Wednesday, October 31, 2012

『脱原発とデモ、――そして、民主主義』


『脱原発とデモ、――そして、民主主義』(筑摩書房、2012年)


 

今日も扁桃腺が叛乱のため、休養。
 
気分は明るく、BGMはRAGGA RAGGA SOCA。カリブ海のセント・ヴィンセント・グレナディンズで買ったラップのCDだ。冒頭、Mystic VibrationのI LIKE IT (C’EST BON)に始まり、TROOTSのDON’T BE SHY、SKARYONのENGINE、DJ TARRUSのENERGYなどと続き、最後はYAPHATOOのWISDOM。なぜ日本ではこういうラップが紹介されないんだろう。答えは簡単。資本の論理に乗っかった売れっ子を紹介するのが音楽評論家の仕事だから。
 

さて、本書は2011年5月7日デモの松本哉(素人の乱)発言に始まり、6月11日デモの雨宮処凛(作家・活動家)や山下陽光(素人の乱)らの発言、8月6日の毛利嘉孝(『ストリートの思想』著者)、9月11日の柄谷行人(思想家)、いとうせいこう(作家)、9月19日の鎌田慧(作家)、落合恵子(作家)、山本太郎(俳優)、10月22日の坂本龍一(音楽家)らの発言を収録している。有名人も取り揃えて20数名の発言、エッセイ。
 
そして、柄谷行人・鵜飼哲・小熊英二起草の「デモと広場の自由」のための共同声明も収録されている。
 

重要な問いかけを含む著作なので推薦したいが、やや力が入らない。
 

第1の理由は、発言のほとんどが20011年のものなのに、なぜ今発売なのか。本書収録のデータならば一年前に出版していなければならない内容だ。賞味期限切れの文章を出版する意味は何だろう。
 

第2の理由は、一つ一つの文章がその都度の発言やエッセイで、読み込むべき文章ではないことだ。現場での発言としてはとても重要であっただろう。その記録を残すという意味では出版しておいたほうがよいとはいえ、運動論としての問題提起としてはすでに語りつくされたことをなぞっているにとどまることになりかねない。
 

第3の理由は、問題提起を理論的に深める努力がなされていない。柄谷行人、小熊英二、毛利嘉孝などの理論家がそろっていながら、そして本書末尾には平井玄(社会・音楽評論家、『愛と憎しみの新宿』著者)が控えていながら、だ。平井にはもう少しページを増やして、きちんと論じさせるべきだっただろう。
 

申し訳ないが、われわれが出した『デモ!オキュパイ!未来のための直接行動』(三一書房)のほうが、ずっと内容が濃く、理論的にも実践的にもずっと重要な問題提起をしている。

http://31shobo.com/?p=1480

Tuesday, October 30, 2012

扁桃腺、トロピカル・サウンド、同期


扁桃腺が叛乱を起こして、一日横になっていた。いい休養になった。夕方のこのこ起きだして、新聞読みながら、BGMは気分転換にStrandedのTropical Rhythm。リードボーカルはフィルス、ギターはブラダ・ウィルス、ピアノはブラダ・トニー。前作Auki Girlsに続く南太平洋の珊瑚礁トロピカル・サウンド。といっても、誰も知らないだろうな。ソロモン諸島のピース&ハーモニー・ロック。

 

Stranded, Tropical Rhythm, Grevillea.

