Monday, August 06, 2012

抵抗における暴力と非暴力


法の廃墟(10)



『無罪!』2007年2月号



アイルランド独立戦争


 映画『麦の穂をゆらす風』は、独立戦争から内戦にいたる一九二〇年代のアイルランドを舞台に描いた二〇〇六年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作である(以下のデータはカタログ『麦の穂をゆらす風』発行シネカノン、による)。

 映画前半の主題は、イギリス(大英帝国)による植民地支配に抵抗し、自由と独立を求めるアイルランドの戦いである。侵略と抵抗の一断面を、ダブリンやベルファストではなく、アイルランド南部の小さな町コークを舞台に描いている。

 ロンドンの病院に就職が決まっていたデミアンだったが、兄テディが指揮する地元の独立闘争に加わり、戦うことになる。悲惨な戦いが続き、敵も味方も命を失う。密告者を処刑しなければならない。村人は彼らの戦いを助け、シネードたち女性も闘争に加わり、戦いを支えた。デミアンは、独立闘士で列車運転士のダンに出会う。ダンは、この戦いがアイルランドの貧しい人々を救うためのものであるべきだと力説する。

 独立軍は各地でゲリラ戦を展開し、イギリス軍を苦しめた。ついにイギリスは停戦を申し入れ、戦いは終結する。ようやく自由と平和を手にする時が来たと人々は喜ぶ。アイルランドの音楽とダンスで、村の人々が自由を祝う。

 ところが「独立」の喜びはつかの間だった。一九二一年一二月、イギリスとアイルランドは講和条約を結んだ。内容はアイルランドを本当に自由にするものではなかった。「アイルランド自由国」が認められたが、大英連邦の自治領としてだった。イギリス国王が総督として権限を持ち、しかも北の六郡はイギリス領となり、アイルランドは分断されてしまう。

 今度は、講和条約の内容をめぐってアイルランド人同士が対立し、やがて内戦に突入する。ともに戦ってきたデミアンとテディの兄弟は、独立軍と自由国軍とに分かれて敵対することになる。

 激動のアイルランドを素材に、ケン・ローチ監督が描いたのは歴史的英雄ではなく、名もなき市民の物語だった。『ケス』『SWEET SIXTEEN』などで少年たちを、『レイニング・ストーンズ』『マイ・ネーム・イズ・ジョー』などで社会の底辺に生きる人々を、そして『大地と自由』や『カルラの歌』で自由のために闘う人々を描き、過酷な現実を前に希望を模索する人々を提示してきたイギリス映画界の巨匠ケン・ローチならではの傑作である。

 二〇〇六年五月、カンヌ映画祭では、客席はローチ監督への尊敬と熱い感動の涙に包まれ、スタンディング・オベーションは一〇分以上もつづいた。審査員全員一致で最高賞に選ばれた。

 イギリスでは論争が起きた。今なお「北アイルランド問題」を抱えるイギリスにとって、ケン・ローチ監督が、イギリス支配時代のアイルランドを描くことが何を意味するのか。『タイムズ』や『デイリー・メール』紙は「これは反イギリス映画だ」「ローチはなぜ自分の国を嫌うのか?」と批判した。『ガーディアン』紙はローチの「(批判と戦う)準備はできている」という言葉を掲げて擁護にまわった。論争はアイルランドやオーストラリアにも飛び火した。



侵略・抵抗/暴力・非暴力



 ところが、日本では論争は起きなかった。「すぐれた反戦映画である」とか「戦争の本質を描ききった」として単純に賞賛する映画評が少なくなかった。しかし、これでは肝心のことが見えなくなってしまう。

 前半の主題は「反戦」ではなく、他民族による植民地支配に対する抵抗闘争である。後半の主題は内戦の悲劇である。これを「反戦」一般に抽象化してはならない。何が問題か。

 第一に、ケン・ローチ監督自身が繰り返している。「この映画は英国とアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める、世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時に、その後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」と。カンヌ映画祭では「私は、この映画が、英国がその帝国主義的な過去から歩み出す、小さな一歩になってくれることを願う。過去について真実を語れたならば、私たちは現実についても真実を語ることができる。英国が今、力づくで違法に、その占領軍をどこに派遣しているか、皆さんに説明するまでもないでしょう」と語った。

