Thursday, January 19, 2023

差別研究はどこまで来たか02

山本崇記『差別研究の現代的展開』(日本評論社、2022年)

差別論を社会運動との関連・交差・協働において再構築しようとする山本は「第3章複合差別に抗う別様な共同性――社会運動の再定位を通じて」において、あらためて「1968年」論の限界を測定する。「1968年」論は「切断の思想」であり、「マイノリティを見出していく」という日本人の主体性を大前提としており、しかも単一史観に立っているという。

だが、1968年当時においても、例えば自主映画『東九条』のように、被差別部落の若者たちと在日朝鮮人の若者たちの出会い・協働が実現した事例がある。山本は映画『東九条』の事例を詳細に紹介・分析して、「別様な共同性」を模索する手掛かりとする。「過去の社会運動のノスタルジアな語りを排すのであれば、研究者には、モノグラフの作成と再帰的コミュニケーションを喚起するための適切且つ実践的なコミットメント=<総括>の場の創出が必要となるのではないか」と自らに問いかける。

「第4章 差別者と被差別者の関係性と対話史」において、山本は「複合差別」と「当事者性」の問題圏に向き合う。上野千鶴子の先駆的な「複合差別」研究を踏まえつつ、「複合差別」論のさらなる深化をめざす。具体的には「同和はこわい考」をめぐる論争、及び「戦後責任」論争を俎上に載せて、「差別/被差別関係の論争史」を読み解く作業である。

「同和はこわい考」が部落解放運動に提起した問題を再整理した山本は、その後の議論において、「差別/被差別関係をめぐる部落問題における葛藤や緊張を経験しながら論を進めてきた時代」が過去のものとされ、「悪しき相対主義と無自覚な本質主義、その隙間を縫う新手の部落差別が出来している」と言う。差別に向き合い「両側から超える」という物言いがなされるが、誰が、いかにして「両側から超える」のか。「<現実>にある関係性を括弧に入れた」議論であってはならない。

1990年代には高橋哲哉と加藤典洋の「戦後責任」論争が展開されたが、そこに加わった論者のうち徐京植と花崎皋平の間で交わされた批判と反批判は、花崎自身による奇妙な文章の大幅書き直しとすれ違いの結果、生産的な論争に発展することがなかった。山本はその経緯を点検し、一定の地平が共有されていたにもかかわらず、対話が成立しなかった経緯を探る。

「『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論では、ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがちであり、一部の研究者やアクティビストによる論争としてしか展開しないある種の『思弁性』を生んできたきらいがある。そのような非実践的且つ倫理的な態度に終始しない批判的対話関係の具体化とその先の実践が必要である。」

「第5章 差別論の比較社会学――各領域の特徴と課題」で、山本は、歴史学、民俗学、人類学、心理学、哲学における差別論に学びながら、社会学の課題を再確認する。

「第6章 コロナ禍における差別論――社会学的アプローチの更新の契機として」では、コロナ禍における「差別の平等な分配」論を素材に、偏見と差別の違いを論じ、差別する「私」への問いを繰り返す。

「第1に、誰もが差別し/差別され得るという視点からの『利己主義』的啓発論は脆弱なものであり、マジョリティ性(構造的非対称性)が不問のままとなる陥穽点を持っている。第2に、差別には前景と後景があり、その前後の過程のなかで悪性化していく。それが、私たちの存在論的認知構造/関係形成の在り方に起因していることに自覚的であること。そして、第3に、差別する『』の心の感染状況を可視化/言語化していくことを恐れず、開示していくコミュニケーションを図っていく必要があること。前述のグッドマンらによる『社会的公正教育』の視点からは、『抵抗』と『再定義』の間での葛藤を続けつつ、自己を変容させる『内面化』に向けた実践が求められているということであろう。この点を第4に加えたい。」

1980年生まれの山本が、現時点で、『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論を検証しながら、次の課題を導き出す意欲的な試みを行っている。それぞれの論争当事者からは異論が提出されるかもしれない。私も当時、2つの論争を同時代の論争として受け止め、私なりに考えを深めようとしていたことを思い起こす。

その点では、徐京植と花崎皋平の論争のすれ違いを論じた結論として、次のようにまとめられていることには、私は違和感を感じている。

「『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論では、ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがちであり、一部の研究者やアクティビストによる論争としてしか展開しないある種の『思弁性』を生んできたきらいがある。そのような非実践的且つ倫理的な態度に終始しない批判的対話関係の具体化とその先の実践が必要である。」

「ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがち」というのは、なぜなのだろうか。「思弁性」や「非実践的且つ倫理的な態度」という表現も、気になる。

というのも、徐京植は「倫理主義的な態度・姿勢」を求めた訳ではない。徐の議論が「思弁性」や「非実践的且つ倫理的な態度」ということもないと思う。むしろ、もっとも実践的だと思う。

花崎皋平は哲学者だが、ベトナム反戦以来、長きにわたってもっともすぐれた実践的思想家として知られる。

もっとも、山本は、徐や花崎のことを上記のように表現したのではなく、徐・花崎論争がかみ合わなかった結果、社会学者の受け止めが「倫理主義的な態度・姿勢」「思弁性」「非実践的且つ倫理的な態度」に流れる傾向があったと言いたかったのかもしれない。