Tuesday, January 03, 2023

地べたからの平和の哲学宣言

安積遊歩『このからだが平和をつくる――ケアから始まる変革』(大月書店)

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b615434.html

<生命に優劣をつける優生思想も、戦争も根は同じ。「争えない体」を持つ私たちが生きること、それ自体が平和への歩み――。障害当事者として、女性として、親として、果敢に街に出、発言してきた著者が語る車椅子からの平和論。>

目次

はじめに――「障害」という字と平和

1章 重度訪問介護で平和をつくる

1 介助とは何か

2 介助が制度になるまで

3 介助と子ども

2章 人類は生き延びられるか

1 全ての命が生き延びるために

2 差別とは何か

3章 このからだが平和をつくる

1 健常と障害

2 脱施設化に向けて

3 いのちに対する暴力に抗う

おわりに

安積は次のように始める。

「この本は、重い障害を持つ人と、まわりの人々との関係性のうちに平和を創ろうとする人々の力を結集してつくられた。そしてまた、これを読んでくれているあなたへの、日々の暮らしのなかに平和を具体化するためのシステム、重度訪問介護という仕事への招待状でもある。平和への具体的な一歩を、ここから踏み出してほしいと心から願っている。」

優生思想は克服された思想のはずだった。

だが、克服どころか、優生思想はこの国と社会の基軸にしっかりと根付いたままである。優生思想は至る所で人々を分類し、格付けし、序列化し、切り刻み、服従させ、競争に追い込み、他者への蔑視を醸成している。この国と社会の制度を基本から支える思想につねに入り込み、私たちの意識をむしばんでいる。悪意の優生思想ではなく、むしろ「善意の(つもりの)優生思想」が私たちを縛り付けている。優生思想から自由になれない私たち。

思想とか哲学とか、上段に振りかぶって優生思想を分析し、解剖し、批判し尽くしたつもりになっても、それで優生思想から自由になれた訳ではない。思想を徹底分析することで解体するなどと言うのは無責任な知識人の思い込みに過ぎない。思想はもっと根深い。<大文字の哲学>はつねに優生思想に浸潤されるリスクを抱えているのに、そのことに気づこうとしない。

安積は、地べたから、床に寝そべりながら、車いすに座りながら、小さな、微細な、ささやかな言葉や、人間関係や、社会の仕組みの中から、私たちを拘束している優生思想を拾い上げ、点検し、自分で考えるためのレッスンを提案する。安積の地べたからの哲学は、哲学書の中に住所を持たない。歴史の中の哲学者たちの思索や書物とは交差することさえないかもしれない。

安積の視線は目の前の顔、表情、姿勢、動作に向けられるが、その射程は遥か彼方まで及んでいる。

安積の言葉は掌の上でゆっくりと紡ぎだされ、シャボン玉のようにふわりと浮かびながら、囁くように語りかける。

だが、安積の言葉は、時に鋭く、激しく、聞き手を震撼させ、読み手に脅威となることさえ、ある。かつての著書『車イスからの宣戦布告』において全世界を敵にまわして闘いぬいた安積である。

「優生思想は、私たちの存在を消すこと、隠すことを絶対的に是としてくる。その最初の犠牲者であり加害者が親だ。子どもが障害を持つ持たないにかかわらず、この優生思想にどっぷりと浸かった社会に生きているすべての親たち。だから出生前検査を勧められれば、無知と恐怖に混乱させられる。そしてそれを受け入れ、陽性と出た場合は100%に近い人が中絶するともいう。」

優生思想は克服されるどころか、私たちの常識の中に盤踞している基本思想なのだ。「その最初の犠牲者であり加害者が親だ。」――この短い言葉の中に言いしれぬ絶望と悲嘆が響いている。

だが、安積は絶望しているわけではない。他者を絶望させようとしているわけでもない。安積は、落胆に落胆を重ねた地点から、希望の言葉を紡ぎだそうとする。

2022年のロシア・ウクライナ戦争によって、平和意識が大きく揺らいだ。これまで日本国憲法第9条を根拠に「戦争反対、平和が一番」と唱えていた日本の平和運動は今や無惨な崩壊状態である。