 監督がこれほど明確に反植民地主義と反帝国主義の思想を語っているのに、日本の映画評は「すぐれた反戦映画」などと抽象的に述べる。占領や植民地ではなく、戦争一般を語ることによって加害と被害の区別を消してしまう。悪質な映画評と言ったほうが正しい。

 第二に、映画のタイトルは、独立戦争に身を投じる青年の悲劇を歌ったアイルランドの伝統歌「麦の穂をゆらす風」から取られている。
「二人の絆を断ち切るつらい言葉は、なかなか口にできなかった/しかし外国の鎖に縛られることは、もっとつらい屈辱」。

 歌は早くも冒頭シーンに登場する。ハーリングのゲームの後、デミアンは別れの挨拶のためぺギー一家を訪れた。両親を早くに亡くしたデミアンにとって家族のような存在だった。ところが、そこへイギリスの治安警察隊「ブラック・アンド・タンズ」があらわれ、侮辱的な尋問を始める。ぺギーの孫で一七歳のミホールは「マイケル」という英語名を使おうとせず、アイルランド名を言ったばかりに、ブラック・アンド・タンズによって殺されてしまう。葬儀の時に、女性がミホールの死を悼んで「麦の穂をゆらす風」を歌う。

 植民地帝国の英語を拒否して自国語を使ったために殺される若者――一九二〇年の「麦の穂をゆらす風」は「アリラン」なのだ。このことを指摘しない映画評が多いことには驚くしかない。

 第三に、英蘭条約成立後、アイルランドは悲惨な内戦に突入した。ここでは内戦の悲劇を描くとともに、アイルランドの自由と独立を目指して闘ったはずの若者たちが敵対しあってしまうのはなぜか。独立闘争が勝利した瞬間に挫折に転じるのはなぜかを問う。

 それゆえ全編の主題は「抵抗における暴力と非暴力」となる。焦点は、物理的暴力による抵抗が精神の暴力を生み出してしまうメカニズムである。兄テディによって処刑されることになる主人公デミアンの「遺書」の最後のセリフ「ぼくは何のために戦ってきたのかわかった」の意味を理解できるかどうかは、映画の主題を理解できたかどうかによって決まる。

 本作品を「反戦映画」と抽象化する見方では、このセリフの意味はまったく理解できない。前半のアイルランド独立闘争と後半のアイルランド内戦を一緒くたにして、無内容な「反戦映画」を語ろうとするからだ。



総合知としての芸術の可能性


グランサコネ通信120806

Grand-Saconnex News. 120805



4日はジュネーヴ祭のオープニングで、レマン湖畔、モンブラン橋、イギリス公園はお祭りのさなか。観覧車、メリーゴーランド、空中ブランコなどにまじって、環境保護団体やアーティストの作品も。小さいのは、空き缶やペットボトルを利用した水車や楽器。大きいのは、ペットボトル素材を再利用してつくった大きなビンの形で、中に入ると、水の流れと音楽。



夜はジュネーヴ花火。本格的花火は祭りの最終日にあるが、4日はオープニングの花火。先週、7月28日は八王子祭りの花火大会を、JR八王子駅のペデストリアン・デッキから見た。4日は、モンブラン橋のたもとで、つまりすぐそばで花火を満喫。



5日は遊覧船でローザンヌへ。コペ、ニヨン、イヴワール、モルジェ・・・ローザンヌのウシから地下鉄でフロンへいき、大聖堂を歩く。



❉港千尋『芸術回帰論』(平凡社新書、2012年)