 

と言いつつ新聞を見ると、朝日朝刊社会面に知人の写真。無実のゴビンダさん、検察の無罪論告で判決も無罪間違いなしだが、社会面38面の特集記事「繰り返す冤罪(上)」に、カトマンズのゴビンダさんの写真が大きく出ているが、その下に神山啓史弁護士が出ている。霞が関の裁判所の司法記者クラブで記者会見を終えたところだ。神山さんとは大学が同期だし、30代前半頃には付審判研究会でずっと一緒に研究していた。研究会後は四谷のしんみち通りで呑んだくれていた。長年尊敬する弁護士、神山さんの活躍は本当にうれしい。

 

と言いつつ隣の記事を見ると、もうひとりの同期が出ていた。付属横浜山手中学校不正入学事件での理事長解任の記事だが、その末尾に、第三者委員会委員長の「合格取り消しを働きかけた学長の責任を厳しく問うている。しかし、無視され遺憾」というコメントが出ている。勧告を無視して学長・総長の座にしがみついているのが、大学院の同期だ。商法学者ということになっているが、業績は共著の教科書、分担執筆ばかり。さしたる学問的業績がない。もしかしてあるのかもと、ネットで検索したが、いくら調べても単著の理論研究書が一冊もない。アマゾンでみても、学生向けの教科書・講義ノートだけ。出版していないだけかもしれないが、ふつう、出版していなければ評価の対象にならない。

 

同期には両極端の人物がいる。それぞれの人生だから、とやかく言うことではない。ただ、見てると面白い。

Saturday, October 27, 2012

『未解決の戦後補償――問われる日本の過去と未来』


田中宏・中山武敏・有光健他著『未解決の戦後補償――問われる日本の過去と未来』(創史社、2012年)


 

<本書は、私たちが日本の容易ならざる過去とどう向き合い、アジアの人々との間にいかにして〝和解〟を、そして〝信頼〟を築くかを、個々の具体性の中に追求する真摯な記録であり、そこから未来を展望しようとする、真摯な願いを読み取ってほしい>(田中宏「まえがき」より)。

 

執筆者

有光健「慰安婦問題」、「シベリア抑留」 
矢野秀喜「朝鮮人強制連行」 
田中宏「中国人強制連行」
中山武敏「重慶爆撃・東京空襲」 
大山美佐子「BC級戦犯」 
南典男「中国遺棄毒ガス」

小椋千鶴子「軍人・軍属」 
竹内康人「未払い金」 「日韓会談文書公開」

 

編集部による冒頭の「戦後補償・残された課題――戦後67年、戦後補償・解決への道を考える」は「戦後67年を迎えたが、日本が起こした前世紀の戦争の後始末がまだ続いている」と始まり、「70件を超えた裁判でも解決せず」として、未処理の戦争被害類型として、戦時性暴力被害、強制連行、強制労働、元軍人・軍属、元BC級戦犯、虐殺被害、731部隊被害、毒ガス被害、無差別空爆被害、サハリン残留朝鮮人、在外原爆被爆者、インドネシア被徴用者、先住民族被害などが列挙されている。日本人についても、シベリア抑留、中国残留孤児、民間空襲被害、沖縄住民虐殺、日本軍遺棄毒ガスなどが残されている。

 

裁判所は問題解決から逃げ、門戸を閉ざしてしまった。行政も無責任を決め込んでいる。立法的解決を求める運動が続いているが、国会ではまともな議論が行われない。

 

人類史に残る残虐行為を積み上げながら、いまだに頬かむりをし続ける日本。それどころか、南京大虐殺や日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題では事実を否定し、被害者を侮辱し、民族対立をあおる政治家発言が続いている。西欧ならば刑務所行き間違いなしの差別発言が、日本ではまかり通る。異常で無責任な発言をした政治家が公党の総裁になってしまう。

 

こうした現実を前に、戦後補償運動は日本社会に向けてさまざまのアピールを続けてきた。本書は、その2012年版と言えよう。網羅的ではないが、重要なテーマを絞り、それぞれについて背景や現状を分かりやすく解説している。戦後補償問題についてこれから学ぶ読者には最適である。

レイシズム研究に学ぶ(3)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMは、『平和のうた2』(音楽センター)


WE ARE THE WORLD、オキナワ、BELIEVE、ケサラ、日本国憲法前文、ヒロシマなど。

 

さて、鵜飼哲「共和主義とレイシズム――フランスと中東問題を中心に」は、李孝徳によるインタヴューである。

 

