝鮮人によるメディアである。そのほかに子どもの権利問題で活動してきたNGOのニュースや報告会でも多くのことが語られているが、ここでは在日メディアを見ておこう。

子どもの権利委員会に参加してロビー活動を行なった廉文成(朝鮮大学校外国語学部助教)は、六月七日の『朝鮮新報』に現地活動報告を寄せている。
 まず、「子どもの権利委員会の対日審査を傍聴するオモニたち」として、 「子どもの人権が守られているかどうかを調べる本審議に『朝鮮学校オモニ代表団』が参加し、日本当局による民族教育に対する差別的な政策を一日も早く取りやめ、朝鮮学校に通う子どもたちに対する暴言、暴行事件根絶のための積極的な措置を講じるよう訴えた。審査結果を踏まえた総括所見は六月中旬に発表される予定で、朝鮮学校に対する差別是正を勧告する内容が含まれる見通しだ」としている。
 続いて、「チマ・チョゴリでロビー活動」との見出しで、「神奈川、埼玉、茨城、愛知、大阪、兵庫の六府県下の朝鮮学校オモニ会と女性同盟の役員ら一三人で構成された代表団(団長=金栄淑)は、『子どもの権利条約』対日審議を傍聴。朝鮮学校を『高校無償化』の対象から除外するなど、日本当局が敢行する民族差別の現状について委員らに報告し、民族教育への理解を求めた。/『子どもの権利を守り、立派な朝鮮人に育てたい』――オモニたちはその一心で、言葉の壁を乗り越え、精力的に活動した。/チマ・チョゴリに身を包んだオモニたちは、国連人権高等弁務官事務所、国連欧州本部、国連朝鮮代表部などを訪問し、委員やNGO関係者、記者らにビラを配るなどして民族教育への理解を求めた。NGO会合などを通じた交流も積極的に行った。/代表団は、昨年一二月の『在特会』による朝鮮学校襲撃事件、『高校無償化』除外に至った経緯について説明し、朝鮮学校の生徒と保護者たちが民族教育の権利を侵害されている現状を訴えた。/そして、その本質が植民地時代から継続する植民地主義、民族差別にあることを指摘した」と伝える。
 次に、委員会の審議手順を解説している。政府による報告、それに対して審査を行う委員たちによる質問の手順である。NGOには発言権がないので、休憩時間などにロビー活動を行い、問題点を提起する。日本政府の答弁に問題点があればそれを委員たちに知らせ、問題の再提起を求めたりもする。
 朝鮮学校の高校無償化除外問題についてもロビー活動を展開した。

「五月二七日午後の審議では、二人の委員が日本政府に対し朝鮮学校の『無償化』除外について質問した。代表団がほぼすべての委員に接触したことが効果的だった。/日本政府は、『無償化』の対象になるには本国認定や国際的な評価機関による認定などの基準を満たせば良いと言い放った。これに対し代表団は、中井拉致問題担当大臣の朝鮮学校べっ視発言など朝鮮学校が除外された経緯や政治的抑圧であり民族差別であるという同問題の本質について、紙に記し委員に手渡すなど、臨機応変に対応した。/審議時間の関係上、日本政府の不十分な答弁に対して再度問いただす時間がなかったが、委員たちは『政府の答弁が不十分なのでこの問題に関して必ず勧告に盛り込む』と言っていた。また『本当に朝鮮学校だけが除外されているのか』とあからさまな差別に驚く委員もいた。国際的な基準に照らし合わせた場合、想像すらできないほどの許しがたい差別だということだ。/オモニ会連絡会と女性同盟は、国連での要請活動をきっかけに民族教育の権利拡充運動をよりいっそう強めていきたいと意気込んでいる」とまとめている。



三 子どもの権利条約
 

子どもの権利条約は、一九六六年の二つの国際人権規約、一九二四年の子どもの権利宣言、一九五九年の子どもの権利宣言を踏まえて、一九八九年一一月二〇日に採択された。

前文は、「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神並びに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等及び連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮」するとした上で、「児童の権利に関する宣言において示されているとおり『児童は、身体的及び精神的に未熟であるため、その出生の前後において、適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする。』ことに留意し、国内の又は国際的な里親委託及び養子縁組を特に考慮した児童の保護及び福祉についての社会的及び法的な原則に関する宣言、少年司法の運用のための国際連合最低基準規則(北京規則)及び緊急事態及び武力紛争における女子及び児童の保護に関する宣言の規定を想起し、極めて困難な条件の下で生活している児童が世界のすべての国に存在すること、また、このような児童が特別の配慮を必要としていることを認め、児童の保護及び調和のとれた発達のために各人民の伝統及び文化的価値が有する重要性を十分に考慮し、あらゆる国特に開発途上国における児童の生活条件を改善するために国際協力が重要であることを認めて、次のとおり協定した」とする。

第一条は、子どもの定義を示している。「この条約の適用上、児童とは、一八歳未満のすべての者をいう。ただし、当該児童で、その者に適用される法律によりより早く成年に達したものを除く」としている。

これは日本政府による「公定訳」であるが、明らかに不適切な訳である。「子ども」と訳すべきところを「児童」としたため、「一八歳未満」との整合性が取れない。法律(児童福祉法)の児童もこれにあわせて一八歳未満と変更したが、著しく語感に反する。国際文書の翻訳に誤訳があるのはやむを得ないことと思われるかもしれないが、政府訳の誤りは当初から指摘されていたのに、誤訳のまま押し通したのが実情である。

第二条は差別の禁止である。第一項は、「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する」としている。

第三条は子どもの最善の利益である。第一項は「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」としている。