学問分野の文系、理系の行きづまりを前に、美術、「美系」という第三の系を設定し、文系、理系を総合した芸術の可能性を探る。人間知の特殊性、特化性を越えて、総合知を模索する場合、科学や技術とは別に、ひらめき、創造が不可欠なことは言うまでもない。近代資本主義のもと生産と消費に分断された生活様式と意識を、いかにして総合知に引き寄せることができるか。写真、広告、貨幣、建築、絵画、ビデオ、インターネット、色彩、光、文字、あらゆる領域を横断しながら、つくることへの回帰を説く。古典古代の芸術から、最新科学による表現の展開まで、つくること=アートの先端に立つと、人類史が違った相貌を見せてくれる。著者は写真家、多摩美術大学教授。

Saturday, August 04, 2012

国境を下から越える思想を

法の廃墟(9)



『無罪!』2006年12月号





出会いの場所・検問所



 二〇〇六年一一月、下北沢のザ・スズナリで上演された坂手洋二+燐光群の『チェックポイント黒点島』は、国境の検問所をめぐる物語である。かつて東西ベルリンの壁につくられたチェックポイント・チャーリーを舞台に、三つの物語が交錯し、反響しあう。

 一つは、まんが家ヒロコと弟クニオ、そして母親の日常と非日常の物語。革命家クニオは日本を離れドイツで地下工作をつづけ、苦境の際に姉に助けを求める。「チェックポイント・チャーリーで待つ」。一日遅れでチェックポイント・チャーリーにたどり着いたため、弟と会えなかった姉は、後に自宅にチャーリーのレプリカを建てる。

 二つ目は、ヒロコが描いた未完の傑作マンガ『チェックポイント黒点島』である。太陽黒点の観測を行なっていた天文学者夫婦は、突然の海底隆起によって東シナ海の中央に生まれた新島を黒点島と名づけて、チェックポイント・チャーリーと酷似した検問所を建てる。新領土の浮上に色めき立つ日本や周辺諸国のスパイ合戦が始まる。

三つ目は、住宅街に設置されたチャーリーそっくりの検問所と周辺住民の物語である。マンガ『チェックポイント黒点島』の読者である主婦のヒロコは、いつの間にかマンガの中のヒロコになりきる。主婦ヒロコはなぜ自宅に帰らないのか。平和な住宅地で年末に起きた殺人事件の謎は・・・。

 三つの物語が交錯し、絡み合いながら進行するが、途中で二〇〇六年春の法政大学事件も登場する。構内の看板撤去をめぐる不当逮捕事件、不当退学事件、そして正門で学生証を見せないと入校させない「検問所」。法政大学は笑えないパロディを現実世界で演じてしまった。他方、マンガ家のヒロコは九州の対馬にあるという「カフェ・チェックポイント・チャーリー」を訪れたりもする。

正しいチェックポイントのあり方とは何であるのか。ベルリンのチェックポイント・チャーリーは、東西ベルリンを分画し、人々を隔てたが、同時にそこを通過する人々が出会う場所でもあった。マンガ家ヒロコのチェックポイント・チャーリーにも仲間や母親が集まり、そして弟クニオが帰ってくる。チェックポイント・チャーリーを通過できない主婦ヒロコは、向こうへの眼差しを持ちながら、恐怖の予感に立ち尽くす。黒点島チェックッポイントに集まる各国政府のエージェントたちも、東シナ海における出会いを演じることになる。

『チェックポイント黒点島』は、時代の最先端を鋭利に切り取り、折り曲げ、重ね合わせ、仮想現実の世界を構築してきた坂手洋二+燐光群の本領発揮の作品である。『ブレスレス』(一九九一年)から『だるまさんがころんだ』(二〇〇四年)へと辿ってきた燐光群の世界は、いつものことながら考えさせられ、悩まされ、楽しめる。ゲスト出演の竹下景子と渡辺美佐子と、燐光群スタッフとの出会いも素敵だ。しかも、日本の領土問題、国境問題を通じて、世界のあり方に思いをめぐらし、そして何より「国境を越える」思想へのチャレンジに立ち会うことができる。



国境を越えるために



 国境をめぐる物語は、国境とは何か、領土とは、国家とは、国民とは何かを問い返すことになる。

地図上に描かれた国境線は人々の意識を捻じ曲げて固定させる。あたかもそこに何らかの実在が存して、国境を隔てているかのごとく。あたかも太古の昔から国境が引かれていたかのごとく。あたかも国境は越えられないかのごとく。

しかし、国境なるものが近代の国民国家によって考案された新案特許に過ぎないことは言うまでもない。古代や中世においては、国家や都市の中心部は確定していても、外延の国境は不可視であり、無規定ですらあった。「人外魔境」は国家の関心の外であっただろう。世界史に時として登場した帝国も、猛烈な膨張と収縮を繰り返したので、安定した国境とはなじみにくい。

ところが、大航海時代の世界の急激な拡大と、資本主義のグローバリゼーション、つまり植民地主義の世界支配、帝国主義による世界分割によって、地上のあらゆる土地が国家の領土として区分されていった。国民国家の形成は、国境による世界分割と同時進行で進められた。

近代法は、国家を主権、領土、国民によって定義してきた。国際法は領土の帰属をめぐる原則を構築してきた。芹田健太郎『日本の領土』(中央公論新社、二〇〇二年)は、北方領土、尖閣諸島、竹島の領土帰属をめぐる国際法を丁寧に検討している。明石康他『日本の領土問題』(自由国民社、二〇〇二年)も、世界の中の日本という視点を盛り込みつつ、特に北方領土問題について詳細な検討を行なっている。

こうして国境の国際法は鮮やかにも、と言うよりも、あざとくも見事に国家イデオロギーの浸透を完成させる。第三の道は予め否定されているからだ。

日本国憲法には領土の規定がない。このことを国際法学者は、カイロ宣言(一九四三年)およびポツダム宣言(一九四五年)で、本州・北海道・九州・四国および諸小島に決まっていたからだと説明する。なるほどカイロ宣言とポツダム宣言にはそう明示されている。もっともな説明に見える。しかし、実は大日本帝国憲法(一八九〇年)にも領土の規定がなかった。大日本帝国にとって、国境とは伸縮自在な、恣意的に変更可能な当座の線でしかなかった。国境の本質を表現しているのではないだろうか。北方領土、尖閣諸島、竹島問題を見れば明らかなように、日本はいまだに国境が不明確な国家である。国境を画定することが本当に外交の目的となったことがあるのかすら疑わしい。国際法学者の説明よりも、国境を画定しないことこそ国家戦略だったとでも説明した方が説得的である。日本は一度も国境を画定したことのない国家なのだ。

国境の不確実性と恣意性は、国境の越え方にも示唆を与える。国民国家論が盛況な時期に「国境を越える」といった物言いが流行ったが、日本政府発行のパスポートを握り締めて入管を通過しても「国境を越えた」ことにはならないだろう。

国境を越えるためには、国家や国民というイデオロギーそのものを思想的に越えなければならない。近未来物語の黒点島が東シナ海の現実を下から乗り越えようとしたように、国境を下から越える思想を紡ぎだしていくことが求められている。それは国民国家の只中で「非国民」として生きることを自らに課す思想闘争の彼方にはじめて立ち現れる課題であろう。

Friday, August 03, 2012

ライフスタイルを刷新する思考

グランサコネ通信120803

Grand-Sacconex News. 3 Aug 2012



❉坂口恭平『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書、2012年)



著者が本当に独立国家をつくったわけではない。独立国家のつくりかたが書いてあるわけでもない。



しかし、「独立国家のつくりかた」というタイトルを付しているのは、民主主義を破壊し、国民の命と暮らしを無視し、物質のみ「豊かな」社会を目指し続ける現在の日本政府に対する異議申し立てと同時に、そうした異常な国家のもとで不平たらたら言いながらも変革をあきらめ、展望を抱けずにいる人々に対して、違った思考がありうること、違ったライフスタイルがありうることを、具体的に示しているからである。天下国家の大きな話を、一人ひとりの市民が実践的に何をなしうるのかというレベルで編みかえながら、次のステップを目指す形で説いている。



著者は、建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手と称しているが、「家を建てない建築家」であり、建築批判に精を出す建築家である。これまでに『0円ハウス』『TOKYO0円ハウス』『隅田川のエジソン』などの著作がある。34歳と若いが、新政府の内閣総理大臣でもある。



「ゼロから生活のことを、住まいのことを、己の人生のことを考える。それこそが僕が考える『芸術』だ、そんな具体的なことを考えること、『量』を知ろうと自らの体験でもって試みること。そこに『技術』が生まれる。生まれた『技術』はお金を稼ぐためのものじゃない。まわりの人間たちに伝えたい『贈与』となる。」



本書は結構話題になっていたようなので、どうしようかと思いつつも、実際に独立国家をつくったわけではないから、わざわざ購入することもないかと思いながら開いたページに次の1行があり、う~むと唸って購入した。文脈を抜きに1行引用。



「もっと物事を単純に考える癖を身につけよう。そうしないと社会の複雑さには対応できない。」



34歳でこういう文章を書くのはいったいどのような人間なのか、と思って購入したが、面白い本だ。確かに、考えるためのヒントがいっぱい詰まっている。



でも、「0円ハウス」の著者なのに、本書は本体760円(税別)。これはどういうことだ(笑)。

Thursday, August 02, 2012

水戸事件の闘いに学ぶ


法の廃墟(8)



『無罪!』2006年11月号





差別と虐待



 二〇〇四年三月三一日、水戸地方裁判所は、水戸事件被害者が提訴した民事訴訟において、被告・赤須正夫による性的虐待の事実を全面的に認め、赤須正夫に対し一五〇〇万円の賠償を命じた。同年七月二一日、東京高裁も原告らの主張を全面的に認めて、赤須の控訴を棄却した。これによって、一九九六年の提訴から八年におよぶ闘いが勝利をかちとって、いったん終結した。

 水戸事件のたたかいを支える会編『絶対、許さねえってば』(現代書館、二〇〇六年)は、ダンボール加工会社である水戸パッケージ(旧「アカス紙器」)における障害者差別と虐待に対して、障害者が人として生きるために尊厳をかけて闘った裁判の記録である。

 一九九六年一月、赤須正夫社長は、「知的障害」を持つ従業員への雇用助成金を騙し取ったことが発覚して逮捕された。実はそれ以前に赤須から太腿を蹴られ被害を受けた女性従業員が告訴していた。逮捕がきっかけとなり、当時「アカス紙器」で働いていた二十数名の「知的障害」を持つ従業員に対して、殴る・蹴るの暴行や性的虐待が日常的に行われていたことが判明した。素手で殴る・蹴るといった生易しいものではなく、金属棒、角材、野球のバット、木の椅子等々を用いた殴打であり、傷害である。

 さらに、両膝の裏にジュース缶や角材を挟んで正座させ、膝の上に漬物石を乗せて長時間座らせておく。未成年の従業員に手錠をかけて階段の手すりに括りつけ長時間放置しておく。また、食事を抜く虐待も行われていた。数日間食べさせてもらえなかった従業員もいた。空腹の従業員にタバスコをかけたご飯を食べさせたり、満腹感を感じることのできない「障害」をもった従業員に腐りかけたバナナを大量に食べさせ「こいつらはバカだから何でも食べる」と言って笑う。「こいつらは国が認めたバカだ」などと差別的な言葉による暴力、恐怖支配のもとで、「知的障害者」である従業員の人間の尊厳を根底から否定する虐待を続けていた。

 それどころか、赤須正夫は、寮で暮らしていたのべ一〇人もの女性従業員に対して性的虐待(強制わいせつ、レイプ)も行っていた。中学校を卒業して就職したばかりの頃にレイプされた女性もいる。性的虐待は、繰り返し頻繁に行われていた。被害者は、障害者への差別と偏見をはねのけ、性暴力被害を語ることの困難をも乗り越えて、被害を告発し、赤須の責任追及を始めた。



責任の所在

 被害者と家族は、性暴力を含む虐待の事実を水戸警察署と水戸地検に告訴・告発した。その数は一四名・二十数件にも及んだ。それでも被害事実のすべてを訴えることはできなかった。

 しかし、「知的障害者」では事件にならないという警察・検察の差別的な捜査のため、雇用助成金詐取(詐欺罪)と暴行二件・傷害一件しか起訴されなかった。性暴力を含む数々の虐待事件は、時効や嫌疑不十分とされ不起訴になった。「知的障害者」の供述は「日時の特定などが曖昧である」「細部にわたる供述ができない」ことなどが嫌疑不十分の理由だった。はじめから消極的だった水戸警察や水戸地検は、本来自分たちが行うべき証拠集めまでも被害者の家族や支援者に行わせておきながら、被害者の尊厳をかけた心の叫びを黙殺した。

 公判審理されることになった三件の虐待事件でさえ矮小化されて起訴された案件であったために、赤須に実刑判決が下されるかどうかは微妙であった。 被害者が望んでいたことは、従業員を人間扱いせず、毎日毎日暴行を行い、散々嘘をついてきた赤須本人が服役することであった。メディアもその点に注目し、赤須の人間性とともに警察・検察の差別的捜査や行政の不作為を報道した。

 しかし、一九九七年三月二八日、水戸地方裁判所は、私利私欲のために悪事をはたらいた赤須正夫に対して、「障害者雇用に熱心に取り組んだ」などと「情状理由」を捏造して執行猶予付判決を言い渡した。不当判決に抗議した支援者が弾圧され、裁判闘争を余儀なくされた。水戸地裁は、本体の障害者差別問題を隠蔽し、暴行・監禁事件として支援者に有罪を言い渡した(後に最高裁で確定)。

 被害者・家族・支援者・弁護団は、一九九六年、懸命の努力の末についに赤須による性的虐待を告発する民事訴訟を提訴した。

支える会編『絶対、許さねえってば』は、水戸事件の全貌を報告しているが、なかでも第六章「みんなであつまる会――『生きる場』への模索」は、それぞれの家庭、職場、地域で生きる人々が、生きる場を共有し、エンパワーメントしながら、裁判闘争を繋いでいった過程を知らせる重要な一章である。水戸事件そのものが、地域で生きることの困難さとの闘いであった。

第七章「証人尋問の開始」および第八章「原告・被告本人尋問」では、「知的障害者に対する尋問方法に関する意見書」に始まる法的闘いが報告される。裁判を闘うために「専門家」の力が必要になるが、「専門家」と「知的障害者」の間に生じる敷居をいかにして乗り越えるかが課題であった。定義、検査、分類、判定とは何なのか。司法における弁護士や裁判官が果たすべき役割は何なのか。互いに問いかけ、問い直し、語り合う中で、人間の尊厳の回復が始まる。水戸地裁での全面勝訴をうけた弁護団声明は「この裁判は障害者が人間として生きるために、絶対に勝たなければならない裁判」であったと位置づけている。

民事裁判には全面勝訴したが、赤須はいまだに謝罪しない。原告の一人は「裁判には勝ったけれども、赤須に謝ってもらっていない。私はちゃんと赤須に謝ってほしい」と語る。支える会は、水戸職安、茨城県障害福祉課など行政の責任追及を続け、被害者たちが地域で生きる体制をつくっていく活動を続けている。滋賀のサン・グループ事件、福島の白河育成園事件をはじめ同種事件は後を絶たない。最近では千葉の浦安市で小学校教員による「知的障害者」への強制わいせつ事件も起きている。同種事件は全国で多数起きているのに、再発予防の体制はつくられず、「障害者自立支援法」による責任逃れが図られている。自立を妨げる社会をそのまま放置して「自立支援」が語られる不条理との闘いが続く。

Wednesday, August 01, 2012

ドイツの脱原発の苦悩をえがく

グランサコネ通信120801

Gran-Sacconex News. 1 Aug. 2012



昨夜、ジュネーヴにやってきた。今年は勤務先の年間スケジュールが変更になって、7月30日まで授業だったため夏バテ状態。暑いのに、節電もあり、つい冷たい飲み物が増える。その繰り返しだった。



今朝のジュネーヴは24度、快晴で乾燥しているのでとても過ごしやすい、快適さ。



❉熊谷徹『脱原発を決めたドイツの挑戦――再生可能エネルギー大国への道』(角川SSC新書、2012年)



ルフトハンザ機内で読んだ1冊。3.11以後に脱原発を決めたドイル・メルケル政権の転換はいったい何だったのか。



それ以前から緑の党の主張によりドイツは脱原発に向かっていたが、財界の反対もあって揺れ動いていた。いったんは決めた脱原発が期限延期になったりしてきた。



しかし、3.11以後、メルケル政権が「転向」して、2022年までの脱原発を決定した。そのことは、日本にもよく知られているが、そこに至る経過をわかりやすく丁寧に書いている。3.11の衝撃の大きさは言うまでもないが、それとともに、EUにおる自由化の圧力も重要な要因だったという。



そして、脱原発だけではなく、脱化石燃料も含めた、環境問題、CO2問題など、より幅広いエネルギー問題の全体を見ることで、ドイツの動きがよくわかる。と同時に、太陽光発電が迎えている困難、風力発電への期待、全国的な送電網の緊急の必要性など、ドイツもさまざまな問題を抱えていることも具体的に示されている。



著者は元NHK勤務で、90年からミュンヘン在住のフリージャーナリスト、エネルギー・環境問題は得意分野のようだ。

ジェノサイドを描くということ


法の廃墟(7)

ジェノサイドを描くということ



『無罪!』2006年10月号







ルワンダの悲劇



 一九九四年のルワンダにおけるツチ虐殺における実話をもとにした映画『ホテル・ルワンダ』(二〇〇四年、南アフリカ=イギリス=イタリア)は、民族憎悪の異常なまでの激しさと、おびただしい死と硝煙、絶望的な状況における人間不信のさなかに起きた、救済と希望の物語を贈り届けてくれた。

 ルワンダ・ジェノサイドは被害総数が八〇万とも一〇〇万ともいわれる。ツチ、およびツチの味方をしたと疑われたフツの人々が、標的とされ、虐殺されたルワンダの首都キガリで、高級ホテル「ミル・コリン」に勤務していたポール・ルセサバギナは、家族を救うために奔走する。自分はフツだが、妻はツチであり、親戚にも多数のツチがいた。ホテルに家族を匿うことがはじまりだった。しかし、ポールを頼りに集まってきたのは家族だけではない。親を殺されて孤児となった子どもたちを助けなければならない。近所の人たちも助けなくてはならない。家族だけを助けて、他の人々を見捨ててしまえば、その思いを一生引きずっていくことになる。行き場を失った人々が次々とホテルにやってくる。幸いミル・コリン・ホテルには国連平和維持部隊が常駐していた。ここだけはとりあえず「平和」であった。しかし、虐殺者が押し寄せてくる。ポールは、ホテルマンの才覚、話術を懸命に駆使して虐殺者たちを説得し、懐柔し、一人でも多く助けようと奔走する。高級ホテルは難民救援センターと化した。しかし、国連職員や外国人記者も撤退していく。世界はルワンダを見捨てた。ポールは将軍たちに賄賂を贈り、酒をふるまい、あれやこれやでだましながら、安全を確保する。家族四人を救うために立ち上がったポールは、思いも寄らぬ行きがかりから、結局、一二〇〇人を救ったヒーローになる。普通の市民の懸命な思いが奇跡を招き寄せる。その奇跡の物語の中でポールは変わる。妻も変わる。世界が変わる。

 テリー・ジョージ監督・脚本・製作、ケア・ピアソン脚本・共同製作総指揮、キットマン・ホー製作、主演はポール役にドン・チ-ドル、妻タチアナ役にソフィー・オコネドー、オリバー大佐にニック・ノルディ。二〇〇四年度トロント映画祭観客賞、二〇〇五年度ゴールデン・サテライト賞作品賞・主演男優賞・オリジナル主題歌賞、二〇〇四年度アカデミー賞主演男優賞・助演女優賞・脚本賞ノミネート、二〇〇五年度ゴールデン・グローブ賞作品賞・主演男優賞・オリジナル主題歌賞ノミネート。



アルメニア、南京、そして・・・



 ジェノサイドという言葉は、ナチス・ドイツの巨大な犯罪を裁くために、ポーランドの法律家であるラファエル・レムキンが一九四四年につくった言葉だ。それから四年後、一九四八年に国連総会でジェノサイド条約が採択された。

 ジェノサイドという言葉を冠して呼ばれる最初の事件はアルメニア・ジェノサイドだ。第一次大戦時の事件なので、当時はジェノサイドという言葉はなかったが、現在ではこう呼ばれている。映画『アララトの聖母』(監督・脚本アトム・エゴヤン、二〇〇二年、カナダ)は、アルメニアの画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、絵に秘められた一〇〇万とも一五〇万人とも言われるアルメニア・ジェノサイドの悲劇と現代の母子のエピソードを交錯させて描いた。エゴヤンは、劇中劇の手法を採用する。

カナダ在住の一八歳の少年ラフィと美術史家の母アニは、アーシル・ゴーキーの絵画「芸術家と母親」をモチーフにした、聖なる山アララトの麓で一九一五年に起きたアルメニア・ジェノサイドを描いた映画に参加することになった。虐殺で母を亡くしたあと、アメリカに移住し、一生その苦しみから逃れられず若くして亡くなったゴーキーの軌跡を遡行して、ラフィは、アルメニアの自由を求めて射殺された父の死の疑問を持ち、真実を求めて、アララトに旅立つ。母なる国が永遠に失われたことを物語るように、キャンバスから削り取られた母の手――その秘密を探る物語である。

ところが、トルコ政府は今日もなおアルメニア・ジェノサイドの責任を認めていない。ロシアとの戦争に際してアルメニア人がロシア側につく恐れがあったことや、戦闘の妨げになることから、アルメニア人を移住させた事実は認めているが、ジェノサイドではないし、被害数も一〇〇万ではなく五〇万程度であるとしている。亡命アルメニア人はフランスやカナダに多数居住している。フランス議会に働きかけて、アルメニア・ジェノサイド非難決議を獲得しているが、それがトルコとフランスの外交問題となっている。『アララトの聖母』は、悲劇を描き出すともに、現在と過去、現実と虚構が交錯するドラマを通じて、母と子、国と人、芸術と人間との絆を手探りし、打ち砕かれた歴史を修復する試みである。

アルメニアの悲劇から二二年後、日本軍が猛烈な攻撃を仕掛け、包囲戦と占領の続いた南京でも無辜の民間人が殲滅された。『南京1937』(製作ジョン・ウー、監督ウー・ズーニィウ、脚本J.C.ハン、一九九五年、香港)は、一九三七年の南京で何があったかを詳細に描き出している。南京を制圧した日本軍による残敵掃討名目による大量殺害、誘拐、強姦。エキストラ二五万人というスケールの大きさには驚かされるが、残虐な日本軍を描き出すことが目的ではない。中国人医師・成賢とその妻・理恵子と子どもたちの苦難の逃避行を中軸に据えることによって、被害側と加害側の和解の手がかりを模索する。また、台湾出身の日本兵の存在は歴史の複雑さを照らし出す。

南京もまた歴史の闇の彼方で記憶をめぐる現在の「戦争」を誘発してきた。「南京大虐殺論争」は、歴史論争でも国際法論争でもなく、ナショナリズムの衝突を再現することで、記憶や責任や和解という言葉をあらかじめ無化する試みである。それゆえ『南京1937』の和解のモチーフは日本では足蹴にされる。『南京1937』上映が暴力によって妨害された時、「中国と日本は、手を取り合って世界中の戦争を拒否しよう」というジョン・ウーの言葉は聴き手を失って虚空を彷徨うことになった。

今年、『レイプ・オブ・ナンキン』の映画製作が始まったとのニュースが届いた。映画は歴史の愚かさを突き抜けて、新しい光を輝かせることができるだろうか。