Wednesday, August 01, 2012

ジェノサイドを描くということ


法の廃墟(7)

ジェノサイドを描くということ



『無罪!』2006年10月号







ルワンダの悲劇



 一九九四年のルワンダにおけるツチ虐殺における実話をもとにした映画『ホテル・ルワンダ』(二〇〇四年、南アフリカ=イギリス=イタリア)は、民族憎悪の異常なまでの激しさと、おびただしい死と硝煙、絶望的な状況における人間不信のさなかに起きた、救済と希望の物語を贈り届けてくれた。

 ルワンダ・ジェノサイドは被害総数が八〇万とも一〇〇万ともいわれる。ツチ、およびツチの味方をしたと疑われたフツの人々が、標的とされ、虐殺されたルワンダの首都キガリで、高級ホテル「ミル・コリン」に勤務していたポール・ルセサバギナは、家族を救うために奔走する。自分はフツだが、妻はツチであり、親戚にも多数のツチがいた。ホテルに家族を匿うことがはじまりだった。しかし、ポールを頼りに集まってきたのは家族だけではない。親を殺されて孤児となった子どもたちを助けなければならない。近所の人たちも助けなくてはならない。家族だけを助けて、他の人々を見捨ててしまえば、その思いを一生引きずっていくことになる。行き場を失った人々が次々とホテルにやってくる。幸いミル・コリン・ホテルには国連平和維持部隊が常駐していた。ここだけはとりあえず「平和」であった。しかし、虐殺者が押し寄せてくる。ポールは、ホテルマンの才覚、話術を懸命に駆使して虐殺者たちを説得し、懐柔し、一人でも多く助けようと奔走する。高級ホテルは難民救援センターと化した。しかし、国連職員や外国人記者も撤退していく。世界はルワンダを見捨てた。ポールは将軍たちに賄賂を贈り、酒をふるまい、あれやこれやでだましながら、安全を確保する。家族四人を救うために立ち上がったポールは、思いも寄らぬ行きがかりから、結局、一二〇〇人を救ったヒーローになる。普通の市民の懸命な思いが奇跡を招き寄せる。その奇跡の物語の中でポールは変わる。妻も変わる。世界が変わる。

 テリー・ジョージ監督・脚本・製作、ケア・ピアソン脚本・共同製作総指揮、キットマン・ホー製作、主演はポール役にドン・チ-ドル、妻タチアナ役にソフィー・オコネドー、オリバー大佐にニック・ノルディ。二〇〇四年度トロント映画祭観客賞、二〇〇五年度ゴールデン・サテライト賞作品賞・主演男優賞・オリジナル主題歌賞、二〇〇四年度アカデミー賞主演男優賞・助演女優賞・脚本賞ノミネート、二〇〇五年度ゴールデン・グローブ賞作品賞・主演男優賞・オリジナル主題歌賞ノミネート。



アルメニア、南京、そして・・・



 ジェノサイドという言葉は、ナチス・ドイツの巨大な犯罪を裁くために、ポーランドの法律家であるラファエル・レムキンが一九四四年につくった言葉だ。それから四年後、一九四八年に国連総会でジェノサイド条約が採択された。

 ジェノサイドという言葉を冠して呼ばれる最初の事件はアルメニア・ジェノサイドだ。第一次大戦時の事件なので、当時はジェノサイドという言葉はなかったが、現在ではこう呼ばれている。映画アララトの聖母』(監督・脚本アトム・エゴヤン、二〇〇二年、カナダ)は、アルメニアの画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、絵に秘められた一〇〇万とも一五〇万人とも言われるアルメニア・ジェノサイドの悲劇と現代の母子のエピソードを交錯させて描いた。エゴヤンは、劇中劇の手法を採用する。

カナダ在住の一八歳の少年ラフィと美術史家の母アニは、アーシル・ゴーキーの絵画「芸術家と母親」をモチーフにした、聖なる山アララトの麓で一九一五年に起きたアルメニア・ジェノサイドを描いた映画に参加することになった。虐殺で母を亡くしたあと、アメリカに移住し、一生その苦しみから逃れられず若くして亡くなったゴーキーの軌跡を遡行して、ラフィは、アルメニアの自由を求めて射殺された父の死の疑問を持ち、真実を求めて、アララトに旅立つ。母なる国が永遠に失われたことを物語るように、キャンバスから削り取られた母の手――その秘密を探る物語である。

ところが、トルコ政府は今日もなおアルメニア・ジェノサイドの責任を認めていない。ロシアとの戦争に際してアルメニア人がロシア側につく恐れがあったことや、戦闘の妨げになることから、アルメニア人を移住させた事実は認めているが、ジェノサイドではないし、被害数も一〇〇万ではなく五〇万程度であるとしている。亡命アルメニア人はフランスやカナダに多数居住している。フランス議会に働きかけて、アルメニア・ジェノサイド非難決議を獲得しているが、それがトルコとフランスの外交問題となっている。『アララトの聖母』は、悲劇を描き出すともに、現在と過去、現実と虚構が交錯するドラマを通じて、母と子、国と人、芸術と人間との絆を手探りし、打ち砕かれた歴史を修復する試みである。

アルメニアの悲劇から二二年後、日本軍が猛烈な攻撃を仕掛け、包囲戦と占領の続いた南京でも無辜の民間人が殲滅された。『南京1937』(製作ジョン・ウー、監督ウー・ズーニィウ、脚本J.C.ハン、一九九五年、香港)は、一九三七年の南京で何があったかを詳細に描き出している。南京を制圧した日本軍による残敵掃討名目による大量殺害、誘拐、強姦。エキストラ二五万人というスケールの大きさには驚かされるが、残虐な日本軍を描き出すことが目的ではない。中国人医師・成賢とその妻・理恵子と子どもたちの苦難の逃避行を中軸に据えることによって、被害側と加害側の和解の手がかりを模索する。また、台湾出身の日本兵の存在は歴史の複雑さを照らし出す。

南京もまた歴史の闇の彼方で記憶をめぐる現在の「戦争」を誘発してきた。「南京大虐殺論争」は、歴史論争でも国際法論争でもなく、ナショナリズムの衝突を再現することで、記憶や責任や和解という言葉をあらかじめ無化する試みである。それゆえ『南京1937』の和解のモチーフは日本では足蹴にされる。『南京1937』上映が暴力によって妨害された時、「中国と日本は、手を取り合って世界中の戦争を拒否しよう」というジョン・ウーの言葉は聴き手を失って虚空を彷徨うことになった。

今年、『レイプ・オブ・ナンキン』の映画製作が始まったとのニュースが届いた。映画は歴史の愚かさを突き抜けて、新しい光を輝かせることができるだろうか。