第七条は氏名・国籍の権利である。「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する」とする。氏名の権利も国籍の権利も日本国憲法にはない規定である。

第八条はアイデンティティの保全である。第一項は「締約国は、児童が法律によって認められた国籍、氏名及び家族関係を含むその身元関係事項について不法に干渉されることなく保持する権利を尊重することを約束する」とする。「身元関係事項」とあるのはアイデンティティの迷訳である。

第一二条は意見表明権である。第一項は「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」としている。

その他、各種の自由権、虐待からの保護、難民子どもの保護、教育権、性的搾取からの保護、少年司法の諸規定が掲げられている。



四 子どもの権利委員会



 条約第四三条第一項は、「この条約において負う義務の履行の達成に関する締約国による進捗の状況を審査するため、児童の権利に関する委員会(以下「委員会」という。)を設置する。委員会は、この部に定める任務を行う」とし、他の人権条約と同様に、人権条約の履行のために、子どもの権利委員会(CRC)を設置することにしている。

 同条第二項により、「委員会は、徳望が高く、かつ、この条約が対象とする分野において能力を認められた一八人の専門家で構成する。委員会の委員は、締約国の国民の中から締約国により選出されるものとし、個人の資格で職務を遂行する。その選出に当たっては、衡平な地理的配分及び主要な法体系を考慮に入れる」とされている。当初は委員数は一〇人であったが、二〇〇二年から一八人である。

委員会は、締約国の報告書を審査する。条約第四四条第一項は、「締約国は、(a)当該締約国についてこの条約が効力を生ずる時から二年以内に、(b)その後は五年ごとに、この条約において認められる権利の実現のためにとった措置及びこれらの権利の享受についてもたらされた進歩に関する報告を国際連合事務総長を通じて委員会に提出することを約束する」としている。同条第二項は、「この条の規定により行われる報告には、この条約に基づく義務の履行の程度に影響を及ぼす要因及び障害が存在する場合には、これらの要因及び障害を記載する。当該報告には、また、委員会が当該国における条約の実施について包括的に理解するために十分な情報を含める」としている。

そして、条約第四五条により、「委員会は、前条及びこの条の規定により得た情報に基づく提案及び一般的な性格を有する勧告を行うことができる。これらの提案及び一般的な性格を有する勧告は、関係締約国に送付し、締約国から意見がある場合にはその意見とともに国際連合総会に報告する」とされている。

委員会は、条約を締結した諸国から報告書を受理して審査を行なう。第一に、締約国による報告書の作成・提出である。続いて、委員会は、報告書および関連資料を委員に配布する。第三に、委員会会期前に作業部会を開催して、事前に質問事項を整理する。第四に、締約国の政府代表を迎えて審査が行なわれる。本審査ということになる。審査では、当該政府代表団が自己紹介の後、報告書のプレゼンテーションを行なう。続いて、委員による質問と政府による回答がなされ、国別報告者による予備的所見が示される。第五に、委員会の総括所見(最終所見)を公表する。これに勧告が含まれる。

日本政府は、条約を一九九四年に批准した。日本政府報告書の審査は、一九九八年に第一回審査、二〇〇四年に第二回審査が行なわれ、今回は第三回であった。

なお、子どもの権利条約には、「子どもの売買、子どもの売春および子どもポルノグラフィーに関する選択議定書」、および「武力紛争への子どもの関与に関する選択議定書」がある。日本政府はこれらにも加入しているので、今回の審査では選択議定書に関する報告と審査も行なわれた。



五 委員会勧告



 子どもの権利委員会による日本政府第三回報告書の審査結果としての総括所見に含まれた勧告は非常に多く、充実した内容である。一部の項目だけ列挙しておく。

・  前回二〇〇四年になされた勧告の多くが実施されず、まったく対応されていないことは遺憾である。

・  日本政府が条約第三七条(c)に関する留保を撤回するよう勧告する。

・  子どもの権利に関する包括的立法を検討するよう勧告する。

・  子どものための国家行動計画を策定するよう勧告する。

・  次回報告で国家人権委員会および子どもオンブズパーソンについての報告をするよう勧告する。

・  子どもの権利のためのプログラムについて市民社会との連携を強化すること。

・  民族的マイノリティの子ども、移住労働者の子ども、障害を持った子どもなどへの社会的差別に対処すること。

・  在留資格を有しない者が子どもの出生届すらできない状況を改善すること。

・  学校における体罰がなくなっていないことを懸念する。

・  子どもに対する暴力に関する国連研究のフォローアップを行なうこと。

・  児童虐待やネグレクトに対処し、子どもを保護すること。

・  障害をもつ子どもの諸権利を保障すること。

・  子どもの教育における過度の競争(受験競争)について遺憾に思う。

・  朝鮮学校等への補助金が不十分である。大学受験資格差別があることを懸念する。

・  外国人学校への補助金を増額するよう勧告する。

・  ユネスコ教育差別禁止条約を批准するよう勧告する。

・  歴史教科書記述が偏っているため子どもの相互理解が増進されていない。

・  検定教科書におけるアジア太平洋地域の歴史に関するバランスのとれた見方を提示するよう勧告する。

・  保護者のいない難民子どもを保護すること。

・  人身取り引きへの効果的監視を行なうこと。

・  子どもの性的搾取の増加を懸念し、対策をとるよう勧告する。

・  アイヌ、朝鮮人、部落その他のマイノリティの子どもが社会的に周縁化されていることを懸念する。

・  勧告を日本の市民社会や子どもが入手できるようにすること。

・  二〇一六年五月二一日までに次回報告書を提出すること。