Thursday, August 02, 2012

水戸事件の闘いに学ぶ


法の廃墟(8)



『無罪!』2006年11月号





差別と虐待



 二〇〇四年三月三一日、水戸地方裁判所は、水戸事件被害者が提訴した民事訴訟において、被告・赤須正夫による性的虐待の事実を全面的に認め、赤須正夫に対し一五〇〇万円の賠償を命じた。同年七月二一日、東京高裁も原告らの主張を全面的に認めて、赤須の控訴を棄却した。これによって、一九九六年の提訴から八年におよぶ闘いが勝利をかちとって、いったん終結した。

 水戸事件のたたかいを支える会編『絶対、許さねえってば』(現代書館、二〇〇六年)は、ダンボール加工会社である水戸パッケージ(旧「アカス紙器」)における障害者差別と虐待に対して、障害者が人として生きるために尊厳をかけて闘った裁判の記録である。

 一九九六年一月、赤須正夫社長は、「知的障害」を持つ従業員への雇用助成金を騙し取ったことが発覚して逮捕された。実はそれ以前に赤須から太腿を蹴られ被害を受けた女性従業員が告訴していた。逮捕がきっかけとなり、当時「アカス紙器」で働いていた二十数名の「知的障害」を持つ従業員に対して、殴る・蹴るの暴行や性的虐待が日常的に行われていたことが判明した。素手で殴る・蹴るといった生易しいものではなく、金属棒、角材、野球のバット、木の椅子等々を用いた殴打であり、傷害である。

 さらに、両膝の裏にジュース缶や角材を挟んで正座させ、膝の上に漬物石を乗せて長時間座らせておく。未成年の従業員に手錠をかけて階段の手すりに括りつけ長時間放置しておく。また、食事を抜く虐待も行われていた。数日間食べさせてもらえなかった従業員もいた。空腹の従業員にタバスコをかけたご飯を食べさせたり、満腹感を感じることのできない「障害」をもった従業員に腐りかけたバナナを大量に食べさせ「こいつらはバカだから何でも食べる」と言って笑う。「こいつらは国が認めたバカだ」などと差別的な言葉による暴力、恐怖支配のもとで、「知的障害者」である従業員の人間の尊厳を根底から否定する虐待を続けていた。

 それどころか、赤須正夫は、寮で暮らしていたのべ一〇人もの女性従業員に対して性的虐待(強制わいせつ、レイプ)も行っていた。中学校を卒業して就職したばかりの頃にレイプされた女性もいる。性的虐待は、繰り返し頻繁に行われていた。被害者は、障害者への差別と偏見をはねのけ、性暴力被害を語ることの困難をも乗り越えて、被害を告発し、赤須の責任追及を始めた。



責任の所在

 被害者と家族は、性暴力を含む虐待の事実を水戸警察署と水戸地検に告訴・告発した。その数は一四名・二十数件にも及んだ。それでも被害事実のすべてを訴えることはできなかった。

 しかし、「知的障害者」では事件にならないという警察・検察の差別的な捜査のため、雇用助成金詐取(詐欺罪)と暴行二件・傷害一件しか起訴されなかった。性暴力を含む数々の虐待事件は、時効や嫌疑不十分とされ不起訴になった。「知的障害者」の供述は「日時の特定などが曖昧である」「細部にわたる供述ができない」ことなどが嫌疑不十分の理由だった。はじめから消極的だった水戸警察や水戸地検は、本来自分たちが行うべき証拠集めまでも被害者の家族や支援者に行わせておきながら、被害者の尊厳をかけた心の叫びを黙殺した。

 公判審理されることになった三件の虐待事件でさえ矮小化されて起訴された案件であったために、赤須に実刑判決が下されるかどうかは微妙であった。 被害者が望んでいたことは、従業員を人間扱いせず、毎日毎日暴行を行い、散々嘘をついてきた赤須本人が服役することであった。メディアもその点に注目し、赤須の人間性とともに警察・検察の差別的捜査や行政の不作為を報道した。

 しかし、一九九七年三月二八日、水戸地方裁判所は、私利私欲のために悪事をはたらいた赤須正夫に対して、「障害者雇用に熱心に取り組んだ」などと「情状理由」を捏造して執行猶予付判決を言い渡した。不当判決に抗議した支援者が弾圧され、裁判闘争を余儀なくされた。水戸地裁は、本体の障害者差別問題を隠蔽し、暴行・監禁事件として支援者に有罪を言い渡した(後に最高裁で確定)。

 被害者・家族・支援者・弁護団は、一九九六年、懸命の努力の末についに赤須による性的虐待を告発する民事訴訟を提訴した。

支える会編『絶対、許さねえってば』は、水戸事件の全貌を報告しているが、なかでも第六章「みんなであつまる会――『生きる場』への模索」は、それぞれの家庭、職場、地域で生きる人々が、生きる場を共有し、エンパワーメントしながら、裁判闘争を繋いでいった過程を知らせる重要な一章である。水戸事件そのものが、地域で生きることの困難さとの闘いであった。

第七章「証人尋問の開始」および第八章「原告・被告本人尋問」では、「知的障害者に対する尋問方法に関する意見書」に始まる法的闘いが報告される。裁判を闘うために「専門家」の力が必要になるが、「専門家」と「知的障害者」の間に生じる敷居をいかにして乗り越えるかが課題であった。定義、検査、分類、判定とは何なのか。司法における弁護士や裁判官が果たすべき役割は何なのか。互いに問いかけ、問い直し、語り合う中で、人間の尊厳の回復が始まる。水戸地裁での全面勝訴をうけた弁護団声明は「この裁判は障害者が人間として生きるために、絶対に勝たなければならない裁判」であったと位置づけている。

民事裁判には全面勝訴したが、赤須はいまだに謝罪しない。原告の一人は「裁判には勝ったけれども、赤須に謝ってもらっていない。私はちゃんと赤須に謝ってほしい」と語る。支える会は、水戸職安、茨城県障害福祉課など行政の責任追及を続け、被害者たちが地域で生きる体制をつくっていく活動を続けている。滋賀のサン・グループ事件、福島の白河育成園事件をはじめ同種事件は後を絶たない。最近では千葉の浦安市で小学校教員による「知的障害者」への強制わいせつ事件も起きている。同種事件は全国で多数起きているのに、再発予防の体制はつくられず、「障害者自立支援法」による責任逃れが図られている。自立を妨げる社会をそのまま放置して「自立支援」が語られる不条理との闘いが続く。