テッサ・モーリス=スズキが、フランスをはじめとするヨーロッパの普遍主義と人種差別を登記したのに続いて、鵜飼哲は、フランスにおける人種差別を鮮やかに抉り出す。アフリカとイスラム、移民と郊外。現象をいかに記述するべきか、その前提に立ち返りながら、人種主義の台頭と、それに対するSOSラシスムに代表される反人種差別の対抗の中での揺れ動きが語られる。一方では、「ブールの行進」のように、「自由・平等・博愛の国だから、たてまえとしてであっても、反レイシズムで人を集めれば集まる」。だが、そのフランスに根強くはびこるレイシズム。

 

「ユダヤ系知識人の変貌」も深刻だ。「いまやある種のユダヤ系知識人がともするといちばん人種主義的だったりします」。アラブ対ユダヤという二項対立に問題を矮小化することのないよう、ジャック・デリダ、ヴィダル・ナケ、マクシム・ロダンソンなどが「接合」の役割を果たしていたが、その後のパリの言論状況は悪化しているという。

 

李孝徳が述べているが、名著『人種差別』のアルベール・メンミが『脱植民地国家の現在――ムスリム・アラブ圏を中心に』に変貌している。李は「無残というほかない壊れ方」という。なるほど、そうだったのか、おかしいと思ったんだ、と思う。

 

「フランスを中心にして考えると、逆説は、植民地主義的レイシズムの総本山である宗主国のほうが、『われわれは国民概念から種族の規定を外している。独立した第三世界の国は種族主義に囚われたままであり、ゆえにレイシスト的だ』というふうに手品みたいに議論をひっくりかえしてしまうことです。独立の前提になっている国民概念まで含めて、先進国=宗主国から植民地=第三世界へ輸出されたものであり、その枠のなかで植民地解放や民族独立をやるほかなかったという歴史的必然性を考慮して問題を立てないと、いつのまにか変な話になってしまいます。」

 

「フランスの共和政の根幹にある何かを破壊しなければその先は見えないと思います。フランス革命やフランス共和政は、否認されたかたちでキリスト教的な核を保持している。カトリシズムの問題であり、ユマニスム(人間主義)の問題でもあります。」

 

日本のレイシズムを考え直すために、鵜飼は、1903年に開催された大阪の博覧会における「学術人類館」事件を取り上げ、西洋中心主義の土俵に奇怪な形で乗ってしまった日本と、沖縄の関係を論じる。1975年の沖縄海洋博の際にも議論となった「人類館」事件は、現在の沖縄差別を問う際に、まさに参照枠の一つとなる。

Friday, October 26, 2012

「強制連行とは何か? 誘拐罪判決に学ぶ」学習会報告


10月26日、東京・水道橋のスペースたんぽぽにおいて、平和力フォーラム主催「強制連行とは何か? 誘拐罪判決に学ぶ」学習会を開催した。参加者35名。

 

「慰安婦」問題では「強制連行」の有無が議論されてきたが、自分勝手な定義を振り回してごまかす議論(安倍晋三が典型)が多い。この学習会では、「強制連行」という言葉の解釈をめぐる議論をするのではなく、「慰安婦」連行が当時の刑法に規定された誘拐罪に当たり、まぎれもない犯罪であり、それゆえ強制連行であったことを明らかにした。

 

西野瑠美子報告「『慰安婦』徴集の強制性を検討する」――各国の被害女性たちの証言をもとに、改めて連行形態を検証した。韓国の被害女性たち52人についてみると、45人(87%)が未成年であった。当時の刑法で未成年者誘拐罪が成立する。国外に連れ出されたのが48日(92%)である。当時の刑法で国外移送目的誘拐罪と国外移送罪が成立する。誘拐の具体的形態は、略取あり、誘拐(詐欺、甘言)あり、人身売買あり。

 