「ロシアの侵略に反対し、ウクライナの自衛戦争を支援しよう。ウクライナに武器を送れ」と軍事協力を叫ぶ「自称平和主義者」。

「ロシアだけに戦争停止を求めるべきでだ。ウクライナにも戦争停止を求めるのは、ロシアの味方だ」と、「敵/味方論」を押し出し、「絶対平和主義」や「非武装平和主義」を「敵」として排除しようとする「自称平和主義者」。

これでは安倍の「積極的平和主義」と区別がつかなくなる。今や「平和」の名のもとに「軍備増強、大軍拡、敵基地攻撃」を唱える「平和主義者」が登場する。

<大状況>の「国際関係論」や、「国家間の政治」だけにリアリティを見る「偽リアリズム政治学」は、ひたすら軍拡を唱え、軍縮論者を「敵の味方」と決めつけて排除する。

ここでは、「世界の平和」は拒否され、「私たちの平和」だけが求められる。

「私たちの平和」のために「彼らには戦争と破滅」が必然となる。「敵の殲滅こそ平和」という論理が貫徹する。ミリタリズムとナショナリズムと戦争の論理はまさに優生思想の具体化である。

安積は戦争をやめ、平和を創るための思想の出発点を探る。

「自由、これは平和に生きようとするときにかけがえのないものだ。たとえ地球上から軍備や武器がなくなって、すべてが話し合いで解決するような状況になったとしても、このお互いの自由への理解と尊重がなければ、障害を持つ人にとっての本当の平和は来ない。傷害を持つ人の福祉を考えるときに、この平和と自由という視点が、時にすっぽりと抜け落ちている。」

「私たちは戦争をやめ、平和をつくるために、この重度訪問介護というシステムをつくりだした。そしてさらに、たくさんの人々が重度訪問介護に喜んで集ってくれることで、この世界に真の平和を必ずやもたらすことができるのだ。優生思想は戦争のなかで強烈に実践されるが、それとは真逆のところにケアがある。それを言語化し、優生思想を抹消する思想を、さらに紡ぎだしていこう。」

見守りとケアを出発点に据えることによって、政治・経済・社会のあり様を問い返す知的営みが課題となる。

安積は、ロシアによるウクライナ戦争に反対する。ただ、その論拠には、優生思想の拒否が含まれる。近代社会の合理主義、西欧中心主義と白人崇拝意識が含まれる。だから、安積は次のように語る。

「プーチンとトランプとゼレンスキー、そしてバイデン。白人の男たちの権力欲と強欲にまみれた政治。そして、その彼らの暴力性に、完全にとすら言いたくなるような取り込まれ方をしている日本政府のありよう。ここで生き延びるためには、銃を持てない身体の平和を自覚し、『争うな、戦うな』と主張し続けていくしかない。ウクライナの男性たちがみな銃で抵抗できない体であったなら、プーチンはウクライナを占領しても、おびただしい殺戮には至らなかったかもしれない。」

「私たちは私たちの身体ゆえに、非暴力無抵抗の平和主義者である。それを自覚し、日々のなかでも『争わず、戦わず』の生き方を主張し続けていこう。」

「生きるために殺す」と唱える「偽平和主義」に抗して、「生きるために殺さない」と唱える平和主義の過激さと切実さを、この社会はどれだけ理解するだろうか。

戦わないことを選択する安積は、戦争になれば「非国民」として排除され、殺される側に回される。このことを自覚するがゆえに、戦わない平和主義の原理的必然性を唱える。

非暴力非武装無防備の平和主義――私が長年主張してきた思想を、安積は原理的に提示する。

空飛ぶドローンの戦争論ではなく、地べたからの平和の哲学である。

安積遊歩(アサカ ユウホ)

1956年福島県福島市生まれ。生れつき骨が弱い特徴を持つ。22歳で親元から自立。1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介。1996年に40歳で娘を出産。優生思想の撤廃や、子育て、障害を持つ人の自立生活運動など、様々な分野で当事者として発言を続ける。著書に『癒しのセクシー・トリップ』『車イスからの宣戦布告』『いのちに贈る超自立論』共著に『障害のある私たちの地域で出産、地域で子育て』他。