同様に台湾、中国、フィリピン、オランダ、マレーシア、インドネシア、東ティモールの女性たちの証言から、暴力的な略取や、甘言を用いた誘拐などの具体例が紹介された。詳細は後日、論文として発表される。

 

前田朗報告「大審院誘拐罪判決に学ぶ」では、下記の内容を紹介した。


Tuesday, October 23, 2012

レイシズム研究に学ぶ(2)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMはVivaldiのGloria。2010年にローザンヌ(スイス)のカテドラルで演奏されたもので、指揮はジャンルイ・ドス・ガリ、ソプラノはブランダン・シャルル、メゾゾプラノはアネット・ランジェ、アルトはカリン・リヒター。コーラスとオーケストラはローザンヌ・カテドラルの音楽隊。今夏、カテドラルでCDを購入した。

 

さて、テッサ・モーリス=スズキ「グローバル化されるレイシズム」は、2010年2月に本願寺札幌別院で行われた「東アジアの平和のための共同ワークショップ」での講演記録である。続く、テッサ・モーリス=スズキ「移民/先住民の世界史――イギリス、オーストラリアを中心に」は、李孝徳によるインタヴュー記録である。

 

グローバル化されたレイシズムにかかわる3事例として、第1にオランダの極右政治家ウィルダースとその運動、第2に2005年12月にオーストラリアで起きた「クロヌラの暴動」、第3に在特会である。それぞれの具体的事例を通じて、各地のレイシズムの減少の特徴と共通性が明らかにされる。

 

「21世紀にグローバル化されつつあるレイシズムを検証してみると、それぞれの国のレイシズム運動の中にある類似点に気がつきます。それぞれの国でのレイシズム運動を誘発する、経済的・社会的な背景は同様だ、といってもそれほど間違っていないかもしれません。またそういったレイシズム運動がつくりだす他者、よそ者に対するステレオタイプとかジェンダー的な意味づけには、深い類似性が認められる。」

 

「われわれ」と「かれら」を対置し、「かれら」の責任を論難し、「われわれ」の問題を回避し、「かれら」に「出ていけ」と迫る「典型的なフレーズ」である。

 

その通りである。ただし、上の引用の「21世紀にグローバル化されつつある」を削除しても、同じことが言える。

 

レイシズムへの対抗策として、

 

1 社会的格差が要因なので、富の再配分。

2 レイシズムに対抗する法制度の整備。

3 反差別教育。

4 メディアの重要性。

 

これらについて、オーストラリアなどでの具体的取り組みも紹介されている。

 

「問題の解決は他者(かれら)にはありません。じつは他者(かれら)も、同じ経験をして、同様に苦しんでいるのです。ですから他者(かれら)を排除するのではなく、連帯し手をつないで、グローバルに展開される経済・社会問題に立ち向かう必要がある、と私は信じます。それは同時に、グローバル化されるレイシズムに対抗する方法なのですから。」

 

これもその通りで、納得。とはいえ、その一歩先を聞きたいところだ。問いに問いをもって答えている印象だからだ。

 

インタヴューでは、イギリスからオランダ、ソ連、日本、韓国、オーストラリアへと、研究を進め、移動してきたテッサ・モーリス=スズキの問題関心、知見が披瀝され、興味深い。グローバル化したレイシズム研究にまさに適任の研究者であり、幅広い関心とすぐれた分析を読むことができる。

 

オーストラリアでアボリジニ権利運動にかかわってきたゴードン・マシューズが自分のルーツを探ったところ実はアボリジニではなく、スリランカ系とわかった時のエピソードも紹介されていて、さらに興味深い。

 

アイヌと日本についても、『辺境から眺める』の著者だけあって、アイヌモシリから日本を逆照射する視点が明確である。

 

フランスの普遍主義に隠れ潜むエスノセントリズム(自民族中心主義)の指摘も重要である。納得。もっとも、もう少し議論を深めてほしかった。今後の楽しみでもある。

Sunday, October 21, 2012

江澤誠『脱原子力ムラと脱地球温暖化ムラ――いのちのための思考へ』


江澤誠『脱「原子力ムラ」と脱「地球温暖化ムラ」――いのちのための思考へ』(新評論)


 

<「原発」と「地球温暖化政策」の雁行の歩みを辿り直し、いのちの問題を排除する両者の偽「クリーン国策事業」との訣別の意味を考える>

 

<フクシマ原発事故によって、核(原発)は人間の制御できるものではないこと、放射性廃棄物が未来世代に大きな負荷を与えること、原発に関する「安全神話」は「原子力ムラ」の情報操作によるものであることなどが明らかになった。ところが、「原発は地球温暖化の原因とされるCO2を排出しない」などとウソ偽りを平然と述べ原子力発電を推奨してきた多くの環境科学者は未だはっきりとした反省の言もなく沈黙の中にいる。「原子力ムラ」と「地球温暖化ムラ」に絡め取られたメディアは、原発の「安全神話」とCO2の「危険神話」という二重の誤りを意図的に垂れ流し、相乗的に私たちの日常生活を脅かしてきたのである。フクシマ原発事故後において、私たちが地球温暖化政策を検証し直さなければならないのは、地球温暖化問題と原子力発電が相携えて増殖し、フクシマの大惨事を引き起こしたからにほかならない。「温暖化ムラ」に集うIPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの科学者・専門家集団は地球温暖化政策が環境保護に役立つものとしているが、その政策はCO2を材料にした「投資」であり、金融資本の「保護」を最大の理念とする新自由主義(ネオリベラリズム)政策そのものであって、私たちの日常生活に資するものでも途上国の人々に生きる活力をもたらすものでも、ましてや気候変化によるリスクを科学的に解明・解決するものでも何でもない。フクシマ原発事故によって原発の危険性には注意が向けられたが、地球温暖化に絡むCO2の「危険神話」はいまだに増殖し続けている。「原子力ムラ」と「温暖化ムラ」は今日においても跋扈し、「原子力帝国」と「温暖化帝国」として私たちの前に立ちはだかっている。本書はこうした問題意識にもとづきフクシマ原発事故の意味するところの本質を今一度捉え直し、私たちの進むべき現実的な道を読者とともに考えていこうとするものである。>

 

本書は4部構成である。「1 “地球にやさしい”戦略の始まり」では、マンハッタン計画から原発へ、日本への導入、被爆国にもかかわらず原発を受け入れていった理由などの歴史がたどられる。

 

「2 原発事故と「原子力ムラ」についてのもう一つの視点」では、原発ライさん御用記事、御用評論家・上坂冬子、IAEAなどを取り上げる。「3 原子力発電と地球温暖化問題の癒着」では、アルシュ・サミット、気候変動に関する政府間パネル、京都議定書、洞爺湖サミットなどが取り上げられる。

 

そして「4 脱原発と脱地球温暖化政策」では、「何もかも変わった」が「何も変わっていない」として、日本近代の歩みを問い直す必要を訴え、荒正人、野間宏、小田切秀雄、大江健三郎も誤謬を犯したことを指摘し、日本の「棄民思想」を問う。ここで著者は「人類館事件」にさかのぼって、日本近代の根本問題を問うとともに、「原子力帝国と地球温暖化帝国」を批判する。著者は「地球温暖化問題」は存在しないという立場である。「地球温暖化、だから原発、原発は地球にやさしい」という論理がセットになっているとして、地球温暖化帝国主義を批判しなければ脱原発にならないとする。

 

人類館事件を引き出して議論する意味はわかるが、途中経過の説明がないので、読者にはわかりにくく、話が飛躍している印象を与えてしまう。原発システムの差別的性格、原発立地への差別、さらにはモンゴルへの輸出問題における差別など、多彩な事実と論点が登記